第361話 今日子は誘導員?

 高嶋高校は原付二種までのバイクで通学できる全国でも珍しい学校だ。生徒の大半は16歳に近付くと申請を出して教習所へ通い、免許取得後は様々なミニバイクに乗って通学をする。一時期原付二種クラスのバイクが激減した時はスーパーカブばかり走っていたことも有ったが現在はカブ以外に色々なバイクが走っている。


 バイク通学を許される生徒はそこそこの距離を走る事も有って制限速度が六〇キロメートルの原付二種登録車が多いのだが、自転車代わりと割り切って安くで買った原付一種に乗る者も居れば、どうせバイクに乗るなんて学生時代の三年足らずだけだと高校三年間を自転車通学で済ませる者も居る。


「さてと、バイパスに乗るか湖周道路で行くか、どうしようかな?」


 高嶋町の集落から田中神社の鳥居前を通り、市道を走る今日子は気分によって通学ルートを変えている。最短ルートは旧国道だが、旧国道は道が狭く原付一種では追い抜かれる時に少々怖い思いをする。自然と選択肢は国道一六一バイパスか湖周道路の二択となる。


「暖かくなったし、湖周で行こうっと」


 少し遠回りだが時間は充分ある。今日子は蒼柳北交差点を直進して琵琶湖側へ走り始めた。


◆        ◆        ◆


 湖周道路に入ろうと信号を左折した時、今日子がミラーを見ると自転車が見えた。シンプルな自転車に乗っているのは高嶋高校の制服を着た男子。


「自転車で通ってるんや、珍しいなぁ」


 先輩からバイク通学が許可されていなかった頃、高嶋高校の生徒は自転車通学をしていたと聞いた事がある。その頃は『南北戦争』と呼ばれる程に郡南部(現・高嶋市南部地域)と郡北部(現・高嶋市北部地域)の仲が悪く(今も悪いが)自転車競走をして事故を起こす程だったとも聞いている。


 珍しい以外は特に何も思わず走り続けていた今日子がふとバックミラーを見ると先ほどミラーに小さく映っていたはずの自転車が背後に迫って何かを叫んでいた。


「先輩! 誘導お願いします!」


 高校へ行くのに誘導とはどういう事だろう。変に思った今日子はスピードを緩めて追い抜かせようとしたが自転車は背後について離れない。


「先輩! 風除け! 風除けのトップ引きですっ!」

 

 トップ引きの意味は今一つわからないが風除けは解る。自転車の男子は自分に前を走って風除けになって欲しいのだろう。


(付いて来るならスピードは一定にでないと危ないかな?)


 幸いな事に湖周道路はほとんど交差点や信号が無い。有っても水田ばかりだからクルマが走ってくればわかる。今日子は淡々と湖周道路を時速三〇キロで走り続け、真旭町を抜け、今都に入ってからは慎重に走って高嶋高校の駐輪場へ滑り込んだ。


「先輩、あざ~っす! オラッ! 今都の糞どもっ! どけっ! くせ~んだよっ! 地球上で最も劣った生き物めっ!」


 付いて来た自転車の男子は今日子に礼を言いながら、罰で掃除をする生徒を蹴散らして一年生の駐輪場へ入って行った。


「変な子、でも『先輩』か……」


 先輩と呼ばれた今日子は自分が二年生になった事を実感しながら上履きに履き替え、教室に向かった。


◆        ◆        ◆


 JR近江今都駅から高嶋高校までのルートは朝夕で変わる。朝は集団で歩くので線路沿いの最短距離を歩いて約二〇分。帰りは安全の為に少し遠回りをして約二十五分と言ったところだ。どちらにしても思ったより歩かなければいけない。バイク通学でない場合は安曇河町から通うとなれば三十分間ペダルをこぎ続ける自転車通学か、電車で座れる代わりに危険な今都の路地を歩くかの選択となる。


「うへぇ、毎回思うけど早く免許を取らんと脚がシシャモになる」

「大根足やから丁度いいやろ」


 JR近江今都駅から高嶋高校までは緩やかな上り坂。想像以上に脚が鍛えられる。三年間電車通学をすると脚はシシャモの様に引き締まってしまう。大根足と言われた愛奈は声を低くして晃司を睨みつけながら言った。


「うるせぇ、テメエの真ん中の脚チ〇ポを引き抜いてやろうか?」


 愛奈の下ネタにうんざりしつつ晃司が教室の戸を開けると普段ならもう少し遅くに来るはずの友人、高石令司たかいしれいじがデコトラ専門誌を読んでいた。普通の高校生が読む本ではないのだが、令司は普段から何でも読む乱読家なので晃司も愛奈も気にしなかった。


「おっす、相変わらず変なもん読んでるなぁ」

「おっす~、もっと変な物もあるぞ……ホレ」


 令司はガサゴソと鞄を漁って薄い冊子を取り出した。人気アニメを題材にした二次創作の薄い本……ちょっとエッチな同人誌である。


「うわ……十八禁やん! 見せて見せて!」


 晃司は興味が無かったが、愛奈は見た瞬間に目を輝かせて手に取り、読みながら両親が信仰する宗教の聖歌を鼻歌で歌い出した。ちなみにこの聖歌は一九七〇年代にで発売されて二〇日間で要注意とされ、その後長らく放送禁止の曲として有名だった。


「まぁ、これはけしからんから預かる滅茶苦茶エロいから後でじっくり見るとして、ロックん、今日は早いやん」

「まーな、今日はトップ引きが居たからな」


 競輪やトラック競技では先頭を走ると風圧をモロに受ける為、スタートで先頭にならない様に、相手に風除けをさせる様にと駆け引きが行われる。勝負の上で重要な事だがいつまで経っても選手がスタートしないのは競技進行上問題がある。そこで競輪の場合は『先導固定競走』と呼ばれる先頭誘導員がレースの先頭を走り誘導する方法が取られる。


「ああ、風除けか」


 競輪の場合、出場する選手が申し出て先導員をする事がある。これは『自由競争』と呼ばれている。先導員をする選手は『トップ引き』と呼ばれ、先導で走る事を『トップを引く』と言う。風圧を受けるので競走で不利になる為、着外に沈むことが多いのだが、予想外の展開で上位の競争へ進出してどう考えても勝ち目が無い場合や引退を考えている選手が少しでも賞金を稼ごうと申し出る場合もある。


「……ってことで、今朝は安曇河から高嶋高校まで二十三分を切ったよん♪」

「十キロで二十三分を切るんやったら原付並みやな」

「私、シシャモみたいな脚になるのは嫌や」


 ロックんこと令司が乗るのはシティサイクルを自ら改造したトラベラータイプの自転車。軽快に走る事は出来るが変速はシティサイクルの部品を使った三段変速。校則の隙を突いたスポーツ車である。


◆        ◆        ◆


 令司を先導した今日子とトゥディは学校からの帰り道、大島サイクルへオイル交換に訪れていた。


「おじさん、自転車は原付について来れるもんですか?」


 自転車で原付並みに走れるのかと聞いた今日子に大島はオイル交換をしながら答えた。


「今日子ちゃんが制限速度で走り続けてたんやったら出来るで、おっちゃんも昔は安曇河から高嶋高校まで二〇分を切れるかとかやってたもん」


 安曇河町にある大島の実家から高嶋高校までは国道一六一バイパスに乗って約一〇キロメートル。平均時速三〇キロで二〇分。ただし、実際は街中でスピードが落ちたり信号で引っ掛かるので二〇分を切るとなれば巡航速度はそれ以上になる。


「今日ずっとついて来た自転車が居てん」

「ふ~ん、危ないし気ぃつけや。まぁ付いてくるくらいやから安曇河より南の子やろうけど……よし、オイル交換終わり」


 今日子は自分を風除けにした男子生徒の特徴を伝えたが、大島は「知らんなぁ」と答えた。少なくとも大島サイクルの客ではないらしい。今朝会った少年の顔を思い出し、今日子は何故かもやもやした気持ちで家路につくのだった。

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