第362話 少しの変化

 リツコさんの妊娠がわかった後、俺は毎日送り迎えをしている分だけバタバタとしている。でもこれからリツコさんがする苦労に比べれば何て事無い。妊娠中の十月十日とつきとおかは思うように動けないし、お酒も呑めなければバイクに乗る事も出来ない。俺が出来るのはリツコさんが元気な赤ちゃんを産むためのサポートするくらいだ。


 所詮俺に出来る事なんて限られている。リツコさんを送り迎えする時に窮屈な思いをさせないため、A・Tオートに頼んでバンに取り付けられる座り心地の良いシート(最終型はリクライニングシートが存在したらしい)を取り寄せてもらったり、金一郎に出産費用の事を相談したり、お酒を呑まなくなった上にアッサリした物ばかり食べたがるリツコさんが痩せすぎないメニューを作ったりするくらいしか出来ない。


 A・Tオートの平井兄弟には「まだまだ乗れるし仕事にも使うやん、まだ生まれてないのに買い替えは早いで」と注意された。二人が言うに俺は『浮かれ過ぎ』らしい。確かに少し浮かれ過ぎたかもしれない。


 金に厳しい金一郎は「兄貴、まだ早いでっせ」と呆れてた。しかも「生まれてからの方が金がかかるんやから、ご利用は計画的に」と説教されてしまった。


「男って無力やな、出来るのは送り迎えと炊事・掃除・洗濯・布団干しくらいや」


 自身の無力さを嘆いていたら理恵と綾ちゃんが一言物申した。


「充分すぎやわ、おっちゃんはリツコ先生を甘やかし過ぎやと思う」

「同感ね」


 このところ夕方に店が閉まっているのを見た高校生たちが何事が起ったのかとやって来た。リツコさんの送り迎えで閉めていただけなのだが、少し心配させてしまったようだ。


「赤ちゃんが出来るってのは素晴らしい事なんやぞ?」


 毎度のことながら高校生たちはオイル交換をしている間に大判焼きやたこ焼きを食べながらコーヒーやココア、ジュースなんかを飲んで喫茶店状態。


「おっちゃんはな、子供が出来難い体やって医者に言われてるから嬉しいわ、アレやな、やっぱり相性とか色々あるんやなって今回は思った」


「竹原先生が『妊婦さんは座っててください』って言ってた」

「そこで、私らからお祝いをどーぞ」


 竹原君がウッカリ生徒たちに情報をリークしたらしい。綾ちゃんが目で合図をしたら佐藤君が何やら紙袋を持って来た、中身は『お祝い』の熨斗が付いたズッシリ重い菓子箱。箱一杯に甘酸っぱいアドベリーのお菓子が詰まっていた。


「ありがとう。リツコさん喜ぶわ、赤ちゃんが出来てからお菓子好きになったからなぁ」


 三年生たちは久しぶりに来た気がする。俺は大学に行かなかったからわからないが、大学受験へ向けて勉強しているのだろう。忙しいだろうに有り難い。


「クルマの免許の申請を出しに行ったら担当が変わるとか言ってリツコ先生がパタパタしてたなぁ」

「リツコ先生はバイクの担当から外れるんだっけ?」


 自動車免許の取得申請を出しに行った佐藤君が言うにはリツコさんは免許申請の担当者から外れるみたいだ。リツコさんは竹原君と『今都の生徒はバイクに乗らせない』みたいな方針にしたから今都の生徒に嫌われているのだろう。


「それは聞いてなかったな」


 恐らく学校に子供が出来たと伝えたのだろう。学校側が今都の生徒となるべく関わらないように配慮してくれたのか、それともリツコさんが希望したのかは分からない。六城君みたいなまともな人間は今都では滅多にいない。今都になるべく関わらないようにするのはベターな方法だ。


「リツコ先生の赤ちゃんか~、可愛いやろうなぁ~」


 赤ちゃんが可愛らしいのは当たり前だが、リツコさんから生まれるなら理恵が言う通り可愛らしいに違いない……それにしても理恵は大判焼きを何個食うのだろう。さっき畳んでた紙箱は十二個入りなはず。皆に一つずつ渡していたから九個は食べているはずだ。今持っている二つ目の箱は六個入りだから全部食べれば十五個食べる事になる。


「おじさんに似たら可愛くないかも」

「それはおっさんも心配してるんやぞ」


 綾ちゃんは何気に毒舌だ。しかも鋭い。俺の心配している事をズバッと言った。女の子で俺に似たら一重まぶたになってしまう。そんな事を思っていたら携帯が鳴った。メールが来た様だ。


「お? そろそろお迎えかな?」


 携帯を開くとリツコさんからメールが来ていた。メールには『竹ちゃん舎弟が送ってくれるからお迎えはいいよ♡』と有った。


「おっさん、お迎えかよ。あま……」

「お迎えじゃないと危ないのよ。バイクも電車も妊婦さんには厳しいんだから」


 佐藤君が『甘いなぁ』みたいに言い出したのを綾ちゃんがぴしゃりと止めた。この二人の力関係は綾ちゃんが上だ。


「今日は竹原君が送ってくれるみたいやな」

「あ、じゃあ大丈夫ですね」


 竹原君はリツコさんの可愛い弟分だ。リツコさんを送ってくれる事だし、来るついでに晩御飯を食べて行ってもらおう。


「竹原先生のクルマやったら広いし、おっちゃんのクルマよりいいかもしれんなぁ」


 理恵の言う通りだ。さて、迎えに行かんで良いことやし、今日は晩御飯の支度に集中することにしよう。


◆        ◆        ◆


 竹ちゃんのクルマは大きいワゴン車。少しだけ乗り降りが面倒だけど広くて良い。中さんのクルマはシートが倒れないのと後ろにずらせない。乗り降りは楽だけどちょっと窮屈なんだよね。


「先輩、シートベルトは大丈夫ですか?」

「まだお腹が大きくなってないから大丈夫」


 妊娠してから何だか周りが優しい。校長先生と教頭先生は『何か有ったら大変だ』って気を使ってくれてるし、同僚も『赤ちゃんの安全が最優先』バイク通学関係の担当を代わってくれた。昔の事みたいだけど、質の悪い生徒が妊娠してお腹が大きくなった教師に飛び蹴りをして流産させたって事件が在ったみたい。


「シート倒すね~」

「お腹がきついですか?」


「ん~、ちょっと眠いから」


 幸いな事に悪阻が全然ない。ドラマで『うっ……出来たみたい』なんて吐くシーンをよく見るけれど、私の場合はどちらかと言えば食べないと気持ちが悪くなるみたい。お腹が空くとムカムカする。今日は竹ちゃんがチョコやクッキーをくれたから大丈夫だった。なんか他所でおやつを貰う猫みたいだ。毎日貰う訳に行かないから中さんに用意して貰おうっと。


「家に着いたら起こします。寝ててください」

「ありがと」


「じゃあ、行きますよ」


 気分は悪くないけれど眠い。車が出発して早々に眠ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る