ストーカー⑦ じいじとばあば

 ヒュンヒュンと音を立てて木製の衣紋掛けが風を斬る。


「うむ、ナ○コの衣紋掛けは具合が良い」

「じいじ! すごい!」


 蟷螂拳の使い手である高畑政は手を叩きながら衣紋掛けヌンチャクを見る女児に声をかけた。


「まさかこの老いぼれが再び役立つ事になるとは……やってみるか?」

「うん!」


 衣紋掛けをヌンチャクのように使い敵を倒す『衣紋掛けヌンチャク』を映画で知ったまさは衣紋掛け以外にも長椅子や自転車、その他周りに有る身近な道具を武器として使う蟷螂拳に魅了された。女児は興味を持ったのか政から衣紋掛けを借りてクルクルと回そうとした。残念ながら衣紋掛けは妙な軌道を描き女児の頭にぶつかった。


「にゃっ! じいじ……いたい」

「最初はプラスチックのハンガーで練習しようね」


 数十年前に映画を観た若者の多くは衣紋掛けヌンチャクをマスターすることはなかった。俳優は簡単そうに扱っていた木の衣紋掛けは素人が少し練習した所で思うように操れない。もちろん二歳児が上手く扱えるものではない。難しいだけでなく使いどころも無い。衣紋掛けヌンチャクはマスターした所で宴会で披露する程度が関の山だろう。そして若者には受けず四十代以降が懐かしむと言ったところか。


まさ……来ましたえ」

「む、お嬢ちゃんを頼む」


 大島家前に停まった軽トラックからただならぬ気配を察した妻が部屋に入ってきた。ターゲットを職場へ送った家主はまだ戻って来ない。


「不埒な輩はこの『地獄の政』が成敗してくれる」


 ここは踏ん張りどころとばかりに、政は木製の衣紋かけを手に玄関へと向かった。


◆        ◆        ◆


「おはようございます! わたくしは野崎日出夫でございます! アントプレナーの野崎日出夫でございます! わたくしの女神を迎えに参りました!」


 家柄が良く学歴も素晴らしい、そんな自分が来たのだから大島リツコさんは喜んで出迎えてくれるに違いない。意気揚々と訪れた野崎を出迎えたのは木製のハン……衣紋掛けを両手に握りしめた老人だった。


「先日カステラをお届けしました野崎……野崎日出夫でございますっ!」


 Faceboxに投稿し続けること十数年、自分は間違いなく世界で有数なインフルエンサーであると信じている野崎は意気揚々と挨拶をして大島家へ入ろうとしていた。ところが出迎えたのは引き締まった顔つきの衣紋掛けを持った老人。


「カステラなんぞ知らん……ここの奥さんに付きまとっているのはお前やな?」

「何ですとっ! 税抜きで二千五百円もかかったのですよっ!」


 凄みを帯びた老人の言葉に思わず野崎はたじろいだ。だが多少の障害は自らの恋を盛り上げるエッセンス、障害を乗り越えてこそ野崎家の再興が出来ると信じきっている野崎は老人を押しのけて大島家へ侵入しようとした。


「わたくしの恋を邪魔する奴は許さないのでっ……でっ……どけ爺!じじい


 野崎は立ちはだかる老人を押しのけて家へ入ろうとした。だが老人は足に根が生えたかの如く動かない。


「三下がっ! 儂の目が黒いかぎりはこの家の敷居を跨がせんっ!」

「ひっ!」


 動かないどころか野崎はふり払われた上に老人の凄まじい気迫に押し戻された。数歩下がった野崎は段差に躓いてひっくり返ってしまった。


「わたくしに暴力を振るいましたねっ! わたくしが怒れば皆殺しですよっ! わたくしは暴力団の〇〇組の若頭××と交流があるのですよっ! ただでは済みませんよっ!」


 立ち上がった野崎は老人を威嚇した。だが老人は不敵な笑みを浮かべている。老人が両の手に持った衣紋掛けはクルクルと回りヒュンヒュンと音を立てている。


「〇〇組の若頭で××か……ヤクザの名前を出されると困るなぁ」


 音と立てて回っていた衣紋掛けがピタリと動きを止めた。


「わたくしは強いのですよ、パンチを受けたら命は有りませんよっ!」


 勝利を確信して調子に乗る野崎、だが老人は落ち着き払っている。落ち着くどころか苦笑いを始めた老人を見た野崎は自分が選ばれた人間であると確信した。ところが老人は落ち着いた様子で口を開いた。


「若頭の××は二十年ほど前の抗争であの世行き、〇〇組はとっくに解散してる……」


 老人の目がギラリと光った。


「若ぇの、少々情報が古かったな。しかも暴力団との関係をほのめかせて脅すのは立派な脅迫罪や、か弱い老人が脅されて思わず身を守ろうとしても仕方ないよなぁ……」


 木製の衣紋掛けが風を切り裂いた直後、野崎の悲鳴が藤樹商店街に響いた。だが警察に通報する者は誰も居ない。大島家が賑やかなのは日常茶飯事、隣近所とは新婚当初は夜に大騒ぎをしても「中ちゃん、昨夜はお楽しみやったねぇ」とからかわれ、子供が生まれてからは一日中賑やかでも誰からも文句を言われない良好な関係が続いている。ご近所付き合いは大切なのである。


◆        ◆        ◆


 這う這うの体で大島家から逃げ帰った野崎は怒り狂った様子で自動車店に電話をしていた。


「いいですか、わたくしが家に帰った途端にバラバラになったのです! おかしいでしょ?! 新車で購入して十年くらいなのにどうしてバラバラになるのですかっ! え? 『どの様にバラバラになった』ですって? 切り刻んだようにバラバラですよ……って、聞いていますかっ……切れた」


 木製の衣紋掛けで散々殴られ続け、体中痣だらけになって何とか逃げだした野崎は体中の痛みに耐えながら愛車を駆り自宅へ帰還した。無事に帰還できたは良いものの、軽トラックはドアを閉めた途端に『コーン』と済んだ音を立ててバラバラと崩れ落ちたのだった。


 この日の夕方、Faceboxに一枚の画像と意味不明な長文が投稿された。


「何ですかこれはっ! 欠陥車ですっ! わたくしはメーカーを訴えますっ!」


 誰もが車がバラバラになった事をCGの類や狂言だと信じなかった。自動車販売店やメーカーも『使用過程の問題であって欠陥車ではない』と発表をして野崎を『虚偽事実の公表だ』と訴え出入り禁止にした。


「わたくしの愛車は『つまらぬもの』ですかっ! わたくしの移動手段が無くなってしまいましたっ! わたくしには女神を迎えに行く手段が必要ですっ!」


 軽トラックを切り刻んだのが志麻と愛用のお玉であることは言うまでもない。

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