2018年 9月 秋の気配

第243話 思い出の味

 この時期になると大島家から甘い香りが漂う様になる。国の減反政策は大島家にも影響しており、米の作付面積は大島の祖父母の頃に比べて約五割削減、その分転作された土地には無花果が植えられるようになった。米に関しては自分が食べる分には困らない程度を貰い、それ以上の儲けは管理している農家に渡すのだが、米以外にもらえる物が有る。


「中江ちゃん、毎年悪いなぁ」

「な~に、こんなに有ってもウチでは処分に困るし食べきる事も出来ん。食えるものを捨てるてなもん『もったいないお化けが出るぞ~』ってな」


 大島の家に運ばれたのは無花果。熟しに熟し切って出荷できない物や、傷物になって買い手が付かない物を貰ってジャムに加工するのだ。今年は昨年の数倍の量を仕込むとあって店は三日間の臨時休業。無花果が傷まないうちに皮を剥き、刻んで大鍋で煮込む。煮込むのに時間がかかるので鍋に入らない分は冷凍して順繰りジャムに加工していく。


 ジャム作りの合間に完熟無花果を剥いて食べながら鍋をかき回す。煮詰まるにつれ色が濃くなりとろみが増していく。


「こんなもんかな?」


 仕上げにレモン果汁を入れてかき回して冷ます。今年は量が多いので食事の時間以外はひたすらコンロの前に立ってジャムを作り続ける。


(大石の親父が遺した鍋が大活躍や)


 独り暮らしだったのに大島の家には大鍋がたくさん有る。先代の大石から引き継いだ鍋だ。普段は一つを保存食作りに使うくらいだが、ジャムの季節は棚から引っ張り出していくつか使う。食卓以外に風通しの良い縁側や居間にもずらりと並んだ大鍋は連合艦隊の如き迫力だ。


「今年は焼酎漬けにして無花果酒なんかも作ってみるかな~♪」


 ご機嫌で瓶を取り出して氷砂糖と剥いた無花果、さらにホワイトリカーを入れていると縁側からガサゴソと音が聞こえた。


(お客さんかな?それとも悪さをする猫かな)


     ◆     ◆     ◆


「ただいま~いい匂いがする~って、どうしたのその顔!」


 帰宅したリツコが見たのは顔に所々痣の有るあたるだった。


「ジャムを作ってたらコソ泥が来てな、大捕り物よ」


 風通しの良い縁側に出来上がったジャムを置いて冷ましていた。そこへ匂いを嗅ぎつけて来た変わった考えをする奥様が盗もうとして大騒ぎ。ジャムをぶっかけられるわ、鍋で殴られるわ。殴られる蹴られるで警察が来るまでの数十分間酷い目に会った。顔以外に腕や首にもひっかき傷や歯形が付いている。


 ちなみに背中にもひっかき傷は有るが、これはリツコが付けたものである。


「半時間以上かかったで。何でパトカーでそんなにかかるんやろうな」


 救急車や消防車と大違いだ。カブより遅い。遅い事なら牛でも出来る。


「こんなにたくさんあるなら一つくらい寄こせって言われてな、警察が来るまでボコボコや。気ぃ失うと思ったわ。痛いのなんの」

「もう、結婚式を控えた大事な体なのに」


「せっかく作ったジャムを一鍋駄目にされた」

「で、その奥様は警察にしょっ引かれたと。傷は深くは無いわね」


 リツコさんが傷を診てくれた。怪我は大した事は無いけど心が痛い。せっかく作ったジャムが台無しになってしまって悲しい。ちょっとだけ甘えよう。


「痛い~」

「よしよし、痛かったね~」


 ちょっといい匂いがする。


「その後で旦那が来てな。謝りにじゃなくて文句言いにやで。被害届を下げろだの、子供の将来が有るとか世間体が云々とか、面倒やから金一郎に任せた。若い衆をトラブル担当連れて来てくれて連れて行ってくれよった。あいつに全部任せたからもう知らん。これで終わり」

「ジャム、残念だったね。あ~あ、私の思い出の味なのになぁ」


 リツコにとってあたるが作った無花果ジャムは初めてお泊りした朝の思い出の味。それが駄目になったと聞いてガッカリした。


「晶ちゃんもガッカリするよ。あ~あ、ショック」

「あ、全部アカン訳じゃないしな。やられたのは鍋一つだけやで」


「え?どれだけ作ったの」

「今日だけやと鍋五つ分。ご近所に配って、残ってるのは鍋半分」


「お鍋半分か、ふにゅぅ……」


 鍋半分と言われてリツコの頭に浮かんだのは朝食の味噌汁を作る鍋だった。その鍋で半分となれば一週間分にもならない。晶に分ける分を考えると尚更テンションが下がった。実際は相撲部屋でちゃんこを作る様な大鍋で作っていたのだが。


「まぁ、あと二日で思いっ切り作りまくるから大丈夫。材料は山ほどあるしな」

「そう? そんなにあるの?」


「あるよ」


 何かのドラマに出てくるバーの店長みたいな事を言いながら中は刻んで冷凍してある無花果を見せた。


「去年の何倍か仕込むからお楽しみに」

「うん♪」


 翌日・翌々日も大島サイクル周辺では甘い匂いが漂い続けた。リツコは凍らせてシャーベット状になった無花果を食べてしまったり、冷ましているジャムをつまみ食いして中に叱られたりしたのだが、無花果酒についてはまだ何も知らない。


 リツコが無花果酒を発見するのはこの一年後のお話。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る