第182話 Racer killer
「中さんの頃って自転車で競走するのが流行ったんだよね?」
同居し始めてからの磯部さんは妙に俺の過去を知りたがる。
「ん~流行ったなぁ……今思うと危なかったなぁ」
「昔の写真って無いの? 見たいんだけど……駄目?」
だから、スッピンで子供っぽい笑顔をするんじゃない。逆らえないでしょうが。
(三十路やのに可愛い。う~ん、面倒やけど抗えない……)
「良いけど、何でそんなこと知りたいんや? 二十五年以上も前の事やで?」
「交通安全の研究よ」
磯部さんはバイク通学の担当者の一人だから何か調べ物が在るのだろう。あまり見たくもなく、見せたくもない昔の写真だけれど、姪っ子みたいな磯部さんのお願いだったら仕方が無い。
「ちょっと待ってや……ああ、これか? いや……これやな。はい、どうぞ」
「ありがと、ちょっと見せてね」
学校の先生ってのは大変だな。生徒の親はうるさい、心を病んでいる生徒も多いと聞く。保健室の先生はカウンセラーとしても活躍しているらしい。大酒呑みで料理下手で三〇歳彼氏無しの駄目っ子だけど、磯部さんは仕事熱心だ。
「中さん、もう一つお願いがあるんだけど……」
「何?」
嫌な予感がする。
「『リツコちゃん』って呼んでくれない? 一緒に住むのによそよそしくない?」
「わかった。でも『リツコちゃん』はこっちが恥ずかしいから……リツコさん?」
三十路なのにちゃん付けで呼ばれたいなんて、子供か。
「はぁい♪」
嬉しいらしい。若い娘さんの考える事は良く分からん。
洗濯物を畳んでいると『若~い』とか『可愛い~』とか聞こえた。おっさんでも若い頃は有ったんやぞ。今の俺しか知らん奴らからすると信じられん様な飛びっきりの青春が在ったんや。過ぎ去った日々は二度と戻らない良い思い出だ。
抜け落ちた髪の毛も戻らんけどな。
「中さ~ん!この写真は何~?」
「どれどれ、この写真は『大中小トリオ』やな」
大中小トリオは俺と西川(旧姓 中島)と最近連絡は取っていないが小島で作った三人組。今都のロードレーサー勢に苦戦していた三人で作ったチームだ。
「三人で先頭を交代しながら走ってたんや……懐かしいな」
「オリンピックで金メダルを取ったパシュートみたいな感じ?」
今思うと良く似てる。パンクやトラブルで一人でも遅れると戦力がガタ落ちすると言った点でもそっくりだ。俺達は『ライン』って呼んでたけどな。
「ん~その頃はそこまで考えてなかったな……」
先頭は集団を引っ張るから『機関車』風の抵抗を受けて疲れるから。
二番手は『補機』これは鉄道の用語から来ている。体力を温存しながら先頭に出る順番待ち。『機関車』がパワーダウンしたら先頭へ躍り出て集団を引っ張る。
三番手で追っ手をけん制する『捌き』は横の動きが重要。追い越そうとする後続車の走行ラインを塞いだり、一番抵抗が少ないのを利用して体力を回復したりする。
そんな感じで俺達は役割を決めて走っていた。それは覚えている。
「今都の奴等は俺達が帰る時に喧嘩を吹っかけて来てたな」
「帰りだけ?」
安曇河からの往路と授業でスタミナを使い切って弱った俺達。そこへ今都の奴等は喧嘩を売って来ていた。向こうは金持ちだから二十四段変速とかのロードレーサーや超軽量のピストレーサー。こっちは通学用の三段内蔵変速やせいぜい五段変速のシティサイクル。脚力、特に回転数を上げるのには限度がある。チームワークを駆使して勝負する他に方法は無かった。
「そう、帰りだけ」
「それでも勝つ事もチョコチョコ在ったから『レーサー・キラー』って言われてたんだよね?『湖岸のツインターボ』さん?」
目をキラキラさせて聞いてくるけど、子供じゃあるまいし。
「誰から聞いたんや?」
「図書室の卒業レポートよ。興味深い内容でした♪」
大人の女性なのに『ニシシ』と悪戯っ子みたいな顔して笑って、リツコさん可愛いな。
詳しくは思い出せないが卒レポで書いた気がする。残っていて読まれるのは恥ずかしいが、感想を言われるのはもっと恥ずかしい。
「あっ! ギプス巻いてる」
「それは事故で入院した時やな」
左手・左足が思う様に動かなくなった忌まわしい事故。思い出すと古傷が痛む気がする。完全に治ったはずなのに変だ。心も少し痛む。
「その辺りから競争が過激になったらしい。俺は良う知らんけど」
「死亡事故が起こった時期ね。模型のジェットエンジンを積んだ子がいたとか」
入院中の出来事は知らない。退院してから急に厳しくなった気がするけど、俺が再び自転車に乗り始めた頃は公道レースは下火になっていた。
「ほ~、そんな事が在ったんや」
ジェットエンジンは知らんけど、今都の奴は金持ちやったからな。金に糸目を付けずに卑怯な手段を使ったのだろう。事故は自業自得だ。
「俺が卒業した次の年からバイクOKになったんやったかな?」
「そうみたい。バイクに乗らせて警察に任せるってなったんだって」
ギプスが取れてからの写真は若き日の俺と恋人だった桜さんの写真が多い。
「荷台に座布団? 二人乗りしてたの? 駄目じゃない」
「若かったからな、うん、若かった……」
今は自転車の二人乗りは厳しく取り締まられるけれど、当時は大らかな時代だった。二人乗りで湖岸道路をよく走ったものだ。あの頃細かった湖岸道路の桜、今では海都大崎の桜に負けないくらいになった。
(桜さんが生きてたら、同じように立派な花を咲かせていたかも知れんな……)
「ここでレースは終わり?」
「そうや。骨折の後は上手にペダルを回せん様になってな」
「どんな事故だったの?」
「もう二十五年以上も前のことやから忘れてしもた」
怖い事故だった。いつか忘れると思っていたが今でも忘れていない。リツコさんに忘れたと言ったけれど、アレは嘘だ。今でもしっかり覚えている。忘れたと思った頃に夢に出てきて俺を苦しませる忌まわしい出来事だ。
◆ ◆ ◆
リツコさんにアルバムを見せた夜、俺は夢を見た。自転車に乗っている夢だ。
四十九㎞/hを示していたCATEYEのデジタルメーターが動きだす。
(五十……五十一……五十二……五十三㎞/h……もう一伸び……もう少しだけで良い……あと一㎞/h)
もう少し、あと少しと俺はトラックの生み出す乱流に乗って加速していた。
ほんの一瞬とは言え掛け値なしの時速六〇㎞の世界へ躍り出る。自転車のフレームは狂おしく身を捩る様に捩れては戻るを繰り返す。車体の限界を超えた速度域で俺はもがいていた。
(もう少しで先頭へ躍り出る……ブロックさえ防げたら……勝てる!)
一台二台三台と追い抜いて先頭に並ぶと思った瞬間、左から伸びてきた足が俺の愛車の前輪を蹴った。限界を超えて走る俺は避ける事が出来ない。
(あっ……)
景色がスローモーションで流れ、アスファルトが目の前に迫る。
(死ぬ! 怖い! 嫌や死にとうない! まだやりたい事が在るっ!)
視界が真っ暗になり、顔が柔らかな感触に包まれて目が覚めた。
(やわらかい……柔らかい?)
「はい、よしよし……怖い夢を見たね~」
俺はリツコさんに抱きしめられて目を覚ました。ポムポムと頭を撫でられて。これではどちらが子供か分からんではないか。
「何をしてるんや」
普段なら『男の寝床へ入って来て~』とか注意する所だけど、それどころでは無い。震えが止まらない。体の震えが止まらない。
「うなされてたから抱っこしてたのよ」
どうしてだろう。年下の女性に抱きしめられているのに懐かしい気持ちだ。恥かしいような照れくさいような気持ちだが、何故か落ち着く。
「怖い夢やった……怖かったんや……怖かった……」
「もしかして、昨日アルバムを見て嫌な事を思い出しちゃった?」
撫でられているうちに体の震えが止まった。
「うん……」
「辛い事が在ったら相談してね、中さん。たまには甘えて」
「…うん」
「はい、ギュ~っと……」
リツコさんに抱きしめられた俺は安らいだ気持ちで再び眠りに就いた。多分、母に抱かれる赤ん坊の様に安心して眠ったのだと思う。
不思議とエロい気分にはならなかった。とにかく安心した。
そして眠った結果……。
「……寝過ごした」
「うひゃあ!ヤバい!遅刻しちゃうっ!」
「とりあえずお弁当!残りもんでゴメン!」
「ああああ…朝ごはんは?!」
「パン!パンが在るから!学校で食べて!」
「いいい行ってきま~す!」
「リツコさん!お化粧!メイク!」
「む……こ…………う…………で………………す……………………る~!」
(おお……ドップラー効果って人の声でも在るんやなぁ~)
「飛ばし過ぎたら捕まるで~!」
抱き合って眠った結果、俺達は二人そろって寝坊した。
「行ってしまった……クソ~一足遅かったか。奴め、まんまと盗みおって……いえ、あの方は何も取らなかったわ……私の為に戦ってくださったんです。いや、奴はとんでもない物を盗んでいきました」
(何を言ってるんや俺は……)
今日も安曇河は良い天気。怪盗の三代目が『さいなら~!』と走り去るくらいの晴天だ。
「何と気持ちの良い日差しだろう……」
リツコさんに何かを盗まれて、今日も一日が始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます