第201話 私も『いまづ』なんだけど?


今日も新入生3人組は真旭自動車教習所で学科教習を受けていた。

3人にとっては実技教習よりもつらいのが学科。学科授業は時間が決められていて、その時間に合わせて受けるのだが、とにかく全部を受けるのに時間をやりくりするのが大変。遅くまで残ったり必死になって駅まで走って1本早い電車へ乗ったりと、授業以外の時間のやりくりが大変なのだ。


幸いな事に真旭自動車教習所ではゴールデンウイークでも学生の利用者の為か教習が行われ、高嶋高校の生徒はこれ幸いと一気に台帳をハンコで埋めていた。


「結構消化できたよね」

「うん、やっぱり高校生に免許を取らせる為かなぁ」

「バイク人口が毎年確保されてるのって高嶋市くらいやからと違う?」


そんな新入生3人組だったが、何とか学科はクリヤー出来て、あとは卒業検定を受ける所まで来た。


「何とかなったねぇ」


突如、学科教習の終わる寸前に教習コースから怒鳴り声が聞こえた。


「はぁ?今都いまづなんだげぼけどぉ?ハンコくれなびぼいのぉ?」

「坂道で発進不可能・後退3mでハンコなんざ押せるかっ!」


じぇにか?じぇにぜにヴぁぎょヴぃいんぎゃが欲しいんか?」


ユニークな喋り方をする教習生は財布から数万円を出して教官に突き付けた。

金で解決しようとする今都らしい考えである。無論、教官は断った。


「あのなぁ、金が有るんやったら早いところチケット買うて補講受けんと間に合わんで?あんた、バイク免許取るのに何ヶ月かかってるん?もうすぐ教習期限が来るで?何回言っても真面目に教習は受けんし言う事は聞かん。ハンコは押せんわな」


「っざけんな!」


変わった喋り方だったが最後に言った事は麗にも分かった。注意されて逆切れ『ふざけるな』と言って怒っているのだ。


ガッコーンッ!……カランコロン…


怒ってヘルメットを叩きつけた教習生は文句を言いながらコースから出て行った。


(私と一緒の名前だ。高嶋市では『いまづ』って多いんだなぁ)


大津出身のうららは知らなかったが、『今都いまづなんですけど』は自分の名前を言っているのではなくて、『私は今都に住んでいるからあなた達より偉い人間ですよ』もしくは『私は今都のお金持ちで偉い人間ですよ』と言う意味だった。


「高嶋市って私と同じ名前が多いんだねぇ…」

「違うで。アレは今都町の人や…怖いやろ?」

「怖~い変な人が多いんだよね~お金持ちで威張ってるし…」


「あの語尾が『ゲぼ』とか『ヴぇぼ』って何?」

「あ~麗ちゃんは知らへんかもな、あれは今都の『ゲヴォ言葉』やで」


『ゲヴォ言葉』とはずいぶん昔に今都町の児童の間で流行った他の町を馬鹿にする時に使う言葉である。今都町教育委員会では今都発信の文化として普及を推進したが、結局他の街では流行る事は無くいつの間にか廃れた。当時の児童が成長して親となった現在では子供へ受け継がれることも多々ある。


「四葉ちゃん、詳しいね」

「ちなみに『ゲヴォ』は『下僕共め』の意味もあるんやで」

「下僕から来てるんだって」


要するに「~だぞ、下僕ども」の略である。


大津市出身のうららには今都に住んでいるからと威張る理由がいまだに分からない。大津から見ると高嶋市はどの町も田舎町。店が賑わっているのは安曇河、特産物は真旭と高嶋。今都と蒔野は…特に何も感じない。


「あの『げぼぉ』とか『びぼぉ』って高嶋市の言葉なんだ。大津と違うねぇ」

「あんなんと一緒にせんといてな。あれは『今都言葉』やから」


今都の住民だけが使う方言の中でも極少数の珍しい方言の一種『今都言葉』

今では琵琶湖沿いの旧街道に住む今都の住民だけが使っている。


「今都言葉?なにそれ?」

「今都で流行った話し方。高嶋市でも使う人は少ないよ」

「今都は変な人が多いんや。Bコースの別館なんか殆ど今都やもん」


Bコースと言えば問題のある生徒ばかりが集められた特別選抜クラス。

別の意味で特別に選ばれて抜かれた選りすぐりばかりのクラスである。


言われてみるとヘルメットを投げたり教官に喰ってかかる教習生に『今都いまづなんですけど!』と叫ぶ者は多い。乱暴な走り方をしたり教習中にふざけたりしていて注意されると『今都なんですけど』となるパターンだ。


「それで私は警戒されたんだ。なるほど」

「だから私や先生たちも名字で呼ばないんだよ」

「そうや。先生に下の名前で呼ばれるのって麗ちゃんくらいやもん」


麗は同級生や担任、その他の教師からも名字では無くて『うらら』と名前で呼ばれる。呼び捨てでは無く『ちゃん』『さん』は付くとは言え馴れ馴れしすぎる。今まで不思議に思っていたのだが、やっと理由がわかった。高嶋市では『いまづ』と呼ぶのは嫌われ過ぎて一歩間違うと差別やいじめと捉えられるのだ。


「それにしても、あの人って私達と同じ学年?あんな人居たっけ?」

「さあ?」

「Bコースやろ?『都落ち』の別館のクラスと違う?」


教習を終えた3人は疑問に思ったが、深く考えず送迎バスに乗りこんだ。


「そう言えば、あの教官って私たちは当たった事が無いよね?」

「そう?」

「う~ん、グループが違うのかなぁ?」


「違うでぇ、お嬢ちゃん達は市の南部の子やろ?」


3人が話していると送迎バスの運転手が話しかけてきた。


「君らは南の子やろ?北の子とは教官グループが違うんやで」

「どうしてですか?」


「見てたらわかるやろう?あの手の子はな、卒業させへんのや」

「もしかすると、ずっと教習を受けてるって事ですか?」


「そうや、もうすぐ教習期限が来るはずや…去年の夏に入った教習生のな…」


教習期限は入所から9か月。その期間で卒業検定に合格出来なければ運転に不向きとされる。つまり免許を取る事が出来ず、無駄に大金を使った上に何も得ることが無いという事だ。


「お嬢ちゃん達は大丈夫。教官の言う事を聞いて頑張りや…」


     ◆     ◆     ◆     ◆


「今年は今都の生徒が少ない?それは静かで良いな」

「不合格だった人は全部今都の受験生だったんですって」


今日の速人はヤフオクで買ってきたキャブレターを掃除している。勉強を教えて欲しい理恵とバイクのキャブレターをメンテナンスしたい速人。連休中にもかかわらずウチへ来たのは速人の家にコンプレッサーが無く、各種ケミカルの匂いを家族から注意されるから。そんな速人の傍らで理恵は宿題を片付けている。家だと気が散って集中できないんだと。


「実はな、おっさんは今都の人間が嫌いでな…」

「それは知っています…って言うか今都が好きな高嶋市民は今都の人だけでしょ?」

「私も嫌ぁ~い。キャブクリーナーの匂いより嫌い」


キャブレターの掃除はキャブクリーナーでするが、これが何とも言えない甘い匂いがする。パーツクリーナーよりガソリンが揮発してネチャネチャになったガムみたいなのを溶かすにはこっちの方が強力で良い。


(とは言え、この匂いは毎回気分が悪うなるな…)


俺はキャブクリーナーの匂いが苦手だ。ブレーキクリーナーやガソリンの匂いは大丈夫。ただし、軽油の匂いは体が受け付けず吐きそうになる。自転車屋で良かった。バイクにはディーゼルは無いからね。※一応存在はする


「で、速人は進路を決めてるんか?」

「僕は機械の事を勉強して部品を設計したいです」


速人は成績が良いみたいだから大丈夫だろう。具体的に何を作りたいのかは知らんけど目標を持って生きるのは大事な事だと思う。


「速人は工業大学とか行きたい人?私も興味があるんだけど…」

「理恵ちゃんは何に興味が在るの?」


「燃費競走?1リットルのガソリンで何キロ走れるかって奴」


理恵がマイレッジマラソンに興味を持っているとは知らなかった。何であれ興味を持つのは良い事だ。将来を目指す目標になる。


「理恵やったら軽いし燃費が良いやろうな」

「凸凹が少ないから空気抵抗も少ないよね」


「にゃに~!凸凹が少ないとはどう言う事?」

「大平原の小さな胸…」

「プッ…あ、すまん」


この後、プンスカ怒った理恵に速人はポカスカ叩かれていた。


     ◆     ◆     ◆     ◆


「進路ね…中さんは高校の時はどうしようと思ってたの?」

「大石の親父にカブの整備は習ってたけど、バイク屋をする気は無かったな」


最初の仕事は機械の部品を削り出す仕事。次はクリーニング店。

そしてしばらく放浪してから店を買って今に至る。行き当たりバッタリで目標なんか持っていなかった。


「リツコさんは、どうして教師に?」

「私は父が居なかったから。学費の安い大学へ行く様に頑張った結果よ」


若くでお父さんを亡くした彼女と比べると俺なんか甘ちゃんかも知れない。


「社会人になるまで両親が居た俺の方がぬるい高校生活やったんかな…」

「勉強は頑張ったよ。推薦と奨学金を勝ち取るのに必死だったかな?」


リツコさんはお母さんに負担をかけない様に、安定した職へ就けるように頑張った結果が今だと話してくれた。大酒呑みで食いしん坊なリツコさんも若い頃には苦労をしていたのだ。


「で、次の目標は…」

「ご飯を作れるようになるとか?」


残念だがリツコさんが料理を出来る様になるのはスーパーカブでモトGPへ参戦するようなもの、つまり無理である。大事な事なのでもう一度言う。無理である。


「……お嫁さん…」


おお?真っ赤になってはにかんで…可愛らしいやないか。普段からこうしてたら男が放っておかんのに。なんで普段これが出来んかなぁ?


「相手は?金一郎と連絡を取ってるみたいやけんど、あいつは危ないで」


金一郎は職業柄裏の世界との繋がりが有るらしい。公務員であるリツコさんとお付き合いすると問題が有ると思う。


「違いますっ!金ちゃんとはそういう仲じゃありませんっ!」

「金ちゃん?おお~仲良しやなぁ」


金一郎を『金ちゃん』と呼ぶのは数少ない一部の者のみ。あいつは『鬼の億田』の異名が有る金融界の鬼。まったく、リツコさんはなかなか積極的やったんやな。


「まぁ、何が有るか知らんけどリツコさんの恋は応援するから」

「話を聞いて。好きな人がいて金ちゃんには相談に乗ってもらってるの」


なるほど。金一郎は交友関係が広い。この前会った時にその事を話したのだろう。そして恋愛相談にのってもらっている訳か。世の中は狭い。金一郎ならリツコさんの好きな男が知り合いでも不思議ではない。


「そうか。そら悪かった。頑張って恋を実らせてや」

「……バカ…」


金一郎が恋の相手だと勘違いしたのは認めるが『バカ』は酷い。凹んだ。

※関西の『バカ』は関東では『アホ』に相当


「ごめん。リツコさんの恋は俺も応援する。結ばれるように協力する」

「…絶対に?」


「うん、リツコさんやったら大丈夫。その為には…」

「その為には?」


「お料理が出来る様にしようか?」

「全身全霊をもって拒否する!」


このあと、リツコさんは非常に不機嫌となって自室にこもってしまった。

『男は胃袋を掴め』と言うのに、よほど料理をしたくないらしい。

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