スピンオフ・80万PV達成記念 少し未来のお話
第432話 80万PV突破記念その①・父の居たお店
私が母のお腹にいた頃、リチウムイオン電池の開発者がノーベル賞をもらったそうだ。当時実用化されてニッカドバッテリーに代わって充電式バッテリーの主役になったリチウムイオン電池。組み合わされるモーターと共に性能はみるみるうちに向上し、充電時間を除けばガソリン機関と良い勝負をする様になった。充電時間だってガソリンを入れるよりは遅いけど、三〇分で充電完了、走行距離は車種によるが八〇㎞前後。大型・中型バイクはガソリンエンジンの物が大多数だが、排気ガス規制で苦しみ抜いた排気量四十九㏄未満の原動機付自転車一種はガソリンエンジンで動く車種は絶滅し、現在売っている車種は全て電動になった。
今ではエンジンで動く『機械式原動機付自転車一種』は趣味人のコレクターズアイテムなっている。街を走る原動機付自転車一種は『電気式』ばかりだ。
「レイ、そろそろオイル交換の時期でしょ? 本田君の所で換えてらっしゃい」
「面倒やなぁ、なんで我が家は機械式バイクばっかりやねん」
どうしてもこうしても無い。父が生きていたら『うちはバイク屋やんけ?』くらいは言っただろう。だが、そんな機械式バイクを愛した父はもう居ない。店も売り払ってしまった。
「お父さんが機械式しか直せなかったからよ、さっさと行ってらっしゃい」
「仕方ない、行くか」
父が入院した時、ハイエナの様なマニアが店に来て『一山いくらで買い取る』みたいな事を言ってタダ同然で商品を持って行こうとした。『これはもらう約束をしていた』なんて嘘を言ってバイクを持って行こうとする者も来た。その度に母は『夫はそんな事を言っていません、必ず元気になって店を再開します』と言って必死に追い払っていた。
「本田君たちによろしく言っといてね」
「わかった。行ってきます」
凛としていた母だったが『後家の踏ん張りもたいがいにせいよっ!』と言われた時は『中さんは元気になるもんっ! 約束したもんっ!』と、ハイエナ共を追い払った後で泣いていた。そんな母を見た億田のおじ様は怒り狂っていた。
―――姐さんを泣かせたやと? この億田金一郎が成敗してくれる……。
人って怒りの上限を超えると逆に静かになるんだなって思った。数日後、母を泣かせたハイエナは亀甲縛りにされてミノムシみたいに安曇河大橋にぶら下がっていた。
―――警察は成績に繋がらん事を真剣に捜査するほど暇じゃないからね。
警察が出てきて大騒ぎしていたけれど犯人は解らず事件は迷宮入りしたらしい。父の知り合いに刑事さんが居たんだけど、事件については何も話してくれなかった。ちなみに見物に行った億田のおじ様は大爆笑したそうだ。今思うと絶対に億田のおじ様が関わっていると思う。
―――店を売ろうと思う。速人と理恵やったら文句は無いやろ?
父が店を本田夫妻に譲ると言った時、あの二人に売るならと母は納得した。私は本田夫妻の事を父から「この店が縁で結ばれた二人やで」と聞いていたが、なるほどナイスカップル。物静かなおじさんと元気なおばさん。夫婦って凸と凹で一つなんだなぁって改めて思った。
―――お父さんの凸が私の凹と合体!《仲良し》してあなたが生まれたのよ。
初めて聞いた時は「お互いの欠点を補って仲睦まじくするって意味なんだ~」って感心したけど、よく考えたら……おい糞ババァ、下ネタじゃねーか。
「やれやれ、よっこいしょっと」
父が修理したジョルカブに乗り高嶋町から安曇河町へ。父が居た頃、そして私達家族三人で過ごしたほぼそのままの姿の店が見えた。変わった所と言えば看板に書かれた店名が『大島サイクル』から『本田サイクル』になったくらいだ。店の前には電気式や機械式のスクーター以外に父が愛したスーパーカブやモンキーの姿もチラホラ。厳密に言うと父が整備していた頃のスーパーカブやモンキーとは少し違って燃料噴射式になっていたり少し大きな車体になっていたりするんだけど、私からすればどうでも良い話だ。
「こんにちは~」
「きゃ~い! おねえちゃ~ん!」
店に入ると何やら可愛らしい物体が飛びついて来た。本田夫妻の愛娘、理生ちゃんだ。理生ちゃんは父が亡くなった翌年に産まれた女の子。動物に例えるとお猿だ。ホンダモンキーを扱うお店の看板娘がお猿っぽいのが微笑ましい。
「いらっしゃい」
「いらっしゃ……理生っ! お客さんに飛びついたらアカンっ!」
おじさんは出会った頃と同じく物静かだ。対しておばさんは相変わらずにぎやかだ。この二人は高校生の頃からこんな感じだったと父が言っていた。
「おねえちゃん、だっこ!」
「お? また重くなったな?」
二人が忙しいからか理生ちゃんは抱っこして欲しがる。
「理生、こっちにいらっしゃい」
「おか~ちゃん、おちちないからいや~!」
私は母譲りの豊かな胸(自慢)だが、おばさんは理生ちゃんが言う通り……うん、言わない方が良いな。すごくスレンダーだ。
「うるさいっ! 有るわっ! ……微妙に」
「ぺったんこ~ぺったんこ~」
「……大平原の小さい胸」
おじさんがボソリと放った一言でおばさんの顔がお猿みたく真っ赤になった。おじさんは物静かな分、言葉の一言一言が重い。破壊力満点だ。
「速人は黙ってるっ!」
「おかーちゃん、おむねないない」
「……理生の言う通り…………無い」
おばさんは高校生の頃『湖岸のお猿』って呼ばれてたんだって。真っ赤になって怒る姿はまるでお猿さんだ。うん、お父さんが言ってたのも納得。
「速人も『無い』の所だけジェ〇ミークラ〇クソンみたいに貯めて言うなっ! そんな小さな……小そうないわっ! そんな私の胸に(以下、カクヨム規定に抵触)だのは誰やっ! 有るわっ……微妙に」
ちなみに教育上極めて不適切なので理生ちゃんの耳は塞いでおいた。おばさんの胸が大きいか否か(否である)は置いておくとして、ここは機械式バイクのお店だけあってガソリンとオイルの臭いが漂っている。店の中は父が商売していた頃とほとんど変わらない。
「理恵の胸はさておき、お母さんから預かったバイクを直しといたよ」
母は父が遺したバイクをガンガン乗る。おかげでジャイロXは壊れて廃車になってしまった。買い物に便利だったのに残念だ。これに関しては母だけが悪いんじゃない。部品を供給停止したメーカーも悪い。
「あのババァ……また私に内緒で壊しやがったな。お父さんが直したバイクやのに」
「レイちゃん、今回は『壊した』じゃなくて『壊れた』だね。もう何十年も前のバイクだから仕方がないよね、だからリツコ先生の事をババァなんて言わないでね」
そもそも母は私に内緒でバイクにお金を使いすぎる。父が居た頃は整備代がタダだった。甘えればバイクが直った時と違うのに、ポンポンと修理してもらう癖が抜けていない。
「発電関係は流用で何とか直せたし、灯火関係を完全LED化しておいた」
「最近は白熱電球は手に入りにくいし仕方が無いんやで」
今じゃ寿命が短くて暗いフィラメントの電球なんて余程の趣味人しか使わない。初期のLED電球は温かみとか光の色が機械式バイクに似合わないなんて敬遠されてたけど、今は古いバイクに似合う電球色再現LEDがあるから余程のマニア以外ならLED電球を使う。母のミントがLED化していなかったのは父が買い込んだ電球が余っていたからだ。
「まぁ、昔の電球よりLEDの方が安いから仕方がないか」
母は「2ストの排気ガスに郷愁を感じる」とか訳の分からない事を言って古の2ストロークエンジンの機械式原付で近場をちょこまかと走り回る
「せっかくお父さんが直したんやから、大事に置いとけばいいのに」
今どきモコモコと白煙を出して走るバイクなんて恥ずかしいったらありゃしない。。ミントで白煙を撒き散らし、カブで爆走して通勤する母はご近所の子供から『機械式バイクのおばちゃん』なんてあだ名で呼ばれてたりするんやけど、気にしていない様だ。
「ああ、これも親父さんが直したバイクやったな。何年式やったっけ? これに価値が出るんやから世の中解らんよねぇ。あの時は「こんなゴミをまったく……」ってブツクサ言いながら組み立ててたっけ」
「リツコ先生が拾ったんやったっけ? このミントって天ぷらナンバーのポンコツやったんやな?」
おじさんが言う通り、父はミントを修理するのが嫌だったらしい。それでも修理したのは私が生まれたかららしい。
「廃車するのをもらったって聞いたよ。理恵も聞いてなかったっけ?」
「そうだっけ?」
電気式バイクは盗まれた場合、発信する電波から何処にあるのか位置がわかる。機械式の古いバイクは盗まれたらそれまで。ナンバープレートを付け換えられたら一見盗難車とは分からない。『天ぷらナンバー』の語源は見た目と中身が一致しない天ぷらだと酔った母が言っていた気がする。
「初めてのバイクが母の祖母……そやから、私のひいお祖母ちゃんが乗ってたわけか。懐かして貰って、『整備しとうない』って嫌がるお父さんを説得して直してもらったんやって」
ちなみに私のアルバムに生後間もない私を抱いた母と整備中のミントの写真がある。ミントは本当にバラバラにされて
―――おかげで組み立てせざるを得んかった訳よ、アレは疲れた。
新車なら車両価格が九万円しなかったバイク。それをどう考えても整備代だけで二十万円以上貰わないと損から先な修理……いや、レストアをしたんだから馬鹿げている。もっと別に貰うもんがあるだろうがと思ったが、それはそれで母の友人から貰ったらしい。
「そうやろなぁ、じゃ無かったらこんな安~いバイクがここまでキレイに残らんもんね、理生、お姉ちゃんのお膝から下りてお母さんの所へ行きなさい」
「かまへんよ、私もこうして母の膝に座って父を見てたしなぁ」
「おね~ちゃん、やわらか~い。おかあちゃんは……かたい」
店の様子は父が居た頃のまま。そんな本田サイクルは私のお気に入りのお店。おばさんが出してくれたお茶菓子……今回も大量だなぁ……を摘んでコーヒーを飲んで作業を見ていると父の姿を思い出す。
「おねえちゃん、ないてる?」
「え?」
おじさんの背中を見ていたら父を思い出して涙が出た。今見ている背中は父ではない。父の後を引き継いだ本田のおじさんだ。父は亡くなったが父の魂は店と共に本田夫妻が受け継いでいる。
「親父さんにはお世話になったな……親父さんの話を少ししようか」
「理生、こっちに来なさい」
本田のおじさんがポツリポツリと語り、いつもは元気に話すおばさんが理生ちゃんを抱えてあやす。静かな時が流れ、時々年代物のエアーコンプレッサーが唸りを上げる。
私は大島レイ。本田速人の師匠の娘。そして二人を結んだ男の忘れ形見……。
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