楓君が来て三週間(後)


 全ての家事を終え、あとは寝るだけになった午後十一時。楓ちゃんはガレージ二階にある自分に部屋に帰ってしまい、私は母と居間でテレビを見ていた。番組の内容は頭に入らない、正直どうでもいい。


―――レイちゃんのドキドキとかモヤモヤは『恋』やと思うで


 バイク屋のおばちゃんに言われた言葉が頭の中を駆け巡る。楓ちゃんは幼いころ、私一緒に父の作業場で遊んだり悪戯をして怒られたりした仲だ。


(あの頃の楓ちゃんは子供で危なっかしくて、でもって仕事中のお父さんの作業を夢中で見ていて、でもって質問攻めにしたもんだから『気が散るからあっち行ってぇ!』と叱られたり)


 そう、何時お父さんを怒らせるかドキドキしながら見ていたもんだ。


「うん、あの頃の条件反射やな」

「何が『条件反射』なの?」


 今夜も母はベロベロに酔って……いないな。そうそう、珍しくお酒を控えめにしてたんだった。その分ご飯を山盛りしてに食べてたけど。何で太らんのだろうこの人?


「楓ちゃんの事や、昔の危なっかしい様子を思い出してドキドキするんや」

「それは本当に『昔の事を思い出して』かな?」


 母は職場で『保健室の女王』と呼ばれている。生徒の相談相手やカウンセラーとしても働く母の眼に私はどう映るのだろう。


「ドキドキだけじゃないで、モヤモヤもする」

「ふ~ん、それはそれは」


 何が『それはそれは』やねん。でも楓ちゃんに『アンタを見てるとドキドキモヤモヤする』なんて相談できない。


「仕方がない、お母さんに相談するか」

「よし、何を相談する? 用件を聞こうか」


 そやから楓ちゃんを見るとドキドキモヤモヤすると言うてるやろうが。


「素面では話せんわ、一杯ひっかけるか」

「じゃあ私も一杯飲もうかな?」


 散々飲んでおいてまだ呑むか? まぁいい、私はお父さんから成人式のお祝いで貰ったとっておきのウイスキーを飲もう。お母さんは発泡酒で十分だ。


「にゃうぅぅ、何で私が発泡酒なのよ~」

「うるさい化け猫」


 母は味なんてわからないくせに美味しいお酒を飲みたがる。だから私は安くてそこそこ美味しく出来る梅酒を漬け続ける羽目になったのだ。しかもベロベロになるまで呑むもんだから、介抱する私は酔う事も出来ず滅多にお酒を飲めない。


「まぁいいや、で? 楓ちゃんを見ているとドキドキモヤモヤムラムラする訳ね、それは恋で間違い無し。条件反射じゃなくて、レイちゃんは楓君に恋してるね」

「そりゃ顔は好みやし、お父さんみたいにお料理が出来るし、気も合うけど」


 お母さんが言うには、これは恋らしい。


「ただ、ムラムラはせんわ」

「あ~じゃあ恋とは違うか~」


 そもそもムラムラってなんやねん。お父さんのお布団に裸で潜り込んだのはムラムラしたからか? とんだ(カクヨム規定により自粛)やな!


「でも一緒にいると落ち着く」

「じゃあそれは恋ね、私もお父さんに抱っこされてナデナデされた時は落ち着くって言うかしっくりきたわね。うん、それは恋で間違い無し!」


 じゃあ仮にこれが『恋』なら、どうすれば良いのだろう。弟みたいな楓ちゃんに告白なんて恥ずかし過ぎる。もしも駄目だったら私がこの家から出て行くか楓ちゃんを追い出すかしなければいけない。いっその事国際A級スナイパーに依頼して全てを消し去るか……引っ越しにしても依頼するにしてもそんな大金は無い。


「そもそも、お母さんは何でお父さんの事が好きになったん? どう見てもオッサンやん。美人のお母さんと不釣り合いも良いところやで」


 娘の私が見ても下宿時代の母は妖艶な見た目なのに、無邪気さと言うか可憐さを秘めた美人だったと思う。対して父は何と言えば良いのだろう、無骨と言うか時代遅れと言うか、とにかくオッサンなのだ。


「最初は御飯目当てで通ってた」


 何とも酷い理由である。それをふまえて父は『お前が大人になって困らん様にや!』って私に厳しく料理を教え込んだわけだが。


「ご飯につられて通い詰める様になって、お泊りして居付いたわ……」

「餌付けされた猫ですか?」


 心地が良いと居付いてからは何だかわからないままに父に惚れて何時しか抱かれ、そのまま押し切る形で結婚に至ったのだとか。その辺りは父の日記に詳しく書いてあるのかもしれないけれど、その、アレだ。十八歳未満閲覧禁止シーン合体・仲良しが絡んで来るので読ませてもらえない。


「まぁアレよ、男と女は解らないわ。ロジックじゃないもの」

「またソレか、何にも解決してないやん」


 父は駄目猫な母を可愛がり、母は器用な父に惚れた。まぁ要するに幸せの形は人それぞれって奴だ。


「お父さんの若い頃の話を聞かせて」

「良かろう、聞かせてしんぜよう。だから私にもウイスキーを一口」


 ウイスキーをねだる母に「お母さんは一口と言って一瓶全部呑んでしまうから駄目」と焼酎の瓶を渡すと、「今夜はとことん話すわよ」と話し始めたのは覚えている。


 その後の記憶が無い……。


◆        ◆        ◆


(何処や?)


 翌朝、私は素っ裸でベッドに寝ていた。そもそもベッドに寝ている時点でおかしい。私の部屋は畳敷きの和室、布団で寝ているはずなのに何故?


(ガレージの二階やん)


 体が重くて怠い。頭が痛い。完全な二日酔いだ。でもそれは些細な事だ。問題は素っ裸の私の横で同じく素っ裸で有ろう男性の姿がある事だ。細いけれど引き締まった腕。端正な顔は体質だろうか? 父みたいなジョリジョリじゃない髭がうっすら生えている。


(何があったんや……)


 私の横で眠っているのは楓ちゃんだ。一応確認したんだけど、楓ちゃんは一糸纏わぬ姿だった。


(わお……お父さんより大きいぞ、多分)


 裸体である。男と女が裸で同じ布団の中に居るって事は……。


「う~ん? あ、おはよ」

「『おはよ』じゃねえわ、大事件やで」


 ベッドの周りにお互いのパジャマと下着が畳んでおいてある。少なくとも乱暴したとかされたとか、無理矢理とかではないと思う。


「昨日のレイちゃんは凄かったよ」


 何があった昨夜の私! 初めてが酒の勢いとか酔った拍子なんて最悪や! 全く記憶が無い! 楓ちゃんは私に何をした!


「レイちゃん……お酒、呑むんだ」

「いや、その、普段はお母さんの介抱があるから呑まんのやけど」


 呑むも何も、自分で言うのも何だけど強い方だと思う。本気で呑んだのはいつ以来だろう? そうそう、父が亡くなって以来や。久しぶりの酒やから酔ったんやな。


「もしかして、何も覚えてない?」

「覚えてない、何があったんや?」


 何が有ったか聞こうと楓ちゃんの顔を見つめたら、彼は「プッ!」と吹き出した。人が初めて男と……その……とにかく、笑うとは何事だ。


「部屋に入って来ていきなり『暑い!』って叫んで裸になったけど、覚えてる?」

「マジ? で、楓ちゃんが裸になったのは何で?」


 酔った私は熱くなって服を脱いだと、なるほど。いや、なるほどじゃねぇわ。


「自分だけ裸なのは恥ずかしいって言いながら僕の服を剥いたのは覚えてない?」

「全く覚えてない」


 最悪だ。まるで痴女ではないか。何やってるんだ私。


「僕の服を脱がして『脱ぎっぱなしにするなんてお行儀が悪い!』って説教したのも覚えてない?」

「何それ?」


 私は幼いころから父に『勉強できなくてもいいからお行儀よく生きなさい』って言われていた。身についた習慣が出たのだろうか?


「じゃあ、裸になって『子供の頃は一緒にお風呂に入ったでしょ?』ってケラケラ笑ってたのも覚えてないよね?」

「全っ然覚えてない」


 確かに小さい頃は母と三人でお風呂に入った事も有ったけど、それはあくまでも子供の頃であって……。


「僕の……その……アレを『イエイ! フランクフルト!』って引っ張ったのは覚えてないよね? っていうか、忘れて」

「アレって……その……スマンかった」


 まだ続くか?


「で、裸になってからは『お父さんだっこ』とか言いながら抱きついて来た」

「フギャー! なななななあななな何てこったい!」


 よりによって酔っぱらった母と同じ事をしている。酔った勢いで抱き着いた私にあんなことやこんな事をしたんか、楓ちゃんのケダモノ。


「わた……私の初めてを返せ!」

「酒臭いわ大騒ぎするわ、グイグイ引っ張るわ、『お父さんだっこ』って甘えて来るわ。そんなレイちゃんに何かできると思う?」


 ケダモノと言うか大騒ぎしていたのは私だけだったみたい。


「じゃあ何もしてない訳? よう我慢したなぁ」

「天に誓って何もしてない、お願いだから早く服を着て。じゃないといろいろ困る」


 優しく微笑んだ彼の周りにキラキラと星が煌めいた……気がする。


◆        ◆        ◆


 何があったか知らないけれど、娘と楓君の距離が縮まったように見える。まだまだ恋人とまではいかないけれど、友達以上恋人未満と言ったところだね。


「お買い物に行ってきます」

「冷蔵庫のチクワはお弁当に入れるから食べんといてや」


 今日も二人は仲良し。


ポロロロロ……ガチャン、ポロロロロロ……

タタタタタッ……タタタタタッ……


 二人の乗る小さなバイクは呑気な排気音を立てて走り出した。


「いってらっしゃい」


 二台のバイクが走ってゆく。私は無邪気に遊んでいた幼い頃の娘と楓君を思い出した。


(もしも中さんが生きてたら何て言うかしら?)


 私と夫、そして晶ちゃんと薫ちゃんが紡いだ愛は、新しい愛を紡ごうとしている……と思う。

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