第428話 安曇河に冬の風
ついこの前まで命に係わるほどの暑さだったのが嘘の様に寒くなった。店の前を通る高校生たちはモコモコした防寒具で寒さ対策をしてバイクで通う。それでも乙女心か御洒落か、それとも面倒だからか知らないが制服姿で通う女子生徒もいる。
「リツコさんはスカートのままで通ってたんやったっけ?」
「天気が良くて晴れてて温かい日はね、寒い時は皮ツナギにインナー」
独身時代は雪が降るまでタイトミニスカート姿でゼファーに乗って通勤していたリツコさんだが、三十歳を過ぎてから急に寒さに弱くなったのだとか。多分だけど次は四十歳を過ぎた頃に何か変化があると思う。
「お腹の赤ん坊の為に体は冷やさんようにな」
「わかってる」
基本的に作業場は火気厳禁。今日はパーツクリーナーなどのスプレー類は使わないのでハロゲンヒーターで暖を取っているが、基本的に店は扉を開けっぱなしなので寒い。それでも一人でテレビを見ていてもつまらないとリツコさんは作業場へ出て来る。マタニティウェアの上から俺のメカニック用ジャンバーを着てモコモコになって椅子に座っている。
「さてと、今のうちにタイヤ交換をしますかね。リツコさん、寒いし部屋でおコタに入ってテレビでも見ておいで」
「寂しいから中さんを見てるぅ」
一人でいるのが寂しいのか日中は作業場で俺の作業を見物。時折ご近所の奥様達と井戸端会議をして時間を潰す事が増えたリツコさん。何だか飼い主と居るニャンコみたいだ。
「今日は予約が無いしご近所も来んし、寂しいねぇ」
「ねー」
四輪は専門外だがタイヤ交換くらいなら出来る。車止めをして一輪ずつジャッキアップしてインパクトレンチでホイールナットを緩めて夏タイヤを外し、スタッドレスタイヤに交換するだけだ。
「インパクトレンチの無いご家庭ではジャッキをかましてからタイヤを持ち上げる前にホイールナットを緩めておきましょう。タイヤが浮いた状態でホイールナットを外そうとしてもタイヤごと回って緩める事が出来ません。ジャッキアップしたら外したタイヤを車体の下に置いておくと万が一ジャッキが外れたり故障したりした時にも安心です。くれぐれも安全に配慮して作業しましょう」
「誰に言ってるの?」
リツコさんの身体は大切だが、俺の身体も大切にしなければいけない。俺とリツコさんの年齢は十……何歳だっけ? 十三か十四歳離れている。どう考えても俺の方が先に死ぬ。せめておなかの子供が成人するまで現役で働いていたいものだ。出来ればリツコさんの様に大学に通って人生の選択肢が少しでも増えるように頑張ってもらいたい。店は継いでも継がなくてもどうでも良い。
「生まれて大学卒業まで働くとなると……七十歳の手前やな、先は長いなぁ」
「中さん、独り言が多~い」
考え事をしていたせいで独り言が多くなってしまった。
「ああ、ゴメンな」
「にゃう~、かまえ~」
モコモコな妻と会話をしながら愛車のタイヤ交換の作業が進む。最後にホイールナットをチェックがてら増し締めしてから空気圧を調整して作業終了。
「これで陣痛が来ても病院まで一っ跳びやな」
「乗り心地が悪いからイヤ、金ちゃんの車がいい」
残念ながら我が愛車の乗り心地は良くない。安っぽくて硬くて揺れる荷車だ。いざとなったら金一郎を呼んで送ってもらおう。出来ればジープ以外で。
◆ ◆ ◆
三時のおやつはリツコさんが「餡子を挟んだパンケーキを食べたい」と言ったのでパンケーキを二枚焼いて缶詰の餡を挟んだ。
「これって大きいどら焼きやん」
「そうとも言う」
そんな会話をしていると
「師走で忙しいでしょうにどうしたんですか」
「どうしたもこうしたも、お嬢ちゃんのお腹は大きいなぁ。本当に(お腹の中に居る赤ん坊は)一人か?」
そう、双子でも居るんじゃないかってくらいにリツコさんのお腹はパンパンだ。
「一人ですよー」
「エコーでは一人しか居ませんでしたよ?」
「そうか、まぁそっちの小汚いジャイロは置いとくとして、この前の集まりの話な」
板金塗装のプロだけあって外装の程度について厳しい。だが会長はジャイロを見に来たのではない。この前の車輪の会で決まった事を教えに来てくれたのだ。
「六城石油の件はな、店自体は普通やけど、やっぱり今都の店やからって事でNGって事になってな」
会長が言うには六城石油は普通の店で、べつに車輪の会に入れても良いのではないかという声もあったらしいのだが……。
「ただ、他の今都の店が『六城石油を認めてどうしてうちは認めない!』ってならんへんか心配する意見が挙がってな。下手をすると我々だけや無しに六城石油に被害が及ぶかもしれんとなった。結論としては『今都にある限り六城石油は車輪の会へ入会不可能』や。真旭町より南に移転して来るなら認めるって事やな」
今都町の住民は人が認められて自分が認められないと羨ましくて腹を立てる。そして認められた者を攻撃する。更にゴリ押しで自分も同じ様に利益を得ようと必死になる。高嶋市の方言で『けなりがる』。標準語では『羨ましがる』って奴だ。
「なるほどなぁ、やっぱり今都か、今都やもんなぁ……」
高嶋市には南北の間に見えない壁がある。六城君は普通の男だが、悲しいかな出身地を変える事は出来ない。今都生まれで今都育ちの彼が南部地域の真旭や安曇河に引っ越して来ても受け入れられるだろうか、商売をして成功するだろうか、答えは言うまでもない。
「今都の人がこっちで商売なんて出来ないもんねぇ」
「そうやろうな、厳しいと思うで」
六城石油の主な顧客は官公庁。リツコさんの言う通り市の南部に店を出して経営するのは難しいはずだ。このまま今都で商売するのが正解だろう。高村社長もそれは解っている様だ。
「六城石油は官公庁がメインの顧客と聞いた。県の施設が南部に移転する事は無いやろう。高嶋市の中心かて市役所こそ真旭に決定したけど他は移転する事は無いやろう。残念やけど市が解散するか県の施設が移転するかせんと商売は成り立たんやろうな」
会長の分析通り六城石油は移転できない。となると車輪の会へ入る事はこの先無い。残念だが俺にはどうしようもない。六城君に何と伝えたらよいのだろうか。
◆ ◆ ◆
大島が頭を痛めていた頃、今都町にある六城石油では店主の六城が悩んでいた。
「ねぇ六城さん、持ち主に電話が繋がりませんよぅ……」
「六城さん、さっき家の前を通りましたけど空き家になってましたよ」
遠藤が電話をしてもつながらず、三木が配達のついでに家を訪ねたが、玄関には『管理・億田金融不動産部』と看板が取り付けられていた。
「置いてきぼりてなもん、機械とは言えそりゃないわ……」
六城の視線の先には少し錆の出たミニバイク。故障したとかで少し置かせてくれと言われて数か月、預かり物なので夜は倉庫に入れて保管していたが、いつまで経っても取りに来る様子が無い。痺れを切らした遠藤が登録書類を調べて電話をかけたが出る様子が無い。
「これって不法投棄ですよねぇ? 警察に『拾いました』って預けましょうか?」
「それより盗難車って可能性がある。どの道警察に相談やな」
「じゃあひとっ走り行ってきます」
三木は店の軽トラにミニバイクを積み、ロープで固定して警察に向かって走り出した。
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