第385話 雨の土曜日・二人で晩御飯

 署へ彼氏の披露がてら土産を渡しに寄った後、晶はリツコから借りたゼファーを返す前に寄り道をして菓子店へ寄り、甘酸っぱいベリーのお菓子を買ってから大島サイクルへ向かった。愛しい愛車ゼファーの帰りを待ちわびているであろう友人は、遅くなって心配してだろうと思いつつ、晶は大島宅の玄関を開けた。


「ただいまぁ、リツコちゃ~ん、戻ったよ~」

「こんばんは~」


 妊娠して以来、リツコの歩みは慎重になっている。お腹は少し大きくなり、以前の様に飛んだり跳ねたり走ったりは出来ない。


「にゃうぅ~おかえり……」


 いつもなら中と二人で来るはずなのに今日はリツコ一人で元気の無いお出迎え。


「どうしたの? 悪阻?」

「顔色は悪くないね」


 心配する二人にリツコは独りで寂しいだけだと答えた。


「中さんが寄り合いで居ないの。寂しいから一緒にご飯を食べて行かない?」


 何やら煮物の良い匂いが漂っているが、天気予報によれば雨が降っていてもおかしくない時間だ。愛しの彼氏を濡らすわけにはいかないし、クーラーバッグに入れたお菓子を一刻も早く冷蔵庫へ入れたい。


「ごめんね、雨が降りそうだから帰らなきゃ」

「御主人が居ないのに男の僕が居るのは不味いでしょ?」


「きゅぅぅぅ……薄情もの」


 リツコに蕎麦を渡した晶はガレージ兼倉庫にゼファーを入れた後、ゼファーのカギと引き換えにカブのキーを受け取った。


「ごめんね、ご飯はまた今度ね」

「リツコさん、ご飯はまたの機会に」


「うん、またね」


 天気予報によれば午後七時から雨なはず。しかし雨が降る予兆は無い。天気予報が正確になったとは言え外れる時はある。


「ねぇお兄ちゃん、ウチで晩御飯を食べて行かない?」


 ちょうど木之本で買った蕎麦がある。蕎麦を茹でてスーパーで天ぷらを買えば天そばだ。晩御飯としては悪くない。晶は新しく出来たショッピングモールへカブを走らせた。


◆        ◆        ◆


 晩御飯のおかずを買いがてらショッピングモールをウロウロしているとあっという間に閉店時間になってしまった。発展しつつあるとはいえ安曇河町は午後八時を回ると店舗は閉まり、一気に静かになる。再び晶は薫をタンデムシートに乗せてカブを走らせた。晶のアパートはJRの高架沿いにある。電車の通過音は少しうるさいが、街燈が多くて明るいので女性の独り暮らしでも安心だったりする。


 買って来た菓子は一旦冷蔵庫へ入れて、二人は夕食の準備を始めた。


「今日は降らないみたい。ゆっくりしていってね」

「うん、でもその前に晩御飯だね」


 薫が蕎麦を茹でている間に晶がテーブルに箸や薬味、買ってきた天ぷらや麺つゆを準備をするといつもは寂しい食卓が少しだけ華やいだ。


「晶ちゃん、氷ってある?」

「はいは~い、ちょっと待ってね~」


 茹で上がった蕎麦を氷水で締めて食べやすいように一口ずつ笊に乗せれば出来上がり。今夜の夕食、天ざるの完成である。


「さてと、食べますか。お兄ちゃん、タンデムで疲れたでしょ?」

「晶ちゃんこそ、ずっと運転で疲れたでしょ? お疲れ様」

 

 晶は独り暮らし。薫も独り暮らしなのでお互い誰かと一緒に食事をするのは嬉しい。話をするうちに時間が経ち、後片付けをしているうちに午後十時を回ってしまった。


「ん? あれ? 降って来た……」

「ウソっ! 今夜は降らないと思ってたのにっ!」


 薫の郵政カブ改のボックスにはレインウェアが常備されているが、今日は晶に迎えに来てもらったのと雨が降るまでに帰ろうと思っていたので用意していなかった。


「まあいいか、歩いて帰ろうっと」

「駄目っ! 一人歩きは危ないから駄目っ!」


 薫は竹原に教えられたえボクシングのおかげで比較的強い。だが、もしかすると今都町からの強盗団や変態が来ているかもしれない。ボクシングのえげつない反則技を駆使する薫とは言え相手が複数では敵わないだろう。


「大丈夫だって、晶ちゃん、傘を貸してくれる?」

「もう遅いから泊まって行けば?」


 泊まるにしても着替えや寝間着は無い。風呂は借りるにしてもその後に一日着た服に着替えてはサッパリ感が台無しだ。それに恋人とはいえ男女が二人きりで人やを共に過ごすのはいかがな物だろう。薫の戸惑いをよそに晶は衣装ケースからTシャツや短パン、そして男物の下着を出してきた。


「どうしてトランクスがあるの?」

「女の子の独り暮らしは物騒だから自衛してるの」


 晶は女性の独り暮らしと思われないために履きもしない男物の下着を干す事がある。おかげで女性の独り暮らしとは思われていない。隣人を含むアパートの住民に男性だと誤解されてしまったりするのだが、まぁ安全であるからと晶は気にしなかった……いや、気にしない事にした。正直に言えばご近所から男性だと間違えられて軽く傷付いた。


「だから……ね? 今日は泊まって行って」


 喋っている間に雨脚はどんどん激しくなり、いつの間にかどしゃ降りになった。このまま家に帰ればずぶ濡れになるだろう。もしも風邪でも引いたら「ほらやっぱり」となる。仕事を休めば店に迷惑も掛かるだろう。


「うん、じゃあお世話になります」


 こうして薫は晶の部屋で一晩を過ごす事となった。

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