第191話 大島・リツコを注意する

 チュンチュン……パタパタッ……チュンチュン……


 朝の日差しが降り注ぎ、雀の鳴き声が聞こえる。


(右腕が重い……痺れる……)


 あたるは右腕の痺れで目を覚ました。右腕を枕に眠る全裸のリツコ。


(何が起こったんや?何でお互い裸で寝てるんや?)


 昨夜は酒を呑んで酔いつぶれたりはしていない。決して酒の勢いでの過ちなど犯していない……と思いたい。昨夜は戸締りをしてトイレに行ってから眠っただけだ。


「ん……ふぅ」


 寝返りをうった磯部が大島に抱きつく。ふわりとシャンプーの香りがする黒髪。そして 柔らかな双丘が大島に押し付けられた。


(これで三十路ねぇ。子供にしか見えんなぁ……体は……いかんいかん)


 布団の中の様子から察するに裸ではあるが…その、何と言うか『行為』には及んでいないらしい。


(チ〇チ〇……異常なし。使った痕跡無し……リツコさんは前に『初めてだから』って言ってたな……シーツ……痕跡無し。OK、間違いはしていない)


 そっと離れて布団を掛け直す。時計を見ると午前五時を少し回った所だ。もう一度寝るにも時間は中途半端。それに……。


(アカン……これはアカン……理性を失う)


 オッサンとなって性欲のピークは過ぎたお年頃の中であるが、男なのだ。


(………何でお互い裸で寝てたんやろう?)


 少し早いが朝食を準備することにした。


 午前六時三十分。

 セットしておいた携帯のアラームが鳴った。炊飯器のアラームも鳴り、炊き立てのご飯を皿に広げて冷ます。コロッケ・卵焼き・ポテトサラダ・刻んだキャベツに炒めた肉……等々。お弁当のおかずはインスタ映えとやらはしない。でもリツコさんはコンビニの弁当でないだけで嬉しいらしい。


「おはようございま……ふゎあ~」

「リツコさん、何か着てくれる?」


「ん?一緒の夜を過ごしておいて何言ってるの?冷たいじゃない…」

「何もしてないと思うんやけどな」


 眠そうに起きてきたリツコさんはパジャマ代わりのスウェットを着て再び食卓へ来た。


「いっただっきま~す♪」


 彼女は寝起きでもよく食べる。ご飯・味噌汁・煮物・オクラ納豆。お弁当に詰め切れなかったソーセージも一つまみ。若い子だからパン派かと思っていたけれど、ご飯の方が良いらしい。腹持ちが違うんだとか。


「ところで、リツコさん。いつの間に俺の布団に入ったんや?」

「寝惚けて入ったんだと思うけど、嫌だった?」


 嫌って言うより、間違いが起こったらマズイと思うんやけどな。


「まぁ、俺も男やから、その辺りは考えて欲しいかな?」

「男の人ってそういうのを喜ぶんじゃないの?」


 確かにちょっと嬉しかった。でも、逆に何かが有って泣くのはそっちではないかと思う。男と女で何かが有って泣くのはいつも女性だ。


 昔、『だから、何かするなら責任を取る覚悟でしてね……』と言われた事が在る。


「誰が言うたんや、そんな事」

「お祖母ちゃん」


 えらい所から聞いたなぁ。どんなお祖母さんや。万が一間違いが在ってお腹が大きくなったりしたらどうするのだろう?


「俺、裸で寝たつもりは無いんやけど、心当たりはある?」

「昨日の中さんは獣の様に私を求めました」


 それは無い。そういう事が在ったら布団の中はそうなっているはず。


「本当の所は?」

「話しかけても起きないから剥きました。下半身も起きなかったよ」


 朝から下ネタかよ、こっちは早起きして眠いんやぞ。まぁいいか。


 今日は春らしい良い御天気だ。布団を干してシーツを換えれば気持ちよく眠れるだろう。よし、リツコさんが人の布団へ入って来れない位に熟睡できるように布団を干そう。


「お布団を干しとくから、出しやすい所に置いといてね」

「うん、わかった」


 朝食を食べたリツコさんはトイレに行き、歯を磨いて顔を洗ってお化粧をする。いつものルーティーンを終えると少女の様な童顔が大人の女性へと変わる。


 服もスウェットからブラウスと深いスリットの入ったスカート。そしてジャケット。 上からは春のコートを着て…ゼファーでは無理な格好だ。


 赤いルージュが妙に色っぽい。セクシーすぎてちょっと引く。リツコさんはスッピンの時との変化が激しすぎる。化粧って凄いなぁ。


「はい。お弁当」

「行ってきます」


 リトルカブにしては威勢の良い音を立てて磯部さんが出勤。さて、俺も食器を洗ってから店を開ける事にしよう。


 その前に布団を干しておく。今日の日差しで干せばフッカフカになるだろう。


 ちょいボロのスクーターとカブを整備。近頃の4サイクルエンジンのスクーターはカーボンの詰りでエンジンが掛からなくなる。クリーナーを吹いてアイドリングしておく。カブメインの我が大島サイクルでもDioは特別。老若男女に売れる定番車種だ。


 少し古いけどトゥディというスクーターは面白い。ホンダが中国で生産した格安スクーターだ。ボアアップキットのフルキットを組むとフロントが浮くほど加速する。値段は高くなるが2種スクーターを買うより安い。付加価値を点けて商品化しておくのが売れる秘けつだ。


 カブもチョイ古のキャブ車。まだまだ現役。中古車の玉数は一時期より減ったけれどウチの店の主力商品。新型が出た事だし、俺もそろそろインジェクションを本腰を入れて勉強せんと駄目かなと思うが、学生の通学には安い古めのカブは未だに人気だ。


 スーパーカブが頑丈と言うのはある意味本当で、ある意味間違いだと思う。メンテナンスをしなければ壊れる。手入れをしなければ錆びる。所詮バイクだ。だが、スーパーカブの凄い所は多少の不調もなんのその。それでも走ってしまう辺りだ。これこそスーパーカブが『スーパー』である由縁だと思う。不具合があっても動いてしまうだけあって、動かなくなった時に蓄積されたダメージは酷い。


 喧嘩で弱い奴は倒れてもすぐに起き上がる。溜まったダメージが少ないからだ。

強い奴が倒れた時は溜まったダメージが大きい時だ。再起不能になることが有る。


 神話みたいに頑丈と言われているカブだけど、そんなもんだと思う。


 モンキー・ゴリラ・Daxは近頃ご無沙汰だ。中古部品が高価すぎる。ボロフレームでも書類付きは高価だ。でも海外製フレームは使いたくない。お手軽なミニバイクとして親しまれていたホンダ4mini。もう高校の通学で使えるほど手軽なミニバイクではないかもしれない。


 ボロフレームの書類付きを買って新品フレームに再打刻となれば5万円くらいかかる。『安いモンキー無いか?』なんて言う奴が居るけど俺が欲しいぐらいやで。


 コンセプトモデルだった125㏄のカブ、そして同じく125㏄となって新型モンキーが発売間近らしい。でも、ウチで扱うのはしばらく先になるだろう。40万円くらいすると聞いた。高校生が新車で買って通学に使える値段じゃない。


 グロム・Z125・125㏄クラスのスクーター等、近頃原付2種が注目されている。今都いまづのガキに人気が有るらしい。丸いライトのクラシカルなバイクは今都のガキ達には古い物としか見えないからだとか。


「おっちゃん、やってる?」

「こんにちは」


 理恵と速人が遊びに来た。ああそうか、今日は土曜で半日授業やったな。


 今日も二人は一緒。二人ともオイル交換。速人は自分で作業している。理恵はパンを食べながら俺達の作業の様子を見ている。


「モンキーの新型が出てましたね」

「おう。上手い事出来てるな」

「でっかくなったねぇ乗れないよ~」


 この二人もすっかり店に馴染んだ。オイル交換を終えてからはコーヒーやココアを飲みながら駄弁っている。


「丸いライトが可愛いよね。ライトは丸じゃなきゃ」

「カブも丸ライトに戻ったもんね」


 バイク雑誌を仲良く読んでいる。 理恵は少し髪が伸びて女の子らしくなった。


「理恵……ちょっとゴリラに跨ってくれるか?」

「ん?何?」


 ああ、やっぱり。


「髪だけや無うて背も伸びたみたいやな」

「分かる?女の子らしくしようと思って伸ばしてるんや」


 シートのクッションが弱ったのかもしれないが、春に浮いていた踵が地面に着いている。実は理恵のゴリラは微妙にローダウンがしてある。理恵が小さすぎるからだ。本当はサスのストロークが短くなると乗り心地に影響するのだが、理恵は小柄で軽いから足つき性を優先させていた。


「車高を元に戻すから少し待ってや」


 リヤサスを250㎜のものからノーマル長の265㎜へ変更。 理恵のゴリラは少しだけ背が高くなった……ほとんど変わらんけど。


「おっちゃん。お金は?」

「オイル交換代だけでエエよ。転がってたショックやから」


 こんな事ばかりだから儲からないんだと思う。2人が帰った後は自家製冷凍食品を仕込む。呼ばれたら店へ出る。


 下宿人が居るから今までみたいな適当な夕食では済ませられない。夕食はビーフシチュー。多目に作って少し冷凍保存もする。リツコさんの中ではビーフシチューをおかずにご飯は違うらしい。パン屋でフランスパンを買っておいた。


 時計を見れば時刻は2時を過ぎている。そろそろ布団を入れないと冷めてしまう。せっかくふっくらとした布団が冷めては全てが台無しだ。


「よっこいせっと」


グキッ!


「あっ! あ痛たたたっ!」


 リツコさんの布団を入れようとしたら腰に痛みが走った。ギックリ腰と言うほどではないが痛めたらしい。動けるけれど少し痛い。


 動けないわけでは無いが痛いので作業は中断して座っていた。店を閉めてから夕食のシチューを温めればよいだけにしてリツコさんの帰りを待った。


(痛たたたた……横になって待つか)


 少し早起きをしたせいだろうか、横になったとたんに睡魔が襲ってきた。


     ◆     ◆     ◆


 ヴロロロロ……タンタンタンタン……プスン


「今日の晩御飯はな~にかな~」


 ルンルン気分で帰ってきた私が見たのは横になっている中さんだった。


「ただいま。晩御飯は何?お腹空いた」

「おかえり。ご飯にする?お風呂?それともお酒?」


 身を起こしながら話す中さん、何やら痛そうな表情だ。どうしたんだろう?


「どうしたの?どこか痛いの?腰?」


 私は職業柄、怪我をした生徒を見る機会が多い。 中さんの歩き方からすると腰を痛めてるね。ぎっくり腰でもなさそうだけどちょっと痛そう。


「うん、腰を痛めてしもた。風呂上りにシップでも貼るわ」

「珍しいね、重い物でも持ったの?」


 動けない訳ではなさそうだが痛そうで気の毒だ。


「お風呂から上がったらマッサージしてみよっか?」

「お酒呑むでしょ?シップを張るからええよ」


「お酒はその後で呑むから、ね?」

「じゃあ甘えさせて貰おうかな?」


 夕食はビーフシチューとサラダ。お酒のつまみにするつもりだったのか焼いた油揚げも有った。


「ご飯とパンが有るけど、磯部さんはパン派やったね」

「あれ?大島さんはご飯?」


 ちょっと行儀が悪いけどと言いつつビーフシチューをご飯に掛けて食べる中さん。私も行儀が悪いのはお互い様とパンをシチューに浸して食べる。


 傍から見ると仲の良い夫婦に見えない事も無いよね?何とかそうなりたい。


(もしかすると、これは神様が私に与えたチャンスかな?)


 食事を終えて後方付けとお風呂の支度。入るのは私が先。中さんはいつも『俺は油汚れとか汗で汚いから』って私に一番風呂を譲ってくれる。


「じゃあ、お風呂に入っている間に用意しとくね」


 風呂から上がった私は神に与えられたチャンスを生かすべく、母から貰ったとっておきの服を出した。一式を着てから姿見でチェック…うん、色っぽい!


(これなら勝てる!ふふっ♪中さんは私のと・り・こ♡)


 リツコが何かを企んでいた頃、中はと言えば……。


「誰かと暮らすのも悪くない……」


 湯船に浸かり一日の疲れを癒していた。今日の風呂掃除は腰が痛いので軽め。洗濯も明日する事にして、中はリツコのマッサージを受けた。


「よいしょっと」


 リツコは弱い腕力をカバーすべく、足で踏んで腰周りを解ほぐしたり、背中から抱え込んで捻る様に背筋を伸ばしたり。全身を使って中を丁寧にマッサージした。


 腰の痛みは和らいだと見える。楽になったはずなのに中の表情は険しい。


「中さん。私のマッサージじゃダメ?」

「……」


「中さんほど上手くないかも知れないけど、頑張ったんだよ」

「……」


 反応の無い中の態度を見てリツコは悲しくなった。


「私、頑張ったのにぃ……グスッ……」

「楽になった。でもな、ちょっと話をしようか……」


 どうやらマッサージ自体は気持ち良い物だったみたいなんだけど……。


「ちょっとここへ座りなさい」

「はい……もしかして……お説教?」


 正座で向かい合うのは酔っぱらって泊まった時以来だ。


「リツコさん、何でチャイナドレスなん?」

「お祖母ちゃんが『殿方はこれを喜ぶっ』って」


 風呂上りの中を待ち構えていたのはフルメイクで真っ赤なチャイナドレスを着たリツコ。スリットが太腿のかなり上まで入ったロングタイプだった。


 下手にしゃがんだり動いたりするととんでもない所まで見えてしまう。ご丁寧な事に網ストッキングにガーターベルトまでしているのが丸見えだった。


「それは倦怠期の夫婦や」

「そうなの?好きな人にアタックする勝負服って聞いたけど」


「何の勝負や?しかもノーブラやろ?ビックリしたで」

「この方が密着して効果が有ったって…」


 お母さん、中さんには効果が薄いよ……個人差?


「何の効果や?医学的な物とは思えんけどなぁ」

「血行が良くなる?とか?」


「どこの血行や?」

「お母さんが『お父さんにシてあげた』言ってました」


 お母さん、これって間違ってるみたいよ。


「朝、俺の布団に入って来たのは何で?」

「それは純粋に一緒に寝たかったから」


 この後約10分間。リツコは中に説教をされると共に、男心を学んだ。


「男はグイグイと来られると逆に引いてしまう生き物です」

「はい」


 説教の後、2人は夕食で食べなかった油揚げをつまみながら呑んだ。大島の顔が真っ赤だったのは酒のせいか、それともスリットから見える脚のせいかリツコにはわからなかった。


 リツコの『大島中を落とす作戦』第一弾は不発で終わったのだった。

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