第192話 花満開・花見シーズン

 桜のシーズンと思っていたら、今年は天候が変だったせいかもう散りはじめ。


「満開の時に来たかったなぁ~」

「理恵ちゃんの目的は桜より食べ物でしょ?」


 土曜の午後、理恵と速人は桜を観にバイクを走らせていた。目標は海都大崎。海都の桜は樹の寿命が迫っていると言われて花に往年の勢いは無い。それでも往年の桜の勢いを知らない理恵達にとっては充分綺麗な桜。そして花見客目当ての出店。理恵にとってはこちらの方が重要だったりする。


「でもさ、こっちの方が綺麗で『花見』って感じだよね」


 湖岸道路に高嶋郡が合併して市になったのを記念して植えられた桜。最初の頃は樹も細く、花も寂しい物だった。それが十数年経った今では琵琶湖と桜を楽しめる絶好のツーリングスポットとなっていた。


 プチツーリングをしているのは理恵達だけでは無い。高嶋高校へ通う生徒の何組かのカップルは湖岸の駐車場にバイクを停めて写真を撮ってSNSに投稿したりブログに登校したりと各々楽しんでいるのだが……。


 カランッ!ガッシャ~ン!


 通り過ぎるバスからビールの空き缶・カップ酒の瓶・その他おつまみの袋が投げ捨てられる。マナーの悪い利用者の観光バスと化した高嶋市役所の公務用マイクロバスである。


「市民活動の御旗のもとに!」

「我らに逆らう者ぞ無し!」

「我ら高嶋市文化協会っ!」


 今日の市役所マイクロバスは今都→湖岸道路→近江八幡・ラコリーナ→クラブハリエ→長浜城→海都大崎で花見→今都と巡る『研修』で出動中。


 こんな研修とは無縁と思える観光旅行でもバス貸出し担当者が『研修』と判断すれば公務として税金で走るバスは貸しだされる。ちなみに貸出し担当者は今都の出身。そして、バス貸出し担当になって以来、何故か周囲より若干・・良い暮らしをしている。


 桜のシーズンの市役所マイクロバスは今都支所で申請をした利用者で大混雑。毎日『研修』と呼ばれる花見・お食事会・観光旅行・近江八幡の洋菓子屋・和菓子屋へと走り回っている。


「何か気分が冷めたね、ここでおやつを食べて帰ろっか?」

「うん、なんか海都まで行く気が無くなってしもた」


 理恵と速人は湖岸道路脇の駐車場にバイクを停めて桜を観ながらお菓子を食べることにした。


「ジャン!私はこれ。花見団子と御饅頭!」

「僕は丁稚羊羹とカステラ」


 二人で持ち寄ったおやつを食べながらの花見。ペットボトルの渋いお茶を飲みながら、理恵は速人が持って来た丁稚羊羹一〇本のうち九本と、カステラ五箱のうちの四箱半、自身が持って来た大量の花見団子二〇本と饅頭三〇個の八割方を食べながら速人に尋ねた。


「桜を観てると恋をしたくならない?」


 桜を背景に満面の笑顔で速人へ振り向く理恵。


 振り向いた彼女が見たのは高嶋市指定の黄色いごみ袋へ空き箱やら丁稚羊羹の竹の皮を放り込む速人の姿だった。


     ◆     ◆     ◆     ◆


あたるさんは桜は見に行かないの?」


 桜と言えば花見。花見と言えば酒。だが、一人でバイクや車で出かけると酒が呑めない。桜を観ながら酒を飲むことに憧れているリツコはあたると花見に出かけたかった。


「今都の連中が押し寄せる海都の桜なんか見に行きません」


 そんな事を言いながらタッパーに酒の肴・饅頭や団子、そして氷やお湯を入れた2本の魔法瓶を手提げカゴへ詰め込んでいるあたる


「あれはあれで綺麗な桜やけど、俺は静かに桜を観たいから」

「あ、花見には行くのね」


「うん。お湯と氷は持って行くからリツコさんは何かお酒を持って来て」

「中さんは?」


「運転するからこれや」


 買い物かごの中には小さなヤカンとキャンプ用のガスバーナー。


「運転手やからお茶かコーヒーでも飲もうかと思ってな」

「それで団子と御饅頭か」


「リツコさんがすぐにお湯割りを呑めるようにお湯も持って行くけど、やっぱり沸かしたてのお湯でドリップする方が美味しいから」


 今日はバイクではなくて車でお出かけ。中とリツコは軽バンに乗り、安曇川の堤防を琵琶湖へ向かって走った。


「ここが穴場の静かな桜。ちょっと暗いけど雰囲気があるやろ?」


 月明かりに照らされた桜を観ながら二人だけのお花見。


「リツコさんの好きな出汁巻き・唐揚げ・ゲソ天……いろいろ有るで」

「いただきま~す♪」


 ポットのお湯とでリツコはお湯割り。中はお茶を淹れて花を見る。


「私ね、お花見に来たかったんだ~」

「一人ではつまらんもんな。リツコさん、運転手が欲しかったんやろ?」


 一人の花見は酒が呑めないので運転手は欲しい。それは間違いない。


「昔々、在る所にお父さんの事が大好きな女の子が居ました。その女の子のお父さんは『大きくなったら一緒に花見酒を呑もうね』って言っていたのに、女の子が大人になる前に亡くなってしまいました……」


 流石のあたるでもリツコが花見に行きたい理由は考えもしていなかった。


「リツコさんと親父さんか、それで花見に来たかったんやな……要らん事言うたな」

「悪いと思うなら撫でれ。お父さんみたいにギュッとして撫でて」


「四月とは言え夜は寒い。リツコを抱きしめた中は頭を撫でていたが、感情を押さえられずリツコをシートに押さえつけた。

『お父さんで良いんか?リツコさん、お母さんになるつもりは無い?』

『お母さん?ん……!』

 中の言った言葉の意味を考えようとした途端、リツコは中に唇を奪われた。

『ん……』

 中の舌がリツコの口内へ入って来た。リツコも中の気持ちに答える様に舌を絡ませる。リツコの下着は剥ぎ取られ、いつの間にか服は脱がされて豊かな胸があらわになった。

『リツコさん……二人で幸せになろう。俺は家族が欲しい……駄目?』

『ううん……でも、初めてだから優しくしてね……』

 大島のいきり立っただん…」


 少し長くなったリツコの妄想。中は何も言わずに只々リツコを見ていた。リツコが妄想する姿、官能小説の様な妄言を話す姿。中はそれを只々見ていた。


「……」

「……酔っちゃった♡」


 ちなみにリツコはすでにウイスキーをボトル一本空けている。水割りと言ってもウイスキーが九で水は一の割合である。


「酔っちゃった♡」

「………きれいな桜やなぁ」


「ねぇ中さん、私酔っちゃった♡」

「……そうやろうなぁ」


 この場合の『酔っちゃった♡』は『酔ったから私を自由にしても良い』の意味だったのだが、中は『酔ったから変な事を言いました』だと受け取った。


(この男……どうしたら落せる? そもそも男はどうやったら落とせるの?)


 そんなリツコの考えを見抜いたのだろうか、中は桜を観ながら話し始めた。


「普段の飯に苦労せん程度に料理が出来るようになったけどな、やっぱり誰かに料理を作ってもらうのは嬉しい訳や。たまには自分で考え付かんような飯を食いたい時が在るで……」


(これは私の作ったご飯を食べたい……つまり『俺の胃袋を掴んで落とせ』って事?)


     ☆     ☆     ☆


 翌朝、中は思いもよらない朝食を食べることになった。


「リツコさん、食材を無駄にするのは良くないと思う」

「うう……ゴメンなさい……」


 皿には黒く焦げた何かが乗っていた。

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