レイ・絶望する。

 「絶望した!」の叫びが大晦日の高嶋町内に響き渡った。叫んだ理由は一つだけ。リツコさんが録画しておいた『スター愛車遍歴』で女優の葛城美紀が休業を発表したのだ。ネットニュースによればすでに休養中で、十一月半ばから仕事をセーブしてしているとか。休業期間は未定で理由も発表されていないけれど、マスコミ各社は多忙による体調不良だと報道している。


「レイちゃん、落ち着いてっ! それは原液っ! レモンサワーの原液っ!」

「落ち着けるかぁぁあぁぁぁあ!」


 ご機嫌で番組を見ていたところへ衝撃の告知。酔って転がっているリツコさんのことなどどうでも良いとばかりにレイちゃんは荒れに荒れて酒を呑み……。


「てやんでいべらぼうめ、わ~ん美紀様ぁ……きゅぅ……」

「あ~あ、そこまで呑まなくてもいいのに」


 レイちゃんは呑んで呑んで呑まれて呑んで、呑んで酔いつぶれて寝てしまうまで呑んだ。その量はレモンサワー(アルコール度数二十五度)の原液四リットル。さらに焼酎を一升チョット。


「う~む、ベロベロになるとリツコさんと同じになるんだなぁ」


 ……って、感心してる場合じゃないね。二人とも早く寝かせなきゃ。コタツで寝たら風邪をひくか脱水症になってしまう。


わたひ……せいろうふぃかしにゃいのれ成功しかしないので~」

「はいはい、大失敗大失敗」


 いつもなら酔っ払いリツコさん一人を二人で担いで運ぶのに、今日は一人で二人の酔っ払いを運ばなければいけない。


「労力は四倍、さぁてと……がんばるか、最初はリツコさんから運ぼう」

「にゃあ~ん、中さんチューしてぇ……にゃふ……」


 夢の中でおじさんにおんぶでもされているのだろうか? 比較的おとなしく背中に乗ってくれたリツコさんは運びやすかった。


「僕はおじさんじゃないですよ、くすぐったいから止めてください」

「にゃあ~うぅ~」


 妙に耳をカプカプ甘噛みするのが気になったけど。まぁいいや、次はレイちゃんだ。背負った感触がリツコさんに似ているけれど、少し張りが強い。ちょっとドキドキする。


「はいはい、レイちゃんもお布団で寝ようねぇ」

「う~ん、男装の麗人は別腹ぁ……楓ちゃん……むにゅむにゅ……」


 わぁ、初めて『むにゅむにゅ』って寝言を聞いた。


「はいはい、御指名ありがとうございます楓ですっ……と」


 酔っぱらったレイちゃんを布団に寝かせようとしたら、グイと手を引かれて抱きつかれ(っていうか羽交い絞めだ)た僕は、なし崩し的に同じ布団で眠ったのだった。


◆        ◆        ◆


―――――翌朝―――――てーれーれーれてってってー


 HPが全回復して状態異常も解除された僕たち(僕は全回復してないけど)は買い物ついでに本田サイクルへ。リツコさんはコタツにこもって出てこないから放置。


「同級生やから何か聞いてるかもしれん」

「知らないと思うけどなぁ」


 レイちゃんは鼻息荒く「すべてのカブは本田サイクルにつながる」と、リツコさんから借りたリトルカブ改をかっ飛ばし、ステップを擦らんばかりの勢いでコーナリングして本田サイクルを目指した。


「おばちゃん、これは依頼料。情報を仕入れたい」

「……用件を聞こう」


 店は大掃除を終わってシャッターも閉まっていたたけど、レイちゃんが昨日ついたお餅を本田のおばさんに差し出すと、おばさんは居間へ招いてくれた。


「先客と理生りおが居るけどいいかな?」


 昭和チックな引き戸を開けるとこれまた昭和チックな大きなコタツ。おじさんと話しているのはお友達だろうか?


「お? いらっしゃい」

「え? リツコ先生と葛城さん? でも二人とも若い?」


「はうあっ!」


 おじさんと一緒に居た女性がこちらを向いたとたん、レイちゃんが鼻血を流して崩れ落ちた。おじさんの向かいに座っていたのはスターのオーラを隠しきれない女性の姿。


「じょっ……女優のかっ……葛城美紀っ?! 何でっ!」

「呼び捨てにすなっ! ちゃんと『美紀様』って呼べっ!」


 立ち上がったレイちゃんが拳骨を僕の頭に振り下ろした。ポカリと叩かれた僕が頭を押さえていると、本田のおばさんがレイちゃんの鼻にティッシュを詰めた。


「はい、『男装の麗人』こと葛城です」

「尊い、尊すぎるっ!」


 微笑む葛城美紀を見たレイちゃんは大興奮。普段のクールビューティはどこへ行ったのだろう?


◆        ◆        ◆


「は~、なるほどね、リツコ先生の娘さんと『高嶋署の白き鷹』の息子だけあってそっくりね。改めまして、轟美紀……芸名・葛城美紀です」


 葛城美紀さんは芸能活動を休止して故郷の安曇河に戻ってきていたそうだ。愛車遍歴が休止前の最後の仕事で、オンエアした頃には実家に戻って大掃除をしたりセカンドバイクでツーリング堪能していたんだとか。


「でも、二人とも雰囲気が無いよね? いい女・いい男のオーラが感じられないね」

「僕はパン屋の見習い、レイちゃんは不動産会社勤務ですからね」


 僕と葛城さんばかり喋っているのはレイちゃんが感動して声が出ないから。


「で、ここに来たのはカブのことやろ? オンエアを見て何か聞きに来たのかな?」


 おじさんが問うとレイちゃんはコクコクと頭を縦に振った。


「理生ちゃん、バナナも食べる?」

「たべるっ! お兄ちゃんといっしょにたべるっ!」


 理生ちゃんは胡坐をかいた僕を座椅子代わりにしてバナナを食べ始めた。まるで子猿がバナナを食べてるみたいで可愛らしい。おばちゃんは今日もびっくりする様なペースで御茶菓子を食べているけど、葛城さんは何も気にしていない様子だ。同級生だからおばさんの大食いは見慣れているのだろうか?


「私のカブは納屋にあったのを大島のおじさんに直してもらったのよ。それからずっと私が乗ってるの」

「じゃあピカピカなのは高校の頃からですか? この前のテレビではもっとヤレてた気がしましたけど」


 葛城さんのカブは撮影場所へ持って行って全国各地を走り回った結果、かなり傷んでしまったそうだ。仕事に空きが出た五年ほど前に大島サイクルへ持ってきてレストアを依頼したのはよいけれど、納期は遅れに遅れて完成までに一年以上かかってしまったとか。


「頼んだのは良いけれど、大島のおじさんが体を壊してどうなるかが心配だったよ」

「結局僕が引き継いで完成させたんだけどね、エンジンはおじさんで塗装は高村ボデー。車体は僕が組んだんだ」


 一年数か月後にレストアが完了したときには店は本田夫妻が受け継いでいた。つまり大島のおじさんが関わった最後の仕事、本田さんの最初の仕事なわけだ。


「ん~? じゃあ美紀様は父の店に来てたんですよね? お会いしたことは有りましたっけ?」


 あ、鼻血が止まったレイちゃんが復帰した。


「会った事は無いね、私は変装してたし、お父さんも『大騒ぎになるから静かに頼む』って言ってたからね。私が来たのはレイちゃんは大学に行ってた頃かな? お父さんは『今都中学の教師に中卒でもできる仕事って言われて悔しかった。だからレイが馬鹿にされんように意地でも大学に行かせて良いところに就職させる』って言ってたからね」


 憧れの女優とのニアミスを知ったレイちゃんは「そんな事が有ったんか」と驚いていた。


「親父さんはともかく、僕たちも美紀ちゃんに口止めされてたからね」

「そうそう、引き継ぐときにおっちゃんから『美紀ちゃんのバイクが仕上がらん。引き継いで仕上げてくれ』って言われてさー、来てることを知らんかったし、びっくりしたで」


 本田夫妻が言うには店を継いだ時には葛城さんにカブは入庫していたんだとか。塗装を終えて組み立てようかって時におじさんが入院してしまったからバラバラな状態だったんだって。いろいろと話をしているうちに葛城さんの芸名の話になった。

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