第180話 磯部・怯える

「中さん、お願いが在るんだけどな…」

「いいよ。磯部さんのお願いやったら聞くで」


「何でも聞いてくれる?」

「何でも聞くで、出来るかどうかは別やけどな」


今日も朝ごはんを食べに来た磯部さん。『私の為に味噌汁を作って』とか『下宿させて』とかいつも言うから適当に流したけれど、今回は何か違うらしい。


「変な視線を感じるから下宿させてくれないかな?」

「変な視線?」


「うん、気のせいかと思って指輪をしてたんだけど、感じるの…」

「それはちょっと怖い話やな。葛城さんにも相談しようか」


このところ『男避け』と言って指輪を付けていた磯部さん。

妙にウチへ泊まりたがると思っていたらそんな理由が在ったとは…。


「一応、晶ちゃんにも相談したんだけど…」

「何か対処してくれると思ったけどアカンかったやろ?」


「うん、視線を感じるくらいだと動かないんだって」


視線だけでは警察は動かないらしい。何か有った後で動いても遅い気はするが、かと言って何も無い状態で動かれるのも問題が有る気はする。


「その話は晩御飯を食べながらしよう。はい、お弁当」

「うん、行ってきます」


出勤前で時間は無いようだったので詳しい話は夕食の時に聞くことにした。


近頃はどんな事件が起こるのか予想が出来ない。

磯部さんの職場である今都がどんな街なのか俺も知っている。

他所の街を悪く言うのは申し訳ないが、今都は治安が良くない。

それだけに心配でならない。姪っ子の様な磯部さんを守らなければ。


そう、俺は磯部さんの叔父さんの様なものだ。お互いに身寄りのない独身同士。

頼り頼られで人は成り立つ。人と言う字は人と人が支え合って人なのだ。


「はい、人と言う字は人と人とが…何やってるんや俺は」


伝説の教師の真似をしていてふと思ったのだが、人と言う字は支え合ってるんじゃなくて短い方が絶対に辛い目に会っていると思う。


(ちょっと待てよ…相手が巧妙に警察の眼を逃れた場合は…)


『万が一』『想定外』『不測の事態』は避けたい。

こんな時に役に立つ男が居る。あいつだ。

滅多に使わない携帯。こんな時くらいは役立ってもらわないとな…


「…あ、金一郎?頼みたい事が在るんやけど……」


     ◆     ◆     ◆


その夜、FM滋賀では珍しい曲のリクエストがあった。

'讃美歌の13番’仏教徒が多い土地柄、滅多にかかる曲ではない。


「…………」


滋賀県民が不思議に思う中、ある山荘で、一人の男が反応していた。


     ◆     ◆     ◆


「いらっしゃい」


金一郎に電話した2日後、何の特徴も無いスーパーカブが店に来た。

カブに特徴は無いが乗ってきた男は個性的だった。鋭い目つきにクッキリとしたほうれい線。強い意志を感じさせる立派な眉。引き締まったアスリートの様な体。身に纏う張りつめた空気。


(…何者かは知らんけど只者ではない)


「…オイル交換を頼む」

「お客さん、初めて見る顔やね、どのオイルを入れましょう?」


「…本田純正G13オイルで頼む」

「カブやったらG1が良いで」


G13なんてオイルは無い。これは金一郎から聞いていた合言葉だ。


「……それで頼む」

(金一郎が手配した探偵さんやな…鋭い目つきやな)


「少し時間が掛かるんで座って待っててもらえます?」

「いや…ここで良い」


立ったままで待ってもらうのは申し訳ない。一応、椅子は綺麗にしているつもりなんやけどな。柱の陰に隠れて…角好きな人か?


「億田君の紹介で来てくれた探偵さんやね?」

「…そうだ…本題に入ってもらおう…」


無駄の無い言動・張り詰めた雰囲気・油断の無い身のこなし…間違いない。


この人は相当の修羅場を潜り抜けて来た凄腕の探偵さんだ…数々の不倫現場や浮気現場を暴いて来たに違いない…隠していても俺には分かる。お見通しだ。


「………用件を聞こう…」

「私にとって姪っ子みたいな娘が高嶋町に居ましてね。磯部って言うんですが」


「………」

「妙な視線を感じて、気味が悪いって怯えてるんですよ」


「……」

「何とかならないもんですかね…」


「……ボディーガードなら他をあたってくれ…」

「磯部リツコに付きまとうストーカーの排除を依頼する」


「…!」

「……!」


携帯を出そうとしたら探偵さんは何かを胸元から出そうとした。


「禁煙じゃないですよ。タバコならご自由に」

「……ゆっくりだ。何か出すならゆっくりと出してもらおう…」


はいはい、じゃあ、ゆっくり携帯を出して画像を出してっ…と

灰皿もゆっくり出した。

この田舎で葉巻なんて珍しい。上等な葉巻だ。良い匂いがする。


「……」

「この画像の女性です」


「……分かった…覚えたからもういい……」

「そうですか…」


携帯を置いて作業再開。


「……」

「はい、オイル交換完了…」


「……やってみよう…報酬が振り込まれ次第仕事にかかる…」


報酬が億田金融から振り込まれ次第、依頼に取り掛かるそうだ。


「よろしくお願いします。大事なお嬢さんなんです」

「……俺は利き手を人に預けるほど自信家じゃない…」


握手は拒否されてしまった。


無口な探偵さんはカブに乗って去って行った。小さなお婆さんから筋骨隆々の男までどんな体格でも乗れるスーパーカブは素晴らしいバイクだと思う。


     ◆     ◆     ◆


ヴロロロロ…プスン

ブロロロ…ストン


2台のエンジン音が止まり、玄関の戸が開いた。磯部さんと葛城さんだ。


「ただいま~」

「こんばんは~」


「おかえり。磯部さんから聞いてると思うけど、飯を食いながら相談を」

「部署違いだけど良いのかな?」


葛城さんは交通課だからストーカーは専門外。


「しまった。いつぞやの刑事さんと繋がりを持っておけば…」

「あいつは役に立たないと思うよ」


高嶋署の『はぐれ刑事』こと安浦刑事を今都に住んでいるからと拒絶したことを後悔した。やっぱり住んでいる場所くらいで人を遠ざけるのは駄目だな。


「視線ぐらいだと警察は動けないんだよね、襲われたりしないと動かないかな?」

「…怖い」


まぁ警察ってのはそんな物だ。例えば一旦停止で『そこは飛び出すと危ないから一旦停止だよ』と言えば停まる所なのに、じっと見ていて停まらなかったら『はい違反、罰金♪』なんだからな。姪っ子みたいな磯部さんの身に何か有ったら大変だ。


今まで下宿は断っていたけど、今度ばかりは仕方が無い。


「いっその事、ウチに下宿する?」

「良いの?倉庫の主のエンジンはかかってないよ?」


確かにそんな約束はしたけど、半分冗談みたいなものだから。


「そんな事言ってる場合と違うやろ?ええからおいで」

「うん、じゃあお世話になります。早速今度の休みに引っ越しで良いのかな?」

「じゃ、私も手伝うね」


「でもな、ウチに下宿するとストーカーに襲われん代わりに…」

「代わりに?」


「俺に襲われるかもしれんで~ガウ~」

「中さんだったら襲い返しちゃうぞ~ガオ~!」

「仲のよろしい事で…」


…と、トントン拍子で決まったリツコの引っ越し。だが、晶は手伝う事が出来なかった。田舎町の高嶋市で珍しく事件が在ったのだ。


「リツコちゃん、ごめん。行けなくなっちゃった」

「例の事件の関係?仕方ないよ。頑張ってね」


今都町内で起きた事件の影響で晶の休日は潰れてしまった。

高級住宅地に住む中学校教師が銃で撃たれたのだが…


「う~ん、狙撃地点がおかしい」

「どう考えても弾道はあの場所からになるんだけど…」

「どうしたんですか?」


食堂で頭を抱えている鑑識さんだが、晶が声をかけると表情が一転した。


「あ…晶様。今回の弾丸発射推定地点の事を話してたんです♡」

「弾が発射された地点はここで、被害者はここ…変ですよね?」

「どれどれ?直線で…何かの間違いじゃないの?」


晶は女の子同士と気にせずに近付いて地図を眺めたのだが、

鑑識さんにとっては晶は理想の超イケメン。2人とも真っ赤になった。

※葛城は女性です。


「変だね」

「はい…体が火照って…」

「ああ…晶様…」


少なめに見積もって約1500mの長距離狙撃ロングショット。試しにやった射撃訓練で、まともに的を射ぬく事が出来なかった晶には間違いとしか思えなかった。


「自衛隊や害獣駆除の流れ弾って事は無いのかな?」

「自衛隊の演習は有りませんでした。猟友会の銃とは種類が違う弾でした」

「ふ~ん、どんな銃で撃ったのかな?ライフル?拳銃…は無理だよね?」


「普通と違う銃というのは間違いないんですよね…」

「5.56㎜弾……猟銃ではないですね。ライフル競技…軍用?」


5.56㎜弾は猟銃として使用が許可されていない。ライフル競技に使われる弾だ。


「線条痕は?前が在ったらそれで分からないの?」

「それが…」

「調べるのもNGなんですって…」


     ◆     ◆     ◆


そんな事を知らない磯部は大島と一緒に軽バンへ荷物を詰め込んでいた。


「晶ちゃん、駄目なんだって」

「仕方が無いな。2人でやるか」


引っ越しと言ってもそれほど荷物が在るわけじゃない。服と収納、そして電化製品がチョコチョコあるくらいだ。祖母や父の荷物はとっくの昔に処分してあるし、母は母で不要な物を処分して嫁いでしまっている。


「あんまり荷物が無いな…」

「独り暮らしだからね。家は寝るだけだから」


元々私は物をたくさん置くのは嫌だから荷物が少ない。


「大きな荷物は後で処分するとして、取りあえずこんな所かな?」

「服は結構ようさん在るんやなぁ…」


最低限の荷物だけを軽バンに積んで何回か往復した。予想外に多かったのがガレージの荷物で、バイク関係の物が結構あった。


「工具が充実してる…磯部さんは自分で直す人?」

「ううん、お父さんの遺品。これは持って行きたいな」


私は修理は出来ないけれどお父さんが使っていた工具は好き。

メガネレンチを見ていると父の姿が目に浮かぶ。

使い込んだKTCの工具。場所は取るけど、どうしても処分できなかった。


最後の大荷物はゼファーちゃん。私の学生時代からの相棒だ。


「ほな、先行くわ。戸締りよろしく」

「うん。チェックしてから行くね」


荷物が無くなって、雨戸やシャッターを閉めると家が眠ったように見える。

住まないと家は傷む。どうしようかな…お母さんは『お嫁に行くときに売れば良い』って言ってたけど、売ってしまうのは寂しい。


(その辺りは中さんに相談しよう。時間はたっぷり有るもんね♪)


ゼファーちゃんに跨り、いざ新居へ。


今日から私の新しい生活が始まる…


     ◆     ◆     ◆


…スチャッ…


「……」


……タンッ!


「………」


放たれた弾丸は遥か彼方のターゲットを射抜いた。


「………」


今都中学校教頭の変死体が発見された事は、翌日の朝刊の県民欄で報じられた。

だが、眉間に撃ちこまれた銃弾の事は報じられなかった…。


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