第179話 もうすぐ春休み

すっかり暖かくなった今日この頃。大島サイクル前に小さなバイクが並んでいる。


「…で、羽織袴で自分の名前まで旗にしてきた連中が不合格やったんか」

「うん。理恵はアホかもしれんけど、こいつ等はその上を行くね」

「理恵ちゃんよりアホです~」

「理恵ちゃんはアホじゃないよ。成績はそこそこだもん」


「速人は私をよく見てるよね。うん、偉い偉い」

「理恵ちゃんは『間が抜けているだけ』です」


今日も大島サイクルは高校生たちが訪れて賑やかな話し声が聞こえていた。


「今都中から受けた子が落ちたみたいですよ」

「ほら、画像取っといた。凄いでしょ」

理恵がスマホで画像を見せてくれた。揃いの白い羽織袴に名前入りの旗そして…


「ご丁寧に『燃えろ!今都中魂!』か…」


こんな事になるとは思わなかっただろうな。今はどうか知らないけど、俺たちの時代は高嶋高校は大津方面からは滑り止めって言われていた。倍率は丁度か微妙に上回る程度。実際は私立を合格した連中は受けに来ないから名前さえ書けたら合格したくらいだ。空席を見て『ああ、合格やな』って思ったのが懐かしい。


「ところで、お前等は何で来たんや?オイルはまだまだ時期じゃない。茶をしに来たんか?今日は暇してるから構わんけれど、おっさんかて春になると忙しいんやぞ?」


春休みに入ると、遅生まれの高校生が教習所へ通い始める。そうなると通学用にバイクが爆発的に売れる。1年の稼ぎのうちの3割以上がこのシーズンに集中する。


「リツコ先生の左手の薬指…おじさんからの指輪ですよね?」

「おっちゃんもやるね~我が校のセクシークイーンを落とすとはね~」


こいつら…何を言ってるんや?確かに指輪は渡したけどホワイトデーのお返しであって、プロポーズなんてした覚えは無い。


「おっちゃんにはお前等が言ってる事が良く分からんのやけど?」

「おじさんがリツコ先生に指輪を渡したんですよね?」

「リツコ先生は~『ふふっ♪中さんにもらったのよ♪』って言ってました~」


磯部さんは間違った事は言っていない。でも、全てを言っていない。

聞いた者のとらえかた次第でいろいろな意味になる言い方だ。


「ホワイトデーのお返しや。お・か・え・し!」

「そう言えば、速人のお返しなんかひどかったんやで!見てこれ!」

「理恵ちゃんには良いと思って買ったんだけど…」


理恵が鞄から出したのは業務用のチョコレートの塊だ。


「3倍返しって、こういう意味じゃないと思う。亮二の方がセンス有るね」

「亮二は何を返したの?」

「ネックレス。高かった…」


3倍返しどころじゃないな…佐藤君は完全に綾ちゃんの尻に敷かれているらしい。


「おっさん等の頃は合格発表で今都の奴らが中学校の校歌を大合唱してたもんやけど、最近でもやってるんか?」


高嶋高校の合格発表で今都の受験生が中学校の校歌を大合唱するのは俺達の先輩の時代からあった風習らしいのだが…ちょっとムカつく。


「いいえ。今年は静かでした。僕たちの時はやってましたけど」

「『4町1村引き連れて~♪』だっけ?ムカつく校歌だよね」

「動画も有りますよ」


美紀ちゃんは動画を動画サイトに投稿したと言いながら笑って見せてくれた。

高校受験失敗でガッカリする姿を世界中に拡散されるのが気の毒に思えない。

俺は薄情な男だと思う。


     ◆     ◆     ◆


「お…おじさん…ご飯食べさせて…」

「晶ちゃん…どうしたの?」


夕食の支度をしていたら葛城さんがやってきた。


「ホワイトデーのお返しで金欠になっちゃって…」

バレタインデーに貰いまくるという事は、ホワイトデーのお返しも半端ないという事で、律儀に3倍返しだか何だかをした葛城さんは金欠になったらしい。


(もてる男は大変やな…普通のオッサンで良かった)※葛城は女性です


「律儀に返すから余計にもらう事になっちゃうのよ?」

磯部さんも貰ってたけど、渡された時に即お返ししてたんやって。友チョコの交換みたいな感じやったのかな?この辺りのあしらい方は年の功ってやつだな。


「と、いう訳でご飯を食べさせてください…」

ホワイトデーのお返しで金欠になった葛城さん。この数日間はご飯に塩をかけて食べていたらしい。体力勝負の職場では辛い事だっただろう。


「たあんとお食べ…」

「ありがとうございます…うう…お肉…」

「晶ちゃん見て!中さんにもらったの♪」


嬉しそうに左手の薬指を見せる磯部さんを完全に無視して葛城さんは飯を食べる。


「晶ちゃん!見て!」

「そんな事よりご飯!肉!汁!」


飢えたイケメンはひたすら飯を食い続けるのだった。※葛城は女性です

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