第242話 大島・オイル交換に追われる

「おっちゃん、オイル交換なんやけど大丈夫?」

「おう、ちょっと待っててや~」


「いや、時間と違うておっちゃんの体調。痩せた?夏バテ?」


 盆休みを終えて鋭気を養うどころかリツコに吸い取られて絞りかすの様になった大島だが仕事は待ってくれない。盆明けから夏休みが終わるまでは高嶋高校へ通う生徒のオイル交換が多く来る。メカに詳しくなった一部の生徒は道具を借りて自分で作業したりするのだが、大半は大島が作業をする事になる。


「そんなに痩せたか?このところ運動してるからな」


 運動と言っても『夜の』が付いてしまうのだが、それはリツコさんから『絶対に言うな』と念を押されているので言わない。「もしかしてフリ?」と聞いたら「フリじゃないわよ」と真剣に叱られてしまった事も有って絶対に言わない様にしている。間違っても「めっちゃ抱きついてくる」とか、「背中を引っ掻かれる」等と口走ってはいけない。男女の営みはいつの世も秘め事なのだ。


「そういえばさ、磯部先生がキレイになったのっておっちゃんの仕業?」

「前からキレイやろ?」


「何かさ、この何ヶ月かでキレイって言うか、セクシーになったんや」

「ふ~ん」


 大人になりつつあり、子供独特な鋭さを持つ高校生は侮れない。実際のところ、食生活の改善でリツコは美しさに磨きがかかっているのだが常に一緒に居る大島は気が付いていない。身近だからこそ解らない変化というのは人に限らずバイクにもある。


「タイヤの空気が甘いな、少し足しとくか」

「なあおっちゃん、何で磯部先生はおっちゃんとくっついたん?」


「猫に餌やったら懐くやろ?それと一緒」

「磯部先生はニャンコ?」


      ◆      ◆      ◆


「で?なんて答えたの?」


 帰ってきたリツコさんはビールの500ml缶を開けて一気に飲み干した。夏休みだから学校は休み。だけど教師は公務員だから盆休みが明けたら仕事だ。


「ん~?『ニャンコ』って言うたで」

「ニャンコ?私はニャンコ?狩ってやろうか?」


 そんな事を言いながら指を丸めてニャンコポーズをするリツコさんは猫と言うより獲物を狙う豹のようだ。


「もう狩るのは堪忍して」

「あなたは私のエ・モ・ノ、だけど今日は止めておくね」


 今日は疲れと暑さでグロッキー状態だ。更に素麺を茹でて錦糸卵と焼いたら暑さで倒れそうになった。


「でね、疲れてる所に悪いんだけど学校からのお知らせ」

「ん、始業式のあとやな。去年は暑うて死にそうになったで」


 リツコさんから渡されたプリントは生徒の通学用バイクの点検のお知らせだった。高嶋高校の生徒が事故で亡くなった年から点検をする事になったのだ。


「長期休み明けの点検やな、了解」

「今度は飲み物を用意しておくね。去年はカンカン照りで死にそうになったって苦情が来たから準備したのよ」


 ここのところ忙しくしているのはその辺りの準備が原因らしい。ちょっとした休憩をする為の椅子やテントの手配をバイク通学指導担当の職員で手配しているとか。


「去年は緊急事態やったもんなぁ、仕方ないで」

「あの事故のおかげで私がバイク通学指導担当になったのよねぇ」


「でも暑いしクーラーボックス持参で行くわ」

「その方が良いかも。今回は生徒も一緒に受けるから時間がかかるよ」


「生徒も一緒に?」


 リツコさんが言うにはバイクに不具合が有った場合はその場で生徒に改善命令を出す様にするとか何とか。


「事前の連絡無しで点検に来ない生徒はペナルティでバイク通学の許可も取り消しよ。今までみたいにチェックを逃れるなんて絶対に許さないんだから」

「ん?全部見たんと違ごたっけ?」


「検査を逃れる奴が居るのよ」


 リツコさんが言うには検査の直前に車両変更したり、検査の日だけ休んだりする生徒が要るらしい。病気ならまだしズル休みをしてまで悪さをするクソガキは許せないから厳しくしたのだと言う。


「まだ悪さする子供がいるんか?ウチのお客さんには居らんで」

「ウチのお客さんは大丈夫なんだけど、悪い子は居ないでもないのよ」


「そうか」

「ところで、中さんのお友達ってスゴイよね」


 リツコさんが驚くのも無理は無い。第二次ベビーブーム世代、俗に言う団塊ジュニアの俺達は団塊世代に次いで人口が多い。小学校が1学年2クラス、中学校が5クラス、高校が10クラスまで有ったのだから同期に声をかければ大概の事は片付く。家1軒建てるのに基礎から家電まで全部の部門に同期が絡んでくるくらいだ。


「ああ、式の段取りやろ?式場は寿光苑の深見のあんちゃん、引き出物は村田菓子店。他にも色々と同期で手配してくれたし、招待状は村田印刷、発送が郵便局の伊原で新婚旅行の手配が西垣ツーリスト。同級生ばっかりやな」

「何処に行っても同期が居るでしょ?高嶋高校にも中さんの同期が居るよ」


 もう同期が多過ぎて自分でも把握できていない。教師になった同期なんて心当たりが無い。


「向こうが知っていてもこっちが知らん事が有るくらい多い世代やからなぁ、式に呼ぶメンツを選ぶのに苦労したで。おかげで時間が出来て助かるわ」


 結婚式まで約2か月。庭から聞こえる虫の鳴き声に秋の気配を感じつつ夜は更けていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る