2022年 5月
プレスカブを直す男①
排気ガス規制絡みでキャブレター制御のオートバイが生産終了して二十年ほどになる。当時のスーパーカブは車体色を変えてお洒落にした『ストリート』や小洒落た外装にした『カブラ』、そして十四インチタイヤと専用外装をまとった『リトルカブ』が一部の若者に流行っていた。アニメや小説の登場人物たちが乗っているカブはこの辺りの年式の物だ。
「丸ごとやと三万五千円か、ん~けっこうするな」
「自分でリムとスポークを張り替えたら出費は抑えられるけどな」
そんなスーパーカブも今や絶版車となり価値が出つつある。いや、もう価値が出ている。価値が出ればコレクターが手放さないから中古車のタマ数が減る。幸いな事に現行のカブが昔っぽい『カブらしいカブの形』になったおかげでスタイルにこだわって古いカブを求めるユーザーは少し減った。
「プレス(カブ)は専用部品が多いから予備を持っておこうと思ったんやけどなぁ」
だが、乗るだけでなく弄るために古いスーパーカブを求めるユーザーはまだ多い。旧車としては求めやすいお値段で維持しやすいスーパーカブは今もプライベーターに大人気。そんな古めなカブだが最近は生産・供給停止・在庫なしの『ゴソウダン』の部品が増えてきた。SNSで「シートのヒンジが出ない」と嘆くユーザーを見た時は驚いたものだ。刻一刻と純正部品が尽きる時は迫っている。
「年々部品の値段が上がるしな、正直言うと常に『買うなら今』なんや」
「さすがにスポーク張替えまで手を出すのはなぁ……」
スポークホイールの修理は四輪の世界ではクラシックカーや一部のカスタムカーを覗いて絶えてしまった技術らしい。大概の事ならチャレンジするプライベーターや四輪の整備経験者でも手を出す物は多くない。
今日来たプライベーターの中島もそのうちの一人だ。
「正直言えばアッセン交換がお勧めや、長く乗るなら丸ごと交換して真っ新にする方が良い。何だかんだで古いバイクや、これから先はどんどん(部品の)値段が上がる」
「それはわかってるんや」
この中島ってのは大胆かつ臆病な男だ。大胆と臆病は相反する性格と思えるが、こいつの場合は臆病ゆえ心配要素を潰すために大胆な部品交換をする。当然だが金も使うわけでウチにとって良い客なのだが……今日は歯切れが悪い。まるでマフラーにカーボンが詰まったツーストスクーターみたいだ。
「どうした、なんかテンション低いぞ?」
「ん~っとな……ちょいと仕事で悩み事」
中島は一見何が在っても動じなさそうな外見だが、中身は思いのほか繊細で神経質だったりする。繊細で神経質、そして臆病。その上に健康上の理由で酒も飲めないとくれば憂さ晴らしも出来ず、滅多に他人に相談しない事もあって悩み始めると追い込まれてしまうのだ。
「悩み事なんぞ吐き出してしまえ、アドバイスはできんけど愚痴やったら聞くで」
「そうか、実はな」
中島の勤める会社は繊維関係の仕事をしている。繊維工業が盛んな真旭町にある社員が十名にも満たない小さな会社だ。海外の製品に押されて斜陽産業と言われる業界であり、どの会社でも社員の高齢化が進み世代交代の上手くいかない業界だと言われている。
「今までなあなあでやってた記録をな、書類にしようとなったんや。先に入った人らが作り始めたんやけど、何週間たっても原案すら出さんのや……」
しびれを切らした社長が大騒ぎをし始めて、見かねた中島が「こんなのでどうですか?」と定規で線を引いた手書きの原案を提出した途端に矛先は中島へ向き、結局全てを任されてしまっているらしい。
「工場長は『若いもんにやらせんと勉強にならん』って言うてるし、社長は『努力すれば何でもできる!』ってぎゃんぎゃん騒ぐ。先輩らは家事が忙しいとか家業があるとかで知らんぷりしてる、俺かって持病でしんどいのに……」
聞いただけでも嫌な雰囲気の漂う会社だ。きっと組織として成り立っていないのだろう。
「無理するなや、せっかく体の具合が良くなったのにまた体を壊してしまうで」
「うん、でも社内のグループLineで俺ばっかりいろいろ言われる」
グループLineを見せてもらったら中島が書いた書類の原案と『で、〇〇の欄は?』とか『○○はどこへ記入しますか?』と社長からのメッセージが交互に並んでいる。
「そもそも何を書くかすら知らんのに、次々と思いだしては『〇〇は?』って聞かれて。あらかじめ『何を書いたらいいですか?』って聞いたのに思い出してはポンポンメッセージを送ってきて、そのたびに追加追加・書き換え書き換えや。プライベートの時間が無いわ……これが深夜まで続くんやで……」
社長らしきメッセージには絵文字や妙なフォントが使われている。これは仕事上のやり取りとしていかがなものだろうか? 会社の代表としての資質が問われる。
「ま、それももうすぐ完成やから。ともかくあのプレスカブのリヤホイールだけに四万円近く金をかけるのは厳しい。急ぐわけじゃないから考えとくわ」
プレスカブは何気に専用部品が多い。スイッチやハーネス、メーターに荷台……等々。スーパーカブの部品で代用は出来る。だが、本来のプレスカブに求められる性能にはならないだろう。
「無くなったら後悔するからな、結論は早めに出してな」
「うん、最悪の場合はリムとスポーク交換を頼んます」
本当の最悪は専用部品の供給が終わってカブ五〇や九〇のスイングアーム以降をゴッソリ移植しなければ直せない時だろう。
「それとな、くれぐれも無理はするなよ。愚痴は聞くからな」
「うん、じゃ」
中島は弱々しく返事をして愛車のジャイロXに乗り込んだ。
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