ストーカー⑧ 幸せの黄色いシャリィ

 軽トラックを切り刻まれた野崎は焦っていた。いや、どう考えても自動車を切り刻ざまれていた時点で何かがおかしい。しかし、最もおかしいのは野崎の思考回路かもしれない。


「わたくしの恋路を高嶋市役所や滋賀県が邪魔しているに違いありませんきっと滋賀県警もグルですどう思いますかみなさん! わたくしは負けませんわたくしの恋はわたくし以外に誰も止められないのです!」


 いつもの様に支離滅裂な文章をFaceboxに投稿し続けているうちに白々と夜が明けた。それでも野崎は眠ろうとしなかった。


「わたくしはどうやって移動するのですか! わたくしはエリートなので湖西線に乗りません! わたくしは自動車の運転が出来るからです! もちろんわたくしは原動機付き自転車にも乗ります! わたくしは孤独なのです! だから大島リツコさんを妊娠させるのです!」


 誰が言ったか定かではないが『人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて○んでしまえ』とある。その言葉に従えば一番酷い目に会うのは人妻にストーキングするこの男だろう。


「しかしわたくしは滋賀県警の妨害工作によりアントプレナーでの収入がございません! わたくしは自力で移動手段を確保しなければなりません! わたくしは大島リツコさんの様にモーターサイクルに乗ります!」


 興奮状態の野崎は白シャツに白ステテコ姿で早朝の町へ歩み出した。


◆        ◆        ◆


 近頃は減ったのだが、今も高嶋市内ではオートバイの盗難事件が起こる。


「大丈夫、盗まれたオートバイはきっと私たちが見つけます。だから泣かないでお嬢さん」

「や~ん、かっこいい~♡ 深雪みゆきって呼んで~♡」


 さっきまで「シバキ倒したるけぇのう……」とか「集合をかけたけぇ、アタイのバイクを盗んだクソはタコ殴りじゃぁ」なんて物騒な事を呟いていた岡部さん。丁度良いところへパトロールに来た晶さんになだめられてようやく正気を取り戻した。


撒野まきの町ですね、怪しい人物を見たりしませんでしたか?」

「あなた以外は目に入りません……」


 やはり男装の麗人は女性の大好物なのだ。リツコさんも「男装の麗人は別腹、夫や子供がいても男装の麗人は女の子だから浮気じゃない」と言っている。


「防犯登録はしてあるし、少し珍しい車種やから乗ってたら見つかるで」

「おじさん、ちょっと黙っててくれるかな? ときめきタイムを邪魔しないで」


 さっきまでブチ切れていたのにえらい変わり様だ。あと、言っとくけど岡部さんの方が俺より年上だ。


「おじさん、車種は? CF五〇って何?」


 晶さんが登録書類を見て訊ねた。登録書類には車種の欄に『ホンダ』としか書いていない。登録時の書類はカブであろうがモンキーであろうがホンダ製なら車名は『ホンダ』なのだ。


「えっと、何やったかな? 最後を伸ばすか小さい『イ』かで迷うん奴。そうそう、シャリーや」


 晶さんは「シャリーですね」と言いながら書類に記入した。


「えっと、色は何系の色でしたっけ?」

「黄色やね、黄色のファミリーバイク」


 二十年ほど前まではスクーターより細身で少しタイヤが大径な『ファミリーバイク』ってジャンルがあった。スクーターと違うのは車種によってマニュアルクラッチや遠心自動クラッチのギヤ付きだったことか。スクーターに駆逐されたジャンルのバイクだ。『おばちゃんバイク』とも言われて実際に奥様方がお買い物でよく乗っていた。だが岡部さんにそれは教えない方が良いだろう。五十代は自身が完璧におばちゃんなのを認めたくないお年頃だから。


「お買い物に便利やのに、出てこんかったらどうしよう……」

「大丈夫、深雪は私を信じて」


 俺がどれだけなだめてもブチ切れ状態だった岡部さん。そんな彼女を少しお腹が大きくなった男装の麗人はいとも簡単に落ち着かせたのだった。


◆        ◆        ◆


「聞きましたよ、怖い人が居るんですねぇ」


 少し暗くなってから浅井薫旦那さんがご来店。


「あら、今日は晶さんのカブ?」


 薫さんはオートバイ自粛中の晶さんに代わってスーパーカブ改と郵政カブを交互に乗っている。オートバイは乗らずに放っておくと調子を崩す。特にキャブ車は燃料が変質してジェットを詰まらせたりで不動状態になる車体が多い。


「動かさないと調子が崩れますからね、それに晶ちゃんは車通勤してますから」

「そうやね、赤ちゃんに何かあったら大変やからね」


 高嶋署まで電車で通うとなれば今都町内を歩く事になる。身重な体で歩くのは少々物騒な街だ。車で通勤する方が良い。薫さんはカブ改と郵政カブで店に通い、晶さんが薫さんの軽自動車で高島署へ通う流れになるのは当然だろう。


「もう名前は決めてあるんですよ、晶ちゃんがメープル味ばかり食べるから『かえで』にしようって」

「良い名前やね」


 女性と間違うほど可憐で小柄な薫さんが父親になり、男性と間違える程凛々しい晶さんが母親になる。その二人の子供はどうなるのだろう。何とも混乱しそうなご家庭になりそうだ。


「ところでおじさん。ストーカーの件でちょっと提案があるんだけど」

「助かる」


 あのストーカーのFaceboxは毎日監視しているが支離滅裂なうえに内容が下品極まりない。しかもリツコさんを妊娠させるとまで言っている。流石のリツコさんも「怖い、やだ」と怖がっている。


「言動がヤバいだけでまだ何もやってないからな、警察は動きようが無いんやろう」

「逆に何かをさせる方向へ持って行けば良いんです。僕とリツコさんは―――」


 薫君の案は実に興味深いものだった。

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