2021年 10月

右から左へ受け流す

 スーパーカブの中で特殊な車両の筆頭と言えば郵政カブだろう。タンク部分が別体のフレームやテレスコピックフォーク、郵便事業ために特化した装備なだけでなくエンジンまで違うグレードが有るのはカブマニアなら誰でも知るところ。新車は一般ユーザーが購入できなかった。郵便局限定で販売された希少車だ。


 そしてもう一種類ある特殊なスーパーカブがプレスカブ。こちらは一見普通のスーパーカブだが新聞配達に特化している。普通に買えるから大きな前カゴを目的に買った一般ユーザーも居ると聞く。普通に買えたのだから希少価値は無いと言ってもよいだろう。


 郵政カブとプレスカブ、どちらもスーパーカブと違って面倒なことがある。共通しているのは装備品が多い事、そして酷使された車体が多い事。郵政カブは以前からプレミア価格(酷使された車体だからきちんと整備されていれば高値にあるは当然なのだが)だったが、最近は古いカブの人気が高まっているからか、驚くほどボロなプレスカブがネットオークションで出品されている。


 時は止まることなく流れ、気が付けば十月。無花果のジャムを造ったり、出来た無花果ジャムをご近所に分けたり。そうそう、レイはヨーグルトに無花果ジャムを入れて食べるのが大好き。リツコさんと一緒に「美味しいね♪」と言いながら食べていた。見た目だけでなく食べ物の好みも似ている様だ。


 大酒呑みになりませんように。


「ふ~ん、おじさんでも直さないカブが有るとね」


 この辺りのお客さんで珍しく、九州訛りで話すのは椛島さん。旦那さんの転勤で九州から高嶋市に引っ越して来た奥様だ。今日はテールランプのレンズ交換でご来店。買い物で駐輪場に停めていたら割れていたんだとか。恐らく自転車にでもぶつけられたのだろう。


「これは直しても手間がかかりすぎる。手間の割に儲からんからね。それやったら直すのが趣味な人へ売る方が良い」


 椛島さんは「レストアベースって奴ね」と少し嫌そうな顔をした。椛島さんのカブが『乗らなくなるまでは問題なし・レストアベース』として売られていたものだからだろう。実際はボアアップの作業ミスでエンジンの載せ替えをしなければいけない状況だった。


「レストアベースってより『白地のキャンバス』かな?」


 下手にカスタムされた車体より、ボロでも素な車体の方が修理するには都合が良い。元の状態がわからないのは整備だけでなくカスタムするにも良くない。そう伝えると椛島さんは笑いながらこう言った。


「キャンバス以前に部品が無か」


 椛島さんの言う通り、今のところプレスカブは帆布キャンバスが貼られていない木の枠状態。


「キャンバスどころか枠だけや、でも大丈夫」


 このカブを買おうか悩んでいるのは落書きされてボロボロになったキャンバスに新たな布地を張ってしまう趣味人だ。


「これを買おうとしているのは帆布キャンバスを織ってしまう男や」


◆        ◆        ◆


 今年の夏、特にお盆の時期は天気が悪く夏というより梅雨みたいな天気だった。レイが水遊びするのにビニールプールを買ったのだが使わず終い。それでも季節は巡り十月となればツーリングだけでなくオートバイ弄りも楽しいシーズン。

 

「大島ちゃん、それは高すぎやないか?」


 プレスカブを買いに来た中島は値段と告げた途端に文句を言い始めた。提示した値段は八千円、買い取り価格の倍はボッタクリだろうか? いくらなら買うかと問うと、「書類とハーネス、前後の足回りが付いてるから五千円、それ以上なら買わない」と返事が返ってきた。なかなか良い所を突く奴だ。


「う~ん、ウチも商売でやってるから損してまではチョットなぁ」

「修理に金がかかるやろ? これ以上出すのは無理やで」


 仕入れ値は四千円だから損をするわけではない。修理に手間がかかる車体だから持って行ってもらえれば作業場のスペースが空く。千円とはいえ利益になるのは間違いない。


「現金で?」

「もちろん現金で」


 何もせず千円を稼げるなら文句は無い。右から左へ流して儲けが出るなんて楽な仕事だ。一瞬だけ悪魔に魂を売って転売屋になってしまおうかと心が揺らぐ。


「一円を笑うものは千円で千倍笑える……商談成立っ!」

「商談成立……って、これ四千円で仕入れたんか?」


 中島は「うん、うん。商売やから儲けを出さんとな」と言って五千円を出した。


「釣りはいらんで」

「丁度やないか、領収書を書くから待っててな」


 領主書を書いている間に中島が軽バンにラダーをセットした。ラダーを持ってきているって事は値段がどうだったにせよ買ったはず。もう少し吹っかけてもよかったか。


「それにしても誰も手を出さんようなもんをよう直そうと思ったな」


 タイダウンベルトを荷室のフックにかけてプレスカブを固定する中島に言うと、「大島ちゃんも誰も手を出さんものに手を出した」と返事が返ってきた。


「ウチはカブのお店やから、基本的に何でも直すで」

「いや、バイクじゃない」


 じゃあ何かと聞くと中島はこう答えた。


「三十路の女」

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