ストーカー⑩ ミラクル薫ちゃん
何度目かの信号でヤマハミントに追いついた野崎。思いのたけを叫びながら執拗にミントをつけ回して袋小路へ追い込んだ。
「さぁ大島リツコさん! 観念してわたくしと結ばれるのですうぬぅっ!」
残念ながらヤマハミントに乗っていたのは大島夫妻の共通の友人である浅井薫。パッと見ではよくわからないがじっくり見ても男性だとわかるものは少数であろう。今日の薫は喉仏をカモフラージュするためにチューカーを付けているのだからなおさら女性に見える。
ミントを停めてスタンドを立てた薫はつかつかと野崎へ歩み寄り……躊躇することなく股間を蹴りあげた。スニーカー風の軽量タイプとはいえ安全靴での一撃は強烈そのもの。大学時代から変態に襲われ続けた経験が薫の体を動かし、振り上げた足は野崎の股間にジャストミートした。
「うぅ……ウガッ!」
股間を抑えて前かがみになろうとする野崎の顎に竹原仕込みのアッパーアットがさく裂する。アッパーカットで終わりかと思えばそうではない。のけぞった野崎の腹に強烈なレバーブローが炸裂。
「ぐぬぅっ! ぐはっ!」
そして薫は前かがみになった野崎の頭をつかみ膝蹴りを喰らわせる。顎・腹・股間を攻撃されても倒れる事すら許されない野崎。誰も居ない袋小路に入ったのは誰にも警察へ通報されない為でもある。野崎は完全に薫の仕掛けた罠にかかったのだ。
―――こんなもんかな?
天を仰いで寝そべる野崎の股間をこれでもかと踏みつけた薫は再びヤマハミントに乗り藤樹商店街へ引き返すのだった。
惨劇を見たリツコの後輩で同僚の竹原螢一は後に「僕が出る幕じゃなかったですね」と語るのだった。
◆ ◆ ◆
その日の午後、野崎は高嶋署を訪れていた。未遂とはいえ自身がしようとした婦女暴行を棚に上げ、リツコ(薫が化けていた)から受けた制裁を傷害罪として被害届を出すためだ。
盗んだバイクで走り出すが行く先がわからないのは十五歳、ところがこの五十代は盗んだバイクで警察署に行ってしまった。野崎日出夫の行き先は間違いなく刑務所であろう。
「わたくしはこれほどまでに酷い目に会ったのです! わたくしは大島リツコさんに謝罪と交際を求めますっ!」
暴力は良くない。だが、野崎の行動は更に良くなかった。対応した警官が「女性を襲おうとして返り討ちに有ったと、それは正当防衛ではありませんか?」と対応していると署内の女性陣が黄色い声を上げた。
「ふう……夏に妊婦なんてするもんじゃないよね」
額の汗をぬぐう姿も麗しくミニパトでの巡回を終えた浅井晶が戻ってきたのだ。今は妊娠中で白バイに乗ってはいないが『高嶋署の白き鷹』が可愛らしいオートバイを見逃すはずがない。
「ところで誰か、入口の脇に停めてあるミニバイク。車体番号を照会してくれるかな?」
「じゃあ私が!」
「いいえ、晶様のお願いは私が承ります」
普段はのんべんだらりと仕事をしている署内の婦警は我先にと黄色いミニバイクに詰めかけて車体ナンバーを控え、盗難車などのデータベースにアクセスした。
「晶様っ! 先週に届けが出ていますっ! 盗難車ですっ!」
「ありがとう、一番最初に教えてくれた君にご褒美だ……」
晶におでこへキスをされた婦警は「にゃわわわわ……」と奇声を発して気を失った。キスをしたのが男性ならセクハラで大問題になる。だが晶は男性ではなくて『男装の麗人(天然もの)』なのだ。女子同士のじゃれ合いだから何の問題も無い。男装の麗人が嫌いな女子は居るだ(以下略)
「ここから先は刑事の仕事かな?」
「呼んできますね♡」
数分後、受付で怒鳴り続ける野崎日出夫の元へ二人の刑事が現れた。安浦と亀山である。安浦は野崎に時計を見せた。
「野崎さん、こちらを見てもらえますか?」
「わたくしに時計を見せて何を言いたいのですかっ!」
アナログ時計の針は午後三時を少し過ぎたところ。
「野崎さん、窃盗の容疑でお話を聞かせてもらいます。一五時二三分、窃盗の容疑で確保」
「どうしてわたくしがっ! わたくしが捕まるのですっ!」
納得できない野崎は暴れ狂った。もちろん公務執行妨害で現行犯逮捕。しかも受付に有った備品を壊したので器物破損、更に興奮した野崎は「こんなに暴行を受けたのにどうして被害届を受理しないのですっ!」と腫れた股間を曝け出した。
「うわっ! 小っさい!」
猥褻物陳列罪のおまけが付きました。
「亀山君っ!」
「はいっ!」
興奮状態の野崎を亀山刑事が押さえつけました。亀山刑事は優秀な相棒です。なぜか婦警や同僚から『亀山君』と呼ばれています。
「いけませんねぇ野崎さん、『人の恋路を邪魔する奴は、モンキーのキャラメルブロックタイヤに足を踏まれてしまえ』ですよ」
安浦刑事は野崎の手錠をかけて取調室へ連れて行きました。興奮状態なうえに独特な思考を持つ野崎相手にまともな取り調べは不可能でした。思わず安浦は「弾はまだ残っとるけぇのぅ……」と野崎のこめかみに銃を突きつけたくなる衝動に襲われました。こんな事も有ろうかと銃を保管庫に入れておいて正解でした。
「あのねぇ野崎さん、恋路の終着点が結婚ですよ。大島リツコさんにストーキングするのは『人の恋路を邪魔する』じゃないですかね?」
「わたくしは高スペックなのですっ! 高スペックなわたくしに低学歴はひれ伏せるのが世の道理なのですっ!」
野崎の癖があり過ぎる思考に安浦刑事は頭を抱えそうになりました。ところがそんな安浦を救う一報が届きました。取調室のドアがノックされ、安浦が「どうぞ」と言うと入ってきたのは相棒の亀山刑事。
「あ~安浦刑事、なんか保釈らしいっす」
「保釈? 何で? 誰が?」
身元引受人が保釈金を払うと聞いた安浦は頭の中が疑問符でいっぱいになりました。安浦たちの調べによれば野崎日出夫に身近な親戚はおらず友人も皆無に近いはず。
「よくわかりませんが『上層部からの圧力』で『政治的な判断』だそうです」
野崎は『上層部からの圧力』と『政治的な判断』と聞いて高揚しました。やはり自分は選ばれた人間だ、何をしても許されるのだ。政治的な判断で救われるのだと確信したのです。
「やはりわたくしは選ばれた人間なのですっ! さぁ我が城まで送りたまえっ!」
家までの移動手段が無い野崎はパトカーでの送迎を指示しました。
「いや、迎えが来てますから……そちらで帰ってください」
亀山刑事が指した方向には黒の高級ミニバンが停まっていました。
「うむ、ご苦労。では我が家まで送ってくれたまえ」
意気揚々とミニバンに乗り込んだ途端、野崎は黒のスーツ姿の男に両腕を捕まれたのでした。
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