2021年 9月

無い無いの……。

 現実は小説よりも奇なるもので厳しいもの。安物買いの銭失いとはよく言ったもので、ネットオークションや個人売買で安いミニバイクを買って、思ったよりも修理に金がかかり「こんな事なら……」と嘆く者は絶えない。


「ネットで買うたやろ? 現物確認はしたんか?」

「いえ……値段だけを見て入札してしまって……」


 ウチに「チョット見てほしいんですけど」なんて言いながら来る客の八割方はネットオークションや個人売買で手に入れた者だ。値段ばかり見て大事なことを見逃しているのは無知ゆえか、それとも無知な者を騙す輩がいるからか。


「自分の手を汚して作業する覚悟と知識がないと高くつく、それでも部品代はかなりかかる。どうする?」

「何とかなりませんかね?」


 ネットオークション自体は悪いものではない。悪いのは無知な者を騙して小金を稼ごうとする悪い輩だ……多分。


「そりゃ何とでも出来ます。ただ、ウチも商売やからね」


 何とかしてやりたい気持ちはあるのだが、ウチも商売でやっているからには損をするわけにはいかない。損さえなければ作業場の提供や多少の手伝いをしないではないが、この『何とかなりませんか』は『安く直してくれませんか』の意味だろう。


 両親が居なく趣味も無い、何もない『無い無いの女の子』が一万円の小さなオートバイを手に入れてから世界が広がる……そんなバイク小説がアニメ化されて以降、ウチだけじゃなく他の店にも安くで手に入れたであろうミニバイク……っていうかスーパーカブが持ち込まれているらしい。特に多いのが緑色で丸ライトのキャブ車だ。


「そもそもな、コレはカブやけど『スーパーカブ』じゃない」

「え?」


 スーパーカブは使用目的や用途によって細かな部分が変更されている。変更が多岐にわたる場合は別名が与えられているものが有る。目の前にあるカブもそのうちの一台だ。


「これな、新聞配達用の『プレスカブ』や。ちょっと厄介やで」


 多くの部品が外されているが、新聞配達に特化したプレスカブの特徴が残っている。前カゴを設置する前提のネジ穴付きフロントフォーク、そしてメーター内に三速のインジケータ。スイングアームに取り付けられたサイドスタンドや強化されたブレーキやハブは紛れもなくプレスカブの物。


「配達で酷使されて部品を剥がれたプレスカブ、しかも欠品だらけや。直すとなれば部品代だけでかなりかかる。悪い事は言わん、下取りするからウチで整備した中古を買い。その方が安心やで」


 ざっと見たところ走るようにするだけで五万円くらいかかるだろうってところ。外装を手直しして元の形にするにしてもカスタムするにしてもさらに金がかかる。そもそもエンジンが無ければキャブレターも無い。タイヤは丸坊主だし、シートも荷台もステップもマフラーもブレーキワイヤー・メーターケーブル・ウインカー……諸々が欠品……これでは『無い無い』は女の子ではなくてのカブの方だ。お客さんも諦めたのだろう。ため息を一つついて「じゃあ別のバイクで安い物を」とスーパーカブではなくてスクーターをご購入と相成った。


「まいどあり、書類は……これか。書付きフレームやから四千円(で買い取り)ってところかな?」

「本体価格が一万円、送料込みで二万円以上したのに、そんなぁ……」


 残念だが送料と車体の買い取り価格は別物だ。個人で直すなら一万円でも納得かもしれないが、直して利益を出すとなれば四千円でも高いくらいだろう。


「ま、勉強代やね。個人売買やったらもう少し高値で買い取る人が居るかもねぇ」


 旧車雑誌の個人売買コーナーに乗せれば好き者が買い取るかもしれないが、そこまで手間をかけたくないのか嫌なことを忘れたいのか、四千円はスクーターの代金に回すこととなった。


「さすがにこんなカブは趣味人でも手を出さんやろ、出すとしたらカブマニアかフレームが腐ったカブを起こそうって奴くらいや」


 見たところ欠品だらけだがフレーム自体に致命的な曲がりや亀裂、そして錆や腐りは無さそうだ。特に腐りやすいリヤフェンダーのつなぎ目もそれほど酷くない。新聞配達で使われたのではなくて自家用だったのだろう。フレームの腐った廃車が入庫したら部品を移植して商品化しよう。


「まぁプレスカブを直したいって趣味人はらんやろう」


◆        ◆        ◆


 少し古いスーパーカブに希少価値が出始める前、修理に手間と金がかかるほど酷使されたスーパーカブは海外に輸出されることが多かった。海外では中古のスーパーカブは大人気だからだ。


「レイちゃん、今日はいい子にしてたかな?」

「ママ、だっこ!」


 一昔前ならリツコさんみたいな若い(って事にしてね♡ byリツコ)女性がスーパーカブに乗るなんてあまり無い事だったと思う。十四インチタイヤを採用したリトルカブが出始めた頃からだろうか、通学や業務以外で使われるスーパーカブを多く見るようになった気がする。


「おかえり、お風呂にする? ご飯にする? それともお酒?」


 我が家は世間一般のご家庭と若干立場が違う。どちらかといえば俺が家のことを担当するから主夫ってところ。


「お風呂にするね、レイちゃんと入ってくる」

「ん、じゃあビールを用意しておく」


 リツコさんがリトルカブに乗り始めて約四年、カブを取り巻く環境だけでなく彼女も大きく変わった。大型バイクを乗り回していた絶世の美女は今やリトルカブで通勤する一児の母。


 もしかすると欠品だらけのプレスカブも扱いが変わるかもしれない。この時の俺はまだ、下取りしたプレスカブの未来を全く予想していなかった。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る