第228話 凸と凹②

 いよいよ決戦の日が来た。名付けて『アキラ作戦』らしい…何だそりゃ?


「今日は『アキラ作戦』の決行日よ。負けられない戦いがここにあるんですっ!」

「むむっ!じゃあ晩御飯は要らんね。はい、お弁当」


 サッカー解説者の真似をしながら渡すのは、今日も変わり映えのしないお弁当箱。そしていつものやり取り。


「行ってらっしゃいのチューは?」

「行ってらっしゃい……」


 目を瞑ってチューをせがむリツコさんの口にそっと……






「しょっぱい!」


 キャラメル大の岩塩のかけらを突っ込んだ。


「水分だけじゃなくてミネラルの補給も忘れんようにな」


 毎回思うのだが、奥さんと旦那さんの役目が逆になっている気がする。


「も~!しょっぱい~!」

「お水も飲んで、はい、いってらっしゃい」


「行ってきます」


 カシャン…ヴロォォォ…カシャン…ヴロロロロ…


(パターン赤!葛城さんとのシンクロ率低下です!…なんてなりません様に)


 出勤するリツコさんを見送りながら思うのだった。


 リツコさんを見送ってから店のシャッターを開けると日差しと共に店内は夏の空気に満たされる。季節はすっかり夏。遊ぶにしても恋をするにしても暑い季節だ。


「久しぶりに一人の晩飯か…何を喰おうかな?」


     ◆     ◆     ◆


 夏休みが近付き、教習所へ通える年齢になった生徒が免許取得申請を出し始めた高嶋高校。一昨年までは出せば許可が下りた免許取得申請だが、今年は少し勝手が違う様で……。


「げヴぉ?どヴぉして申請がとヴぉらねべ通らないの?」

「『成績不良に付き不許可』…何だこりゃ?」

「え~!もうバイク買ったのにぃ~」

「『バス路線有りに付き不許可』…何これ?」


 成績不振やバス路線があると言った理由で数名の生徒は免許取得の申請が通らず、生徒指導へ不服を申し立てました。


「あなた達ねぇ、教習所より通う所があるでしょ?」


 喰ってかかって来た生徒の勢いに負けず、リツコはさらりと受け流しています。

学生の本分は勉強。学校に通うのは学習の為であってバイクに乗るのは本来やるべき事をやった上で余裕が在る者がする事だとリツコは諭したのですが。


「ゲヴぉっほ~!」


 どうやら説得は通じなかった様で、暴れ出した生徒がリツコの頭を叩こうとしたその時、


 パシッ!


 振り上げた手は背後から生徒指導の『鬼の竹原』に弾かれました。


「お前、俺に同じ事が出来るんか?リングで相手しようか?」

「何だとうっ!僕タン強いんぎゃぼっ!」


 暴れる生徒が放った渾身の拳は竹原の右ほおに炸裂と思ったらあっさりとかわされました。ちなみに竹原はプロボクシング経験者です。


「お前は強いつもりかも知れんが、弱い世界での話じゃ」

「げヴぉ?!僕タンのパンチを受けないだとぅ!」


「ほら、ボディーに来いやぁ……打ってみぃ」

 ポムポムとお腹を叩いての挑発は竹原のやる気スイッチONの合図です。


「なろっ!喰らえっ閃光のワンツー!」


 半ばパニックになった生徒は竹原のボディーに拳を叩き込んだつもりだったのに、鍛えられた腹筋に弾き返されました。


「おお痛い痛いとでも言やぁ満足かのぅ。教師へ暴力とは怖いのぅ……怖いのぅ」

「ぼ……僕タンの閃光のワンツーが効かないっ!」


 薄ら笑いを浮かべて腹をさする竹原と、腕組みして冷酷な目で見るリツコ。


「強い奴らから見たら、お前なんざ『下の下』じゃ」

「田谷君、少しおいたが過ぎるんじゃないかしら?いけないわ」


 まるでチンピラと姐さんです。


「ぼ……僕タンたちは今都の……神の……天使……」

「今都なんだから今都なんだから今都なんだから……」

「どヴぉして叱られるんでぎゅぎゅゎ~?」


 取り巻きの生徒も含め、全員が竹原の殺気を感じてガタガタと歯を鳴らしています。


「お前はパンチが好きか?じゃあパンチをくれてやろう……ほらよっ!」


 ヒュッ……ピタッ。


 竹原の放った右ストレートは暴れる生徒のほんの1ミリ手前で止められました。


「田谷・落合・大村…お前等3人の顔と名前は覚えた。これから気ぃつけて補講を受けぇや。でないと……次は当てるけぇのぅ」


 昨今の教育現場では殴ってしまうと大問題になります。仕方が無いので竹原は殴らずに優しく生徒を諭しました。もっとも生徒の方は気を失いかけて聞こえているか定かではないのですが。


「おおっと、危うく殴ってしまう所じゃ、磯部先生、殴ってませんよね?」

「大丈夫。1mmあったわ」


 今日はお食事会の日。『アキラ作戦』の決行の前にくだらない事をしている場合ではないのです。


「竹ちゃん、ビビらせ過ぎっ♪」

「先輩こそ冷酷な悪の女幹部みたいでしたよ……化粧も含めて」


「何か言った?」

「仕事を片付けて定時で帰りましょうって」


 意識がもうろうとする生徒を第二教務室から放り出した2人は束になった申請書を片っ端から片付け始めるのでした。


     ◆      ◆     ◆


 リツコと竹原が仕事をバリバリこなす一方で、葛城は……。


「は~い、停まってね~。免許見せてくれるかな?」


 普段と違って力の抜けた仕事っぷりだった。


「ストップの左が点いて無いから、すぐに直すなら切符は切りませんよ~」

「じゃあ、直してもらってきます」


 特にノルマや目標が無い時は安曇河や真旭でパトロール。違反車を追いかけると言うよりもストップランプが点いていなければ整備を促したり、横断歩道を渡るお年寄りや子供の手を引いたりとのんびりしたものだ。


「はい、免許返しますね~」


 数十メートル先にある自動車店に入った軽トラックを見て葛城は再びCB1300Pを走らせた。特に今日は何という事は無い。強いて言うならエンジンからの熱気と地面からの照り返しで暑い。


 前回のリツコとの食事は散々な目に会った。


(今回は期待しな~い。焼肉焼肉るんる~ん♪)


 だから今回はオシャレはせずにありのままの自分で挑む。さすがにジーンズは通勤に履くのは躊躇われたので綿パンとポロシャツ。どちらも兄からのお下がりだから汚しても大丈夫。もう男性とのお食事会など。肝心なのは夏に負けないスタミナ作り。晶は完全に『肉を喰らう』事しか頭に無かった。


「おっ肉♪おっ肉~♪」


 勤務を終えて着替えた自分を見た晶は自身の姿を見て、どう見ても女子らしくない事に少しの哀しさを感じたが、どうせ自身には恋人など出来ないと諦めと共に、いっその事女性と付き合ってしまおうかとの考えが脳裏をよぎった。


「うん、我ながら男の子っぽいね。でも、今日はポロシャツだから」


 襟からチラリと見える鎖骨と胸元は少しだけ晶の女の子らしさを主張していた。


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