2018年 5月 3輪車入庫中
第200話 リヤホイール問題が解決しそう
今日は安井さんがご来店。この4月で定年退職となったこのオッサンは嘱託にと誘われたのを蹴ったそうだ。悠々自適の生活をしたいのと車の運転手の世界から足を洗いたかったとか何とか。
「今まで聞かんかったけど、安井さんって何を運転してたん?」
「市役所の議長車の運転手よ。言うてんかったか?」
今まで『運転手』と聞いていたが議長車とは思わなかった。
「聞いてないで」
「そらそうや。市のぶいあいぴいの情報はバラせんからな」
まぁこんな小さな街でも一応市議会の議長だから、テロとか反議長派の襲撃の危険が有るかも知れんのやってさ。合併してから特にひどいとか。
「安曇河の議員さんとか乗せるとヒヤヒヤもんやで。今都に襲われそうでな」
「文句有るんやったら今都から市長候補を出せばよかったのになぁ」
議長車と言えば市のVIPが乗る車。車内では魑魅魍魎が乗り込み、世の中へ出してはいけない話題も出る世界。市議会議員になろうなんて出しゃばりの相手だからさぞかし苦労した事だろう。
「ダッシュボードに足を放り出して乗る様な行儀の悪い連中の相手なんざ定年までで腹一杯や。嘱託になって安い給料でやってられんわい」
「行儀の悪い議員さんもいるんやなぁ……今都の議員やろ?」
ハッハッハと乾いた笑いをしてからコーヒーをすする安井さん。どうやら図星だったらしい。暫くは仕事の事は話せんみたい。守秘義務が有るんやと。
「あんなクソみたいな連中の相手なんざ定年後までやってられん」
「それはそれは……で、今は悠々自適? 羨ましいわぁ」
俺は自営業だから定年は無い。跡継ぎがいないから俺が死んだら店は終わり。先代みたいに店を継ぐような失業者がひょっこり店へ来ると良いのだが、まぁこんな小さな店を好んで継ごうなんて言う物好きなんぞいないだろう。
「で、今日はどうしたん? 孫の
「ハァ~痛い所を突くのう」
大きな溜め息をついて首を振る安井さん。どうやら要らぬ事を言ったらしい。
「娘と嫁はんが連れて一緒にお買いもんや、ワシの負けや」
「ぷっ……ママと婆ちゃんに付いていったんか」
笑うつもりは無かったが思わず声を出して笑ってしまった。
「『ジイジのバイクは嫌っ!』なんやと。DVDが見られんからって」
「ゴールドウイングでも買うしかないなぁ」
ホンダゴールドウイングはホンダの超豪華ツアラーだ。水平対向六気筒の一八〇〇㏄といえば、シリンダーの数がカブの六倍で排気量は二〇~三十六倍。もちろん大き過ぎてウチの店では扱えない。
「そんな大きいバイクは体力的に扱えん。経済的にも無理や」
「まぁ、どっちにせよウチでは扱えん車種やなぁ」
特に用事も無くて暇を持て余して来たといったところか。要するに話し相手が欲しかったってところだ。珈琲を出してもてなす。
「まぁコーヒーでも。
「家に一人で居ても暇やしなぁ、お前の所に無いか面白いもんでもないかと思ってな」
面白いかどうかは別として、古めのミニバイクなら売るほどある。
「アレは売りもんか?」
「ん?ジャイロ?どうしようか悩んでるけど、買う?」
「値段次第やな、年式と走行距離は?」
「年式は車体番号からすると八五年辺り。距離は余所から来たから不明」
整備履歴は全く不明だが限りなくノーメンテナンスに近いと思う。距離はオドメーターの桁が少ないから何周回ったか分からない。よそから来たバイクの怖い所だ。
「値段は?三〇年前のバイクで今も買えるバイクやぞ」
「四万は貰わんとこっちが損するくらい修理した。しかもまだ直ってない」
絶版車では無くて今も改良され続けて継続生産されているジャイロX。二ストの後期型ならデフギヤが付いて走りが良く人気だ。だが初期型はデフクラッチで内輪差を逃すタイプなので癖が強い。古いだけで人気が無いのだ。
「四万やったらもう少し足して新しい方を買うなぁ」
「こら売るに売れんでぇ、どうしたもんかなぁ」
「嫁さんのお買い物の足にしたらどうや?」
悩む俺を更に悩ませる事を安井さんは言った。噂とは怖いものだ。尾ひれがついて気が付けば町内を縦横無尽に泳ぎ回って大きく成長する。
◆ ◆ ◆
「
「……斜め」
料理に迷いが出ている。心の乱れは味の乱れ。今日の中さんは変だ。味付けに繊細さが無い。味噌汁が薄い。キャベツの千切りが乱れている。だいたい今日の晩御飯は何なのだ。千切りキャベツと大きなトンカツ。そして味噌汁とご飯。手抜きだ。
「ジャイロのホイールが見つからないの?そんな事くらいで不機嫌なの?」
「……そうじゃないけどな」
「私に出来る事だったら何でも言って。一緒に住んでるのに水臭いゾ」
「……何か、俺達が婚約したって噂が流れてる。何か陰謀を感じる…」
あ、それ私だ。ふむ、本当に婚約してしまえば良くない?一緒に住んでるし、私の裸も見た事だし、もう一押しすれば既成事実も作れそう♪
「もしかしてリツコさんが誰かに恨まれて結婚出来ない様にされているとか…」
「どうしよう……もうお嫁に行けない……」
よし、コーナーに追い詰めた。さぁ『責任を取る』って言って。『俺のお嫁さんに』って言って。
「噂を流した輩を始末せねばならん。金一郎が裏世界に詳しかったな……」
そっちに行くの? 金ちゃんに相談? 金ちゃんが中さんに嘘をつきとおせると思えない。で、金ちゃんが喋っちゃうと叱られて嫌われる! 一番駄目なパターンだ。
「大丈夫、リツコさんに恨みを持っている奴は責任を持って始末する」
「いや、あの……その……危ないことは止めて欲しいかな?」
優しく微笑みながら怖い事を言わないで! 責任を取る方向が違う!
「恨みを持っている物に心当たりは? バイク通学絡み?」
「えっと、何と言いますか……もういいから! 自分で何とかするから!」
「そうや! この前の無口な探偵さんに頼んで解決してもらおう」
「もういいから! バカな事を気にしないでっ!」
説得に1時間かかった。
中さんがお風呂に入っている間にネットオークションを見てジャイロXの前期型に合いそうなハブを探してみた。前期型ジャイロに合うのはスプラインの溝が二十二山の物。
「ジャイロUPとかキャノピーのハブでも良いんだ…ん?」
商品説明にスプラインの山数が入っていないハブ発見。こういうのは案外めっけものかな?説明が無いから敬遠する人が多いけれど、上手くいけば安くで落札できる。
「お? リツコさん、ハブを見てくれてるの?」
お風呂掃除を終えて洗濯機を回した中さんが肩越しに画面を覗きこんできた。
「ん?フレームナンバーTA01-100××…元祖キャノピーやな」
「古いのなら合うんじゃない?スプライン数えてみよっか?」
「うん」
「私の方が眼は良いから数えるね、一・二・三……二十・二十一・二十二……二十二山だね」
念の為もう一度数えたけれど二十二山だった。
「ほう、それやったら入札やな、値段は2000円か……ギャンブルやな」
「錆は悪くなさそうだけど、出品者に悪い評価が多いね」
眉間にしわを寄せて画面を見ていた中さんが私の顔を見て『ニカッ』と笑った。出会ってそれなりの時間を過ごしているけれど、こんな顔を見るのは初めて。
(嬉しいんだ……この人はバイクの事ばっかり。私の入る隙間が無い)
「こういうのは出会いが大事や。見た瞬間にピンと来る」
「ふ~ん」
「悪い評価の内容かって落札者の方に落ち度が有る感じやしなぁ」
中さんは悪い評価の数よりも内容を重視する。落札者の無知が原因だったり報復で付けられた悪い評価は多少あっても気にならないみたい。
「注意するのは配送料や梱包代でぼったくる所や」
「本体が安い分をそこで取り戻すわけか、これはズルだね」
商品説明が少なかったせいか競る事も無くオークションは終了した。ハブ問題は解決。これで中古部品がたくさん有る六穴ホイールが付けられる。
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