金一郎と明日香④

 明かりがついている家に帰るのは良いものだ。明かりは誰かが待っていてくれる証拠、母を亡くしてからの儂はドアを開けて最初にすることが照明をつける事だった。


「ただいま~」

「あ、金一郎さんお帰りなさい」


 家の中に漂うのはスパイシーな香り。今日の夕食はカレーに違いない、金曜日のカレーは良いものだ。土曜の朝に一晩経って更に美味くなったカレーを食べられる。


「今夜はカツカレーですよっ!」

「ほほう、この暑い最中さなかにガツンと食べさせるか」


 幸いなことに儂は夏バテなんかしない。ただ、今日はあちこち移動して仕事をしたからまともな食事にありつけなかった。


「もっと軽いものが良かったですか?」

「いや、暑さに勝つ為にはしっかり食べんとな」


 家に帰って食事が出来ているのはありがたい。一人暮らしだとどうしてもインスタントや惣菜を買ってきて済ませてしまう。


「でも最初にサラダを食べてくださいね、お野菜は体をリフレッシュさせます」


 夕食のメニューがカレーだとカレーばかり食べてしまう儂を見た明日香さんは最初にお鉢山盛りの野菜サラダを出すようになった。最初は嫌々食べていたが、ドレッシングを工夫してくれたおかげで美味しく食べられるようになった。家の事は何から何まで頼りっぱなし。折り合いが悪かった祖父母に虐げられ、母に『お前なんかいなければ』と言われ続けた幼少期。もしも幸せな家庭だったらこんな感じかなと思う。


「どうしました? 私の顔に何か付いていますか?」

「いや……さぁカツカレーを食べるために野菜サラダを食おう。いただきます」


 誰かと話しながら食べる飯はなおさら美味い。


「五年……か」

「はい?」


 思わず口に出た借金返済までの期間。出来ればそれ以降も我が家に居てほしいものだ。


◆        ◆        ◆


 食事を終えひとっ風呂浴びてからは書斎兼寝室で仕事の資料を整理する。何件か目星をつけて当たってみたが、相変わらず今都町住民に対する人々の嫌悪感は大きく六城石油の移転先探しは難航中。さてどうしたものかと椅子にもたれ掛った時、コンコンとドアがノックされた。


「金一郎さん、今よろしいですか?」


 急ぎの仕事ではない。丁度集中力が切れたところだから休憩がてら話し相手になってもらおう。どうぞと答えるとドアが開き、パジャマ姿の明日香さんが部屋に入ってきた。


「丁度良かった、休憩しようと思ってたんや」

「あの、少しご相談が」


 普段のエプロン姿と違ってパジャマ姿の明日香さんは愛らしい。それにしても相談とは何だろう。仕事が辛いのだろうか? それとも何か困りごとだろうか。


「ん、相談か? 仕事が辛いんか? ご近所と上手くいかんのか?」


 正直な話、儂は安曇河町生まれだが人生の大半は別の土地で過ごしている。ご近所からすれば余所者に見られても仕方がない。


「いえ、ご近所さんとは上手くお付き合いできていると思います」


 だとすれば小遣いが足りないとか月々の生活費が足りないなどの金銭的な事だろうか。新型肺炎騒動や長雨の影響で野菜の値段が高騰しているから仕方がない。生活費が足りないのかと問うとそれも違うと首を振る。


「ははぁ、バイクやな? お買い物に使うバイクが不便なんやな? そう思ってたんや。そうやなぁ、ガチャガチャとギヤを変えてんるバイクは面倒やもんな。屋根つきの三輪バイクを買おうかなと思ってたんや。早速手配するわ」


 中兄ちゃんに頼んでピザ屋のバイクジャイロキャノピーを仕入れてもらおうと思ったその時、明日香さんが大慌てして叫んだ。


「違いますっ! そんなにしてもらったら申し訳ないですっ!」

「夜中に大声を出さんすな、じゃあ何やいな?」


 これ以上相談される理由を探したが心当たりはない。困っていると明日香さんがパジャマを脱いで下着姿になって三つ指をついた。


「風俗で働くところを救われてここまでお世話になっているのに、私に出来るのは家事だけです。何のお礼もできません……ですから……」


 抱いてくれとでもいうのだろうか。残念ながらこの億田金一郎、女に不自由はしていない。


「家事は大事なお仕事、それが必要やからウチで家政婦をしてもらってる。話し相手や出張のお供もしてもらってる。だから寝間着を着てくれや」


 最近の若い女の子らしい長い手足、豊かなバストに引き締まった腰回り。それを際立たせる腰から足にかけての脚線美は美しい。なるほど、風俗に流せば稼げるだろう。もしかするとこの娘は悪い業者に嵌められたのかもしれない。


「でも……でも……」

「それにな、この億田金一郎は銭は銭で返してもらうのが信条。明日香さんの時給は渡してる四万円以外は全部儂に入ってる。抱いたとしても借金は減らん。全部払うまでの五年間、きっちり働いてもらうで」


 借金を理由に女を抱くのはポリシーに反する。男と女はフェアな関係でなければいけない。


「ごめんなさい……嫌いにならないで……」

「泣かんでもエエがな、五年間働いたら自由や。その代りそれまでの間は我が家の雑用とか会社の手伝いとかこき使うで。だからそういうのは大事な時までとっておこうな」


 言っておくが、儂が欲しかったんは家政婦さんなんや。愛人とかスケベの相手と違う。


「頑張りすぎて疲れたんやな、ちゃんとクーラーを効かせてグッスリ寝。寝不足やから変なことを考えるんや、遠慮せんと涼しゅうして寝て疲れをとる」

「はい、ごめんなさい金一郎さん。おやすみなさい」


 そそくさとパジャマを着た明日香さんはグスグスと鼻を鳴らしながら自室に戻っていった。


「おやすみ、明日からも頼むで」


 素直な良いお嬢さんだ。借金が帳消しになったら素敵な男性にめぐり合わせて我が家から嫁に出してやりたいものだ。出来る事なら彼女に明るい未来が来ますようにと願いつつ、部屋の電気を消した。

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