蒼柳区のバート・マンロー③
バイクを盗むだけでも許せないところだが、敷地内に侵入して倉庫のバイクを盗む輩が居るとなっては安心して商売ができない。幸いなことにわが大島サイクルには白バイ隊員の『高嶋署の白き鷹』と、刑事の『はぐれている刑事』が顧客にいる。白き鷹こと葛城さんは結婚式の延期やその他諸々で忙しいだろうから安浦刑事に連絡をした。
「ああ、交番勤務の奴らですね。注意しておきます」
事情を話すと安浦刑事はどこか連絡してから椅子に腰かけた。
「最近の若い奴らはサボりが多いんです。困ったもんだ」
「安浦さんも若いやん、老け込むには早いで」
安浦刑事は少し前に大手柄を挙げたおかげか署内での立場が少し良くなったらしい。今都町であった大麻絡みの大捕り物で安浦刑事と滋賀県警は株を上げ、今都の地位と地価は思い切り下落……そのあたりはどうでもよい話だ。
「オートバイでも大型となれば海外に輸出とか、分解して部品をネットで流すとか聞いたことがありますね。で、今回はジャイロでしょ? う~ん、ちょっと預かりますね」
「敷地や建て物に勝手に入ってるからなぁ、頼みます」
今都町の連中が出来心や軽い気持ちでオートバイや自転車を盗むのはよくあることだ。だが今回の事件は犯罪多発地帯の今都町ではなくて安曇河町で起こっている。
「現場の住所を教えてもらえますか? 買い物ついでに見てきます」
「ええ、泥棒に入られた家は安曇河町の蒼柳区―――――」
最近はスマホで地図を検索できるとかで、安浦刑事は何やら画面を指でなぞっている。俺もそろそろ携帯を買い換えようかな?
「ああ、嶋区の
安浦刑事が嫌そうな顔をした。ちなみに得情寺は地域のトラブルメーカーだ。元々小さな寺だったが、住職の性格に問題があって檀家がほとんど逃げてしまった。残った檀家は跡継ぎが市外に出て帰って来ない家が一軒だけのある意味有名な寺だ。この二十年ほどは寺として活動しておらず、自称住職が近隣に文句をいう嶋区のトラブルメーカーでもある。蒼柳区と嶋区が分かれる前に道路を除雪していないのに除雪したとして区から金を巻き上げたこともある。恐らく警察にも何か文句を言ったのだろう。
「あの詐欺坊主はまた何かやったんですか?」
「火事場で消防団に突っかかりましたね……あ、聞かなかったことにしてください」
うっかり機密事項を言ってしまうほどリラックスしているのだろう。
「あのクソ坊主ならやりそうですが……はい、聞きませんでした」
「他言は無用で。駄目ですねぇ、気が緩むとこれだ」
安浦刑事は初めて来た頃より雰囲気が柔らかくなった。高嶋市に馴染んできたのだろう。
◆ ◆ ◆
大島と安浦が話をしていた頃、新型肺炎の影響による生産調整で休みになった『蒼柳区のバート・マンロー』こと中島は倉庫で盗まれたジャイロとは別のスクーターを修理していた。低血糖になって失敗しないように工具箱の傍らにはチョコレートバー。作業台の上には缶コーヒーが置いてある。
「普通のスクーターは触りやすいなぁ……くそっ! ジャイロを盗んだアホめ、呪われろっ! せっかく人が動くところまで直してこれから楽しいセッティングやったのにっ!」
休みになると一日中倉庫でミニバイクを修理しているくらいだから、中島には嫁が居ない。だが決して性格が悪いわけではなく出会いがなかっただけだ。職場では細かな機械の不具合を頼まれて直したり、注油や掃除をしたりと小まめな男だったりする。
「さて、オートチョークは換えたし、ブレーキシューも換えた。ベルト・ローラーも換えた。あとは試乗やな」
一人で過ごすことの多い中島だが、年齢が年齢だけに頼られる立場でもあり、それなりの人徳もある。地域では『機械に詳しい兄ちゃん』として近隣の住民に慕われていた。今回直しているスクーターもご近所から「あんたやったら直すやろ?」と貰ったものだったりする。
「しばらく乗ってから売ろう」
中島は修理を終えたミニバイクを売る前に数か月から数年間乗る。病気で注意力が落ちてからケアレスミスが多くなったからだ。特にボルト・ナットの締め忘れが多い。自分のバイクなら何があっても責任と怪我は自分持ち。ところが他人に譲ってから万が一があってはいけない。
「ああっと、増し締めを忘れてた……あのジャイロはどうやったかな?」
今回は思い出したが、ジャイロの整備後にボルト・ナットの締め付けトルクを確認したのかしていないのか思い出せない中島だった。
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