第280話 大島・怒る
大島サイクルに限らず下取り車で程度の良いバイクは修理・点検後に中古車として店に並べられる事は多いであろう。
「やれやれ、どっこいしょっと」
ただ、下取りとして出されるからには買い換えられる理由もある。小型から普通自動二輪へのステップアップや加齢による衰えから免許返納。そんな場合の下取りもしくは買い取りならば車両の程度は比較的良い。逆に重大な故障で買い替えられる場合は中古車として店先に並べるより部品取りになる場合が多い。動くが外装の程度が悪く、修理すれば市場価格を上回る場合は『レストアベース・趣味人に』とポップを貼られて並べられる事も有る。
「お前さんは春から居座りっ放しやなぁ」
ホンダの旧型モンキーと兄弟車のゴリラは人気車で、部品取りにされる事は少ない。多少壊れているくらいなら大島の整備で簡単に直ってしまう。とは言え昨今の純正部品の値上がりの影響で、店先に並べようと整備をすると利益を抑えて値付けをしているがそれなりの値段となってしまう。
「う~ん、どうしても13万円以下で売ると赤字になる」
春先に買い取ったホンダゴリラだが、思ったより修理に手間と部品代が掛かってしまった。下取り価格と合わせると15万円以下だと俺の工賃が無くなる。13万円以下で売れば部品代が出なくなる。10万円前後が売れ筋のウチでは高価な部類の商品になってしまった。メーカーから部品が出て修理が出来るだけまだマシだが、この先が思いやられる。
「部品代の内、税金と倉庫代がどれだけ入ってるんやろうなぁ」
メーカー純正部品は保管中にかかる倉庫代や部品自体にかかる税金の分、年々値上がりする。その結果が修理代金の値上がりに直結する。去年直したのと同じ所を今年直すと部品代の分値上がりしている。
「どうしたもんかなぁ……」
どんよりと曇った空は俺の心と同じだ。
◆ ◆ ◆
今日の夕食はカレーライス。今夜のカレーは林檎と蜂蜜が隠し味の甘口カレーだ。我が家の味ではないが、リツコさんが大好きな味だ。酒飲みのくせにお子ちゃま舌だなんてギャップが面白い。リツコさんは化粧をするしないや、化粧をした時の外見と中身にもギャップがあって、一緒に暮らしていて飽きない。
「売れないんなら私が買っちゃおうかな~?」
「売れんからって自分で買うてたら儲けにならんで。やっぱり売らんとなぁ」
下取りや買取で手元に置いておきたいバイクは入ってくる。でも、それを全部残しておいては商売にならない。自分で欲しいと思うバイクは八割方お客さんも欲しがるバイクだ。とは言え値段次第の面はある。ウチの大人のお客さんは10万円を超えるバイクにはなかなか手を出さない。ただ、学生は頑張ってバイトしたり、お小遣いを貯めたりして買ってくれることが多い。
「安売りはしたくないけど、ちょっと表に出す時機を逸したなぁ。こりゃ来年の春待ちやな」
「ノンビリした商売ねぇ」
ノンビリした商売かも知れないが、売り急いで損をしたり、妙な輩に売りたくない。
「急いては事をし損じるってな、まぁ売り急ぐことは要らんやろ」
「飾っておくだけでも可愛らしいもんね、私みたいに」
無視した。
◆ ◆ ◆
売れはしないがホンダゴリラは奥様方には好評だ。コロンとしたスタイルが可愛らしく思えるらしい。タンクを撫でたり眺めたり。パンク修理やちょっとした部品交換の合間に触るお客さんが多い。
「これは買えんけど可愛らしいわぁ、置いといたら?」
「売らんと儲けに成らんやん。嫁さんも居るのに。このままやったら俺、ヒモになってしまうで」
実家の賃貸料と店の売り上げ、それと田畑の借地料が有るとはいえ俺の収入はリツコさんより少し多いくらい。年齢の事を考えると収入は少ない方だと思う。リツコさんは昇給が有ると思うけど、自営業の俺にそれは無い。将来の為に稼がなければいけない。その将来がどうなるかは分からないが、しっかり稼ぐにこした事は無い。
「「「「こ~んに~ちは~っ!」」」」
奥様方が夕食の支度を始めに家へ帰る頃、入れ替わるように学生たちが店を訪れた。今年からバイクに乗り始めた1年生だ。
「ゴリラさんが15万円ねぇ。高いけど仕方ないと思うよ」
「澄香ちゃんもそう思うか」
ホッパー改に乗る澄香ちゃんがタンクをナデナデして言った。他の3人の目にもゴリラは可愛らしく映るらしく、各々タンクを撫でたり跨ってみたりしている。
「澄香ちゃんのお家はお金持ちやろ?私の家やったら『アカン』って言われるで」
「でも、言っても買ってもらえへんで。バイクは貯金で買ったし、維持費は生活費とお小遣いの範囲でやり繰りせんなんもん」
慎ましい生活をしている澄香ちゃんがお金持ちとは思わなかった。まぁお金持ちだからとゴマをする事は無く、お金が無いからと邪険にする事は無い。1人のお客さんだ。
「値段より小さすぎるから買わないかなぁ」
「麗ちゃんはお兄ちゃんにおねだりできるやん。私なんかお母さんが怖いんやで」
どうやら麗ちゃんのお兄さんは妹に甘く、四葉ちゃんのお母さんは厳しい人らしい。
「私は荷物が積める方が良いかな。ギヤも面倒やしなぁ」
「ああ、それはあるな」
クラッチ操作不要の遠心クラッチにしてあるとはいえギヤチェンジは必要だ。荷物を積むには前カゴかトップケースを付けなければいけない。理恵なんかは「トップケースを付けたら乗る時にパンツが見える」って付けていないが、荷物を積むなら前カゴ付きのスクーターの方が良い。
そんな事を言いながら談笑していたら別の客が来た。招かざる客である。
「ギュヴォッファ~(※ほほぅ~的な今都言葉)おい、そのバイク売れ」
「ああ?お前、免許は?免許と常識が無い奴には売らんぞ」
言葉ですぐわかる。今都人だ。無礼な客には同じように接客させてもらう。
「暴れ小熊やぁ……怖い」
「みんな、しばらく奥に行っといて」
全身から甘ったるい匂いを漂わせてのご来店。見るからにまともな人間じゃない。1年生4人には奥に避難してもらう。
「
値段を見るなり値引きとはよい根性している。
「高いか?」
「高い高い高い高い!5万!5万にしろ!」
なるほどなぁ。高いか。
「お前、この辺のもんじゃ無いな」
「おう!今都から来てやったんやでぇ!金持ちの今都やヴぇぇ!」
道理でこの辺りで見かけん顔だと思った。
「なるほどなぁ、10年以上前の小さいバイクが15万円って驚くほど高値やなぁ」
「そうそうそうそう!だから5万!5万でエエやろ!」
クソガキが……調子に乗るな。昔の俺やったらシバき倒してるぞ。
「ホンダゴリラの元になったホンダモンキーはな、1961年に多摩テックと言う遊園地の遊具として登場した。『子供にバイクに乗る楽しさを知ってもらいたい』っていうホンダの遊び心や」
「だからなんや!俺様は忙しいんやぞ!早く早く早く!」
クソガキが……本当に欲しいなら少しくらい話を聞け。
「登場以来、小さな車体に遊び心と笑顔を乗せて走り出したモンキーは50年も親しまれ続けている。サスペンションの装着や電装の12ボルト化に排気ガス規制適合と、こんな小さな車体で必死になって時代に合わせて走り続けて来た訳や」
「だから何や!高い高い高い!とっとと値引いて売れやぁ!」
だから、黙って聞けと言うのに。
「でも、遊び心だけで道は走れたもんじゃ無い。この車体は現代の交通事情に合わせて排気量アップしたエンジンに吟味したスプロケット。調整したブレーキ……アップデートと整備済みや。オイル交換さえしていれば、当分の間、新車と同じくらい壊れずに走り続けるやろう……」
そんな俺の言葉を遮るようにガキが怒鳴る。怒鳴れば良いってもんじゃない。俺の耳はそこまで衰えていない。
「だから何や!高い高い高い高い高い!5万で十分やろ!早よ売れや!俺は今都の
やれやれ、大事な事を言う前に喧しい。
「という事で、このゴリラは普通に乗って普通に1か月あたり約500㎞を通勤・通学で使える様に俺が鍛えた。整備も完璧。だから値引きはせん。値段は15万円。ビタ一文まけるつもりはない。そして、貴様に売る気も無い」
まぁ根っからの今都者に売るつもりは最初から無いけどな。
「な……何やて!
高い高いとうるさい。安けりゃいいならキットバイクを買え。新車で10万円だ。お前ら今都人が大好きなギンギラパーツが最初から組んである。外見は良いが何もせず走り出せば壊れる。今都の人間にお似合いだ。
「ホンダが生み出して育てた遊び心を俺が鍛えた」
「
オッサンとは何だ。確かに髪の毛は減ったし体力は衰えた。だが、心は10代のままで衰えていない。行儀の悪いガキに吠えられておとなしく黙っているほど老いてはいない。
「それを5万やと?……口の利き方に気を付けろ小僧っ!」
こんな輩は客と認めない。『お客様は神様です』って言葉は有るが、客であろうと神であろうと行儀の悪い奴は店から叩き出す。
「も……
最近のお子様、特に今都のガキは注意されたり叱られたり似なれていないのかすぐ泣く。
「男が簡単に泣くなっ! 男なら涙を見せずにガッツを見せろっ! 帰れっ!」
「
つまらん時間を使ってしまった。
「アホは追い払ったで、みんな出ておいで」
馬鹿者を追い出して4人に店の奥から出る様に言ったら全員ビックリした様な顔をしていた。
「ところで、『暴れ小熊』ってなんや?」
「おっちゃん、知らへんの?」
麗ちゃんと澄香ちゃんが言うには、大津では高嶋市から遊びに来るマナーの悪い若者の事を『暴れ小熊』と呼んでいるそうだ。それは小熊に対して失礼であろう。
「スーパーカブの『カブ』って『小熊』とか『子どもの虎』って意味が有るらしいぞ」
「じゃあ『暴れ小熊』って言うたらスーパーカブに対して失礼やなぁ」
二人とも大津から引っ越して来て、高嶋市の南側に住んでいる。今年の高嶋高校は今都から通う生徒が少ないため『暴れ小熊』を実際を見るのは初めてだったらしい。
「おっちゃん、お父さんと同じ怒り方する」
「そらそうや。同じ時代を生きた同級生やからな。おっさん等の頃はカミナリ親父が居たもんや」
瑞樹ちゃんの親父は俺の同級生。やはり同じ叱られ方をしているのか。あいつは相変わらずだ。麗ちゃんも同じ様に驚いている。
「社長さんがおじさんに頭が上がらない訳が解りました」
「金一郎は俺の親父にも叱られてたんやぞ。おっちゃんの親父と比べるとおっちゃんは優しいんやぞ」
俺の叱り方は前時代的だ。今の親と違うと思う。だが、親父の場合は叱るより先に拳骨が飛んできたものだ。もっと昔、この店の先代が若かった頃は、修行先でへまをするとスパナが飛んで来たとか何とか。
「みんなは値段と価値が違う事は解るか? 値段が高いって事は価値が有るって事とは少し違うんや。値段が高くても価値の無い物は有るし、安くても価値が高い物も有る。そこを見極めてほしいんや」
ホンダのモンキー・ゴリラは間口が広く、取っ付き易いが奥が深い。はまれば底なし沼だが、楽しめるバイクと言う点では世界で一番価値があり、お得なバイクのうちの一台だと思う。
◆ ◆ ◆
「ふ~ん、変なのが来たのねぇ」
「変なのどころやないで、思わず叱ってしもたで」
帰ってきたリツコさんに話せるのが良い。一人だと考えがまとまらずに眠れない事が有る。解決なんかしなくていい。話せるだけで良い。
「こんな顔でこんな髪型じゃ無かった?」
「そう!そんな顔でそんな髪型」
「多分だけど、ウチの生徒だ。この前も申請を出して来たよ」
「受理したん?」
「受理はしたけど許可はしなかったよ。そしたら、私の事を『オバサン』って言ったのよ。何回申請しても絶対に許可なんかしてやんないんだから」
なかなか目立つ生徒らしい。
「そんな生徒が居るから来年度にバイク通学規定が変わるのよねぇ……」
年々変更が続く高嶋高校のバイク通学規定。悪さをする生徒は自らの首を絞める事になるのだろう。
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