第184話 金一郎からのお願い

 ドロロロロロロ…キィ…


 クソやかましい排気音とドイツ車ならではのブレーキ音が店先に停まった。


「こんにちは~兄貴~毎度~っ!」

「よう、この前は世話になったな」


 降りてきた男はどう見ても堅気には見えないが、実際に堅気とは言えない部類に入る男・億田金融代表の億田金一郎だ。


「この前の探偵さんは凄かったな!ピタッとストーカーが消えたらしいわ」

「はぁ……探偵……そうでんな……うん、そういう事にしときましょ」


 先日会ったストーカー事件のおかげで我が家には同居人が増えた。リツコさんだ。独り暮らしの女性が下宿して来たという事で我が家は何だか華やかになった。


「今日は相談がありまして、兄貴の所に下宿している方の件で」


 ん?リツコさんの事で?ははぁ……惚れたな。美人やからな。


「あのお嬢さんのお家、空き家でんな?貸家にする気はおまへんか?」

「ん?リツコさんの実家?何でやいな?」


「実は……」


 金一郎の経営する億田金融は小回りの利く街の金融屋だ……利息はクソ高いけど。商売に手を広げた訳ではないが、顧客のニーズの多様化による対応で新入社員を雇ったらしい。ところが、その新人は大津出身。仕事柄、帰りが遅くなる事も在るので住む家を探しているらしいのだが……。


「大津から妹を連れて引っ越してきたい言うてるんですわ。ウチみたいな小さい金融屋に来てくれる奴やから良い住処を捜そう思いまして」


 顔は怖いが金一郎は優しい。


「妹ちゃんもバイクの乗る言うてますし、車庫付きの家が在ったらと思て」


 う~ん、こればっかりはリツコさんに相談せんと返事は出来んなぁ


「そうやな、今度の休みにその子と一緒に見に行こうか?」

「へい、兄貴にお任せします。それともう一つ相談が」


「お?バイクの事か?」

「それも有りまっけど、兄貴の担当の事なんです」


 新人社員は優しい一般客を対応させて仕事に慣れさせるらしい。金一郎は厄介な客を担当するのに周るそうだ。要するに担当替え。


「で、一般の所に周る様の仕事バイクをお願いしたいんです」

「銀行仕様のカブやな。一種? 二種?どっちや?」


「免許を持ってるし、そこそこ広い範囲で仕事させるんで二種で」

「OK。格安の奴を用意しておく」


   ◆   ◆   ◆   ◆


「私の実家を借家に?良いよ」


 今日の晩御飯は酢豚。甘酢あんとシャキシャキ野菜、そして揚げた豚がたまらない。お総菜やレトルトじゃない酢豚なんて私には絶対作れない。


 家は人が住まないと痛むのが早い。住んでメンテナンスしてくれるなら大歓迎。

処分しようと思ってた家具も付けちゃう。使ってくれるならサービスサービス♪


「でな、今度の休みって空いてるかな?その兄妹を連れて来るらしいんやけど」

「あ~、今度の休み……は……大丈夫」


 予定なんか無いけど一応メモは見ておく。


「家具とか置いてある物も全部込みで貸そうかな?」

「まぁ、その辺りも相談やな」


 中さんは気付いていない。私が実家を貸してしまえば帰る所は無い。うら若き乙女を外へ放り出す様な人じゃない。つまり、私はこのままこの家に住み続けることになる。


「どうしたん?ニヤニヤして?」

「フフッ♪ 酢豚……モグモグ美味しい♪」


   ◆     ◆     ◆    ◆


 ガラゴロガラゴロ……。


「兄貴、まいどっ!」

「お前は騒がしい車が好きやなぁ、今度はジーゼルか」


 今日の金一郎はトレーナーにGパン。髪の毛も整髪料は付けていない。眼鏡もサングラスでは無くて普通の眼鏡。休日モードのラフな格好だ。


(普段着やと昔の金一郎と変わらんのやけどな)


 今日の金一郎はベンツではなく、ジープに乗って来た。ジープと言っても外国製じゃない。三菱のジープ……よりによって幌車だ。しかもロングボデーのJ四〇系と言う奴だ。


「自衛隊の人員輸送車みたいやな……」

「九人乗りでっせ。夜逃げでも人さらいでも使えまっせ!」


 頼むから店先で物騒な事を大声で言わないでプリーズ。


「で、その二人が家を借りたい兄妹やな?」


 荷台から若い子が降りてきた。なるほど、大学新卒のお兄ちゃんと高校進学の妹ちゃんか。年が離れた兄妹だな。


「おはようございます。今津克己いまづかつみです。こっちは妹のうららです」

「おはようございます。よろしくお願いします」


 妹ちゃんは可愛らしい感じやけど、お兄さんは目つきが鋭いな。かなりの切れ者と見える。なるほど。金一郎が目を付ける訳だ。


「リツコさん、この兄妹で住みたいんやと。車庫が要るらしゅうてな」

「仲がいいのね。妹さんは高校生?」


「はい。この春から高嶋高校へ通うんです。バイクに乗りたくって」

「バイクの後ろに乗せてたら、『自分も乗りたい』って言うもんで」


 大津から高嶋高校へ来るのは珍しい。普通なら滑り止めは安曇河高校を受ける。やはりバイクに乗りたいのだろう。


「家の持ち主の磯部です。高嶋高校に勤務しています」

「大島です。安曇河でバイク屋をやってます。カブ系が得意な店です」


 二人とも良い感じの子だ。リツコさんの実家だけでなく、ウチの店も気に入ってくれると良いな。


「ほな、行こうか」

「はい、社長」


 金一郎の九人乗りジープに乗ってリツコさんの実家まで移動。国道一六一号バイパスで行く方が早いのだが、旧国道を走ってもらった。


「のっ……りっ……心地がっ!」

「舌をか……むうぅ!ぅぅぅう!」

「喋らん方がよろしおまっせ!」


 面白そうだと座ったジープの後部座席は乗り心地が悪かった。タイヤの唸りが酷い。ジープサービス? 凶悪なパターンのタイヤが鋸みたいに段減りしている。これって普通に道路を走って大丈夫なタイヤなんかなぁ?


「舌がいひゃい……」

「喋らん方が良い言いましたがな」


 リツコさんは舌を噛んで半泣きになっている。ノーメイクで半泣きだと女の子が泣いてるみたいだ。実際は三十路なのだが……可愛いな。


「で、ここが私の実家。引っ越しちゃったから使ってないの」

「ガレージにはコンセントも有るし、鍵もかかる。完璧ですね」


 家賃やその他の条件は金一郎・リツコさん・お兄さんで相談してもらおう。


「妹さん……えっと、うららさんやったな。どんなバイクが欲しいんや?」

「可愛いバイクが欲しいです……あんなのが」


 ポペペペペペペ……。


 麗さんの指差す先にはホンダのモンキーとゴリラが走っている。理恵と速人だ。


(デートか、そっとしておこう)


『人の恋路を邪魔する奴はモンキーのブロックタイヤに踏まれてしまえ』と言われている。理恵達はダンロップのTT100にしてあるからブロックパターンではないけど邪魔しない様にしておこう。


 向こうは話が付いたようだ。商談成立。帰りはリツコさんと麗ちゃんはフロントのベンチシートに座った。行きで懲りたらしい。


     ◆     ◆    ◆    ◆


「では、家賃の分は兄貴の口座へ振り込まれるように」

「家に残ってる家具は差し上げます。処分するなり使うなり好きにしてね」

「はい、助かります」


 さて、ここからは私の個人的な相談。億田さんは中さんと仲が良いみたい。


「ところで……億田さんに協力してもらいたいんだけど」

「よろしおま。今津君、ちょっと向こうでバイクでも見ててくれるか?」


 中さんと今津兄妹がバイクを見ている間に億田さんに相談だ。


「億田さんを男と見込んでお願いがあります」

「へい、兄貴のお友達の頼みでしたら何なりと」


 このお兄さんは中さんに頭が上がらないみたい。子供の頃に可愛がってもらったみたいな事は言ってたけど、何か有ったのかな?


「ホント?」

「へい、兄貴のお友達でしたらワシにとっても姐さんですから」


 う~ん、十歳近く年上の男の人なのに『姉さん』ねぇ、まぁいいか。


大島中おおしまあたるを落としたい。秘密裏に動いて欲しい」

「う……うぅ……やっと兄貴に春が……わかりました」


 兄貴兄貴と言っているけど、一体どんな関係なんだろう? 大きな体でグシュグシュ泣いて……。


「億田さん、泣かないで。私が中さんに叱られちゃう」

「姐さん。ワシは兄貴を好いてくれる人が出来て嬉しゅうて……」


 話が早い。億田さんはあたるさんの事を心配してたんだって。


「ずっと一人で平気な人になるんやないかと思って」

「この事は内密に……さぁ、涙を拭いて」


中兄あたるにぃの良い人やったらワシにとっても姐さんです」

「姐さんはやめて。『リツコちゃん』って呼んで」


「それは恥ずかしいんで……リツコさんで」

「ふむ、よろしい」


 倉庫の方で笑い声が聞こえる。何か有ったみたい。バイクが売れたのかな?


 季節は春。何を始めるにも良い季節だ。リツコの恋の作戦は始まり、今都兄妹の新しい生活も始まろうとしていた。

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