金一郎と明日香③

 志麻さんが家政婦を引退するとなって困った俺は後釜に若い女性を連れてきた。借金返済で風俗で働かさる寸前だった彼女の名前は五十鈴明日香、どこかで聞いたような名前だが思い出せない。なかなか賢い女性で簿記会計はできるし料理もできる。試しに好きなだけ使ってよいとクレジットカードを渡そうとしたら「無駄使いの元です」と断られた。なんでも毎月決まった金額でやり繰りするのが楽しいのだとか。


「今まで見てきた女と大違いやな……」


 今日も中兄ちゃんが修理したスーパーカブで買い物に出かけた。買い物に便利な軽自動車でも買ってやろうかと思ったが「こっちの方が小回りが利いて良いです」と頑なに拒む。ただ、雨の日は買い物へ出かけず冷蔵庫の中にあるもので食事を作っているようなのでそのうち屋根つきの三輪バイクでも買おうと思う。


「良いお嬢さんや」


 志麻さんは熟練の技で頼りになったが明日香さんは明日香さんでフットワークが良い。家政婦の経験こそないが忙しかった両親を手伝っていたからと家事も難なくこなしてしまう。一緒に暮らしていて何の問題も無い。いや、問題はある。五年間働けば立て替えた借金が返済できてしまうことだ。借金完済は良いのだがその後はどうなるのだろう。二十代後半のアラサーと呼ばれる年齢で再就職するのは楽ではないだろう。もしも彼女が望むなら家政婦を続けてくれてもよいというか続けてほしい。


「何とか我が家に居てくれんもんか……」


 大麻騒動に始まり新型肺炎のニュース映像ですっかり今都町は評判が悪くなってしまった。おかげで差し押さえた物件の価値が暴落して頭が痛いところだ。悩んでいたら彼女は「コーヒーばかり飲むからですよ」と豆乳を出してくれた。確かにコーヒーと違って落ち着く。実に気が利くお嬢さんだ。


「さぁ、何とかして稼がんとなっ!」


 まず最初に取り掛かるのは六城石油の移転先探し。明日香さんの言う通り居抜きの物件をあたってみよう。


◆        ◆        ◆


 スーパーカブはふぉーすとろーくエンジンです……だそうです。以前お借りしていた兄貴分さんの三輪バイクはつーすとろーくエンジンでオイルが減るだけでしたが、スーパーカブのエンジンはオイルが減らない代わりに汚れるそうです。汚れたオイルが良くないのは天ぷらと一緒ですね。私はオイル交換が出来ないので兄貴分さんのお店にお願いしています。


「で、金一郎とは仲良くしてるんか?」

「はい、金一郎さんは良くしてくださってます」


 兄貴分さんは金一郎さんと幼馴染だそうで、兄貴分さんのご両親も金一郎さんを大変可愛がったそうです。お仕事では怖い金一郎さんですが兄貴分さんの前では自分の事を『僕』とか言って可愛かったりします。


「ん? 『金一郎さん』?」

「はい、身寄りのない私に良くしてくださっているのに、私は何もできません」


「明日香さんは十分頑張ってると思うぞ」


 私が出来るのは掃除や洗濯、そして料理だけです。只々普通に家事をしているだけなのにお金をもらう。そんな事が良いのかと兄貴分さんに問うと兄貴分さんは「家を守るのは大事な仕事やで」と言ってオイル交換を続けました。


「誰かと一緒にメシを食うとか帰ると電気が点いてるとかってスゲーありがたい事なんや。あんたは金一郎の居ん間に家をキレイにして料理を作る。それが金一郎の求めてることと違うんかなぁ」


 兄貴分さんは私が億田家に来た理由を知っています。私の過去を知っているのはごく一部の人だけです。


「そんな事でイイんでしょうか?」

「イイも何も料理が出来んと我が家に居ついたニャンコリツコさんが居るくらいやで、金一郎もええ歳やから外食より家庭料理が良いはずやで。あいつは料理はそれほど得意じゃなかったと思うで」


 先代家政婦の志麻さんは「金一郎ちゃんは一人でいるとインスタントばかり食べてしまう」と嘆いていました。


「そうや、金一郎ちゃんは料理はできるけどレパートリーが少ないんやで」

「あ、志麻さん。ご無沙汰してます」


 今は乳母さんとして大島家で働いている志麻さんが赤ちゃんを追いかけて店舗に来ました。お嬢さんのレイちゃんは生後八か月近くになりハイハイが出来るようになりました。多少の凸凹があっても這い登るレイちゃんを兄貴分さんは「走破性が良いからハンターカブやな」と目を細めて見ています。


「大島さん、この子は元気が良すぎですわ。猪突猛進とはこの事ですなぁ」

「元気があればなんでも出来る。レイ、元気ですか~!」


 手をパチパチ叩いて笑うレイちゃんは元気そのもの。最近は離乳食をモリモリ食べて志麻さんを驚かせているとか。好物はパン粥だそうです。


「まぁ気にせんと仲良う暮らさんせ、金一郎ちゃんは金曜にカレーを出すと喜びますえ……レイちゃん! 今度はそっちか?」


 イノシシみたいな勢いでハイハイするレイちゃんを追いかけて志麻さんは住居へ戻っていきました。


「まぁアレやな、どうしても何かお礼をって言うなら、頭にリボンをつけて『プレゼントはワ・タ・シ♡』ってのも手段やな」


 そんなベタな演出が良いのでしょうか? 私は恋愛経験が無いのでわかりません……。でも一つだけ決めたことがあります。今日の夕食はカレーライスです。

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