第178話 ホワイトデーのお返し

 今日は高校の合格発表の日だ。この数日間、磯部さんは忙しかったみたいでお酒を殆ど飲んでいなかった。呑まない分は飯を食ってエネルギーを補充していた。凄い勢いで飯が減り、お弁当の他に残業で食べるオムスビも持って行ったりしていた……というか行かせていた。


「今日で忙しいのが終わるからね」

「うん、気を付けて」


 近頃お疲れ気味の磯部さんを元気にするために今日の晩御飯は焼き肉だ。肉の予約はしてある。酒もすでに入手済み。ホワイトデーでもあるからお返しも買ってある。


 磯部さんを見送ってから店を開ける。今日も変わり映えのしない街並み。だがそれが良い。時の流れに取り残されたような藤樹商店街は昭和の香りがする。


 三月半ばになって遅生まれの学生たちが教習所へ通い始めた。そのせいかチョコチョコとバイクが売れる。昨年から少しだけ厳しくなった高嶋高校のバイク通学規定。いまのところ影響は見られない。親御さんとバイクを買いに来る子も多い。磯部さんが提案した格安原付二種スクーターと格安二種カブ(五二cc)が良い売れ行きだ。カブだと親御さんも安心するのだろう。後ろに羽が生えたスクーターより良く売れる。


 最近、あるタレントさんがスーパーカブをカスタムし始めた。その影響か古めのカブが値上がりしつつある。すぐに乗りたいのと値段的な問題で中古車の売れ行きは好調。俺が興味を持ち始めた頃に馬鹿にされていたのは何だったのかと思う。まぁ売れてもナンバーを付けるのは四月に入ってからやけどな。


     ◆     ◆     ◆     ◆


 高嶋高校の駐輪場で大島サイクルの常連数名が正門の方を見ていた。


「そうか。今日は合格発表なんや。うむ、初々しい後輩たちだのう……」

「僕たちと一歳しか変わらないでしょ?」

「急に年寄りじみた喋り方してどうしたの?」

「アホなんだよ。こいつは」

「理恵ちゃんはアホです~」

「アホね……」


 アホ呼ばわりされている理恵だが実際の成績はそれほど悪くない。


 高嶋高校前に入試の結果が張り出され、見に来た学生たちのほぼ全員が合格を喜ぶ中、一部の学生たちが肩を落としていた。


「なんで……なんで高嶋高校で不合格なんだ……」

「え……浪人? 高校入試で……」

「嘘でしょ?……どうなってるのよ、頭おかしいんじゃない……」

「嘘や~!神の子を不合格にするなんて~!」

「あ~ん、何なの~」


 不合格になった学生達は呆然としていた。


 少し前に放送された女子高生がバイクに乗るアニメが影響したかは定かでないが、今年の高嶋高校はバイクに乗りたいと大津方面からの受験生が例年より多かった。普段なら定員一杯か若干割れる程度の倍率に関わらず、今回は十数名の不合格者が出たのはその為だ。


 一方、少し離れた場所で合格を喜ぶ女の子が居た。高嶋市内で就職するお兄ちゃんに付いてきた今津麗いまづうららである。


(第一関門突破!次は誕生日!免許を取ってバイクを買って……楽しみだなぁ)


 麗の誕生日は四月二〇日。免許を取れるのはもう少し先である。


     ◆     ◆     ◆     ◆


 今日は少しだけ早めの閉店。夕食は焼き肉かホルモン鍋。少し焼肉してから鍋に移っても良いし、焼肉だけか鍋だけでもどちらでも良い。頑張った磯部さんが美味しくお酒を呑めるようにスタンバイしておく。


(焼酎は赤霧を用意してあるし、純米酒もプレミアムビールも用意した…)


 野菜もキャベツ・トウモロコシ・さつま芋・玉ねぎと用意してある。


(焼肉なら不満は無いやろう。うん、満足してくれるに違いない)


 念の為に指輪を買っておいた。最近の磯部さんは『男避け』と言って左手薬指に指輪を着けているが、服と合っていない。普段から着けられるデザインで派手過ぎない物を買っておいた。


 ヴロロロ……プスッ……。


 社外マフラーの音だ。


「ただいまぁ」

「お帰り、お疲れ様。ご飯にする? お風呂にする? お酒?」


 久しぶりに『お酒』が出たように思う。最近忙しかったからお互いに呑んでいない。


「ご飯とお酒。晩御飯は何?」

「お肉。焼く?鍋にする?」


「お肉~♪お・に・く~♪」


 磯部さんはお肉が大好きだ。お肉にビールが最高のご馳走らしい。


「焼く?それともお鍋にする?」

「うう……どっちも!」


 合格発表まで色々と忙しかった磯部さんは焼き肉でビールを呑み、ホルモン鍋でビールを呑み、締めにうどんとおじやのW炭水化物で締めた。


「フゥ…お腹がポンポコリ~ン♪」

「お粗末様。さて、ホワイトデーやけど……ジャン♪」


 男避けにしても付けるなら似合う方が良い。今、磯部さんが左手薬指に着けている指輪は彼女の若々しく活発な雰囲気に合っていない。


「何これ……わぁ……指輪だぁ」


 喜んでくれたらしい。幸い、サイズも合っている様だ。


「『僕は君無しでは生きていられない。これからも一緒に暮らそう。君にずっと傍に居て欲しい』……そう言って中はリツコの左手薬指にそっと指輪を……」


 磯部さんは時々変な事を言う。妄想の世界と言うか空想と言うか……。


「磯部さん? 何言ってるんや? さっさとお風呂に入り。明日も仕事やろ?」

「ちっ……このまま下宿に流れ込もうと思ったのに。でも……」


「でも?」

「ありがとう。大事にするね」


 お風呂にゆっくりと浸かり、満腹になった磯部さんは大いびきで寝ていた。


 え? ロマンチックな展開? ラブシーン? そんな物は無い。若い女の子(?)と四十過ぎのオッサンが恋愛? どこの世界の出来事?


「にゃふふふふ…もう食べられな~い♪…グゥ~」


(あの細い体に焼肉・ホルモン鍋・うどん・おじや…何処に入ってるんやろう?)


 磯部さんの寝言を聞きながら今日も一日が終わる……。

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