2018年12月

第279話 轟・良く分かんないけど掃除してもらう

 このところレストアやカスタム、そしてチューニングの素材として趣味の対象として扱われ始めたスーパーカブだが、大半のスーパーカブに乗っているライダーは特にバイクに興味が無く、ただ単に畑や田んぼの見回りに配達、買い物や通勤通学の足として使う者が殆どではないだろうか。


 高嶋高校へ通う生徒たちも大多数がその様にバイクと接している。速人の様に自分で改造や修理をしたり、理恵の様に可愛がりつつブンブン乗る生徒はどちらかと言えば少数派だ。大半の生徒は買った店に整備や修理をお任せしている。


「こんにちは」

「おお、美紀ちゃん。いらっしゃい」


 あまりにもバイクに興味が無い生徒だとオイル交換くらいしか来ない。そんなバイクにそれほど興味が無く、乗っているだけでメカの事がわからない代表と言えばこのお嬢さん。お祖母さんから角目カブを引き継いだ美紀ちゃんだ。


「おっちゃん、この前オイル交換した時に中を掃除した方が良いって言ってたやんなぁ。寒いし電車で行くから掃除してくれへん?」


 美紀ちゃんのカブは納屋から引っ張り出してきて最低限の整備しかしていない。予算が一番の理由だが、走行距離が少なかったのも考慮しての事である。


「おう、かまへんけど2日くれるか? 代車出すわ」

「ん~、電車で通おうかと思ったけど良いん?」


「年末は物騒やからな」


 年末の近江今都駅は普段よりも物騒だ。安全の事を考えるとなるべく自力で通う方が良い。特に美紀ちゃんは大人びたクールビューティーだ。そういう女の子は目を付けられやすい。葛城さんや安浦さん曰く『クールな娘が驚くのを変態は好む』そうだ。気を付けた方が良い。イケメン女子の葛城さんは変態に会った事は無いらしいが、彼氏である清純美少女系彼氏の浅井さんは何度か変態に出くわしているらしい。


「じゃ、貸してね。電車代が浮くし嬉しいんやけど良いの?」

「ええで、部品は有るから2日後な。他に気になるとこは有るか?」


「ついでにオイルも換えといて。多分時期やと思う」

「了解、ついでに換えておく」


 代車のスクーターに乗って帰る美紀ちゃんを見送ってカブを作業場へ入れる。少しややこしい仕事が終わってのカブ弄りは良い気分転換になる。オイルを抜いて毛布を敷いた台に車体を寄りかからせて右のクランクケースカバーを外す。


「クランクケースのボルトを段ボールに刺しておくと組む時に分かりやすいって、カクヨムのエッセイでもやってたな……『ご家庭にある材料で出来ます』なんつって。絶対にあの作者京丁椎って奴はあの番組を見てるな」


 オイルフィルターが見えた。フィルターと言っても単なる金網で、細かな塵やスラッジは遠心クラッチのアウターカバーの下に溜まる様に出来ている。


「金網は大して汚れてござらんなっと」


 大して汚れてはいないが、何故か藁クズや虫の死骸が付いていた。これはオイル交換の時に入ってしまったのだろう。放置期間中に沈んだのだろうか、クランクケースの底にベッタリしたスラッジが付いていた。後で掃除するとして問題は遠心クラッチの方だ。アウターカバーを止めている4本の+ネジが緩むかどうかが運命の分かれ道。ネジの溝をパーツクリーナーで脱脂して、更にここ一発の勝負どころにしか使わないと決めた海外製の超高級なプラスドライバーを思い切り押し付けてレンチをかけて回す。ポイントは力の掛け方だ。ジワリとかけると舐める。一瞬に全ての力を注ぐ。


「ショックドライバーは使いとないさかいな」


 この手の固く締まったネジはショックドライバーを使えば比較的簡単に緩める事が出来るが、カブのクラッチはクランクシャフトに取り付けられている。ハンマーでショックを与えるとクランクシャフトのベアリングを傷めそうで怖い。


 ピシッ! キュッ! ピキッ! クッ!


「今回はラッキーやった……」


 若干厳しいネジがあったが、何とか緩んでくれた。念のためこのネジは新品に交換する。アウターカバーを外すと遠心フィルターとご対面。


「まぁ、それなりやな」


 スラッジが溜まっているのでクラッチを外してしっかり掃除しておこうと思う。その前に携帯で画像を取っておく。ロックナットを外してクラッチ本体を外し、分解して消耗品であるクラッチ板をノギスでチェックする。


「厚みは限度内。スプリングも大丈夫。スラッジが溜まってるから掃除やな」


 クラッチアウター・ドライブプレート・クラッチセンター、その他細かな部品を洗い油で洗ってゆく。稀にクラッチセンターが割れている事が有るので傷などが無いかチェックして、洗い油をパーツクリーナーで落としてからオイルを塗っておく。


「さて、組むか」


 クランクケースの底へ溜まったスラッジをパーツクリーナーで落として、クランクケースとカバーの当たり面はオイルストーンで平面を出しておく。組み立てた遠心クラッチを取り付け、新しいガスケットを使って組み立てれば作業は終わり。オイルを入れて漏れが無いかを確認したらクラッチの調整をしてエンジンをかける。


「さてと、どうかな」


 店の敷地で試運転をして異常が無ければ一晩おいてから納車だ。すぐに取りに来てもらっても良いが、オイルやガソリン関係の所は漏れが無いか確認をしておきたいので時間をもらえる場合は預かる様にしている。


「まぁ、やった所で体感は出来んけどね」


     ◆     ◆     ◆


 2日後、美紀ちゃんが学校の帰りに寄ってくれた。


「おっちゃん、どこが変わったん?」


 正直を言えばどこも変わっていない。エンジンに溜まったヘドロを掃除しただけだ。オイル交換をしたから静かになったといえば静かになっている。オイルゲージに付くオイルも汚れが無くて量を点検するのに良く見なければいけないくらいだ。


「これはカスタムや無うて整備やから何も変わらんよ」

「ふ~ん、じゃあ何が良くなるん?」


 何が良くなるかと言われても困るが、強いて言うならば……。


「フィーリングと気分かな? あと、ゴミを掃除したから長持ちするかもしれん」


 ゴッソリとクラッチに溜まっていたスラッジや、クランクケースの底へへばりついていた汚れを説明しても美紀ちゃんには分からないだろう。だから携帯で画像を撮っておいた。


「これが掃除前。で、こっちが掃除した後。綺麗になったやろ?」

「キレイになったのはわかるけど、これってエンジンの大掃除?」


 そう、エンジンの大掃除だ。


「そうや、気分一新で新年を迎える」


 美紀ちゃんがどう感じるかは分からない。だが、乗り手がどうであれ、俺の整備したスーパーカブは走り続ける。

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