第164話 バレンタインデー
2月14日。恋が生まれるバレンタインデーである。
葛城は署内の女性たちからチョコを貰いまくる。磯部も校内の百合女子からチョコを貰いまくっていた。高嶋高校でも生徒たちがチョコを渡したり渡されたり。恋が生まれる事もあるが、付き合っている者は案外あっさりしたもので……。
「亮二、はいチョコ」
「ありがと」
「ホワイトデーは3倍返しね」
「おう。考えとく」
こんなもんである。
一方、大島の家でチョコを作った理恵は……
「速人は貰ってないんだ」
「うん。僕は地味だからね」
「……チョコ……欲しい?」
「うん」
「仕方ないな~♪はいっ!チョコレート♡」
「あ……ありがとう……嬉しいな」
「ホワイトデーを楽しみにしてるからねっ!」
「うん、倍返しだ!」
微笑ましいものである。そんな物語のあるバレンタインデー。
「ほら、中ちゃんにはおばちゃんからチョコレートをあげよう」
「おおきに。じゃあちょっとだけオマケしとくわ」
大島だってチョコはもらう。ご近所の婆ちゃんからだが。
Tataniが店じまいして以来修理の問い合わせらしき電話が多い。最近は慣れた物で番号を見るだけでおおよその住所がわかる。最初は個人からの問い合わせや修理依頼が多かった。今都の客とは関わりたくないので無視し続けていたら、今度は農機具屋からかかって来るようになった。
「何で農機具やからウチに電話がかかって来るんやろ?」
「大津のバイク屋にも断られてるからやろ?」
今日もウチへ街の噂を届けるのは情報通の安井さん。本屋に来た帰りにトイレに行きたくなって訪れたのだ。
「コーヒー飲む?」
「ココアにしてくれ。コーヒーは便所が近い」
安井さんにココアを淹れて、自分にはコーヒーを淹れた。
「今都の客な、北小松・坂本・堅田・唐崎とバイク店で横着してはそのたびに出入り禁止になって、終いに浜大津のバイク屋まで修理に出そうとしたらしいわ。浜大津から引取りでオイル交換とか電球を1個換えるとかしてたら割に合わんやろ?引取り代無しでは店がやってられんって請求したら揉めたらしいわ。」
今都の客は
「それで大津方面の店に出せんと農機具屋へ修理に出すんか」
「専門外の機械やからまともに直せてないみたいやけどな」
トラクターとバイクではタイヤが付いていても用途や速度がまるで違う。整備士も適材適所。整形外科の先生に外科の手術をやらせるような物かもしれない。専門外の仕事は要領が解らないから辛い。昔、農業機械メーカーがバイクを販売したが短命に終わっている。やはり勝手が違うのだろう。販売店も乗り気ではなかったらしい。
「安曇河で断られ、長浜で嫌われて大津で見捨てられる。今都のバイク乗りはどうやって乗り続けてるんや?壊れても直せんがな」
安井のオッサンは心配している様子は無い。どちらかと言えば楽しんでいる。
「ウチでは今都はお断り。息するみたいに嘘つく連中とは商売出来ん」
「まぁ、ええ気味やけどな」
◆ ◆ ◆ ◆
安井さんが帰った後はひたすら修理。春は今年1発目の稼ぎ時だ。
1台辺りの儲けは3~4万円を目安とする通常販売車。車両価格は10~13万円。車種は2種スクーターとカブ改だ。
それとは別に1台辺り5千円の儲けが出る現状販売車も売る。現状販売とは言っても走る・曲がる・止まる・灯すの必要最低限は整備はしている。整備不良車を売ると店が責任を問われるからだ。
格安車は普通の50㏄スクーターがメイン。1台2~3万円だ。とりあえずバイクが欲しい子が買えば良い。自転車代わりに買っても良い。置いておくと学生以外にも売れる。
今年は普通の販売車と格安販売車の間に中間価格の改造車も用意した。こちらは格安車ベースでシリンダーとピストン交換で排気量アップした2種登録の改造スクーターとスーパーカブだ。どちらも51~52㏄。整備済みで7万円均一。儲けは1台2万円と言ったところだ。
ポップを作ってバイクとセットにしておく。あとは登録してナンバーを付けてからバッテリーを繋げばOKだ。
春は遠いが油断しているとあっという間に時は過ぎる。準備は早く始めるに越した事は無いのだ。
◆ ◆ ◆
「見てよコレ!私は女の子だよ?あげる方なのにっ!」
「私も貰った。当分ウイスキーのツマミには困らないかな?」
葛城さんは大袋。磯部さんは一回り小さな紙袋に一杯のチョコだ。
「モテモテやな。わーすごいすごい」
驚くやらあきれるやらで台詞が棒読みだ。
「で?2人は意中の人にチョコを渡せたのかな?」
ちょっと意地の悪い質問をしてみた。最初に答えたのは葛城さんだ。
「私はね、『はぐれ刑事』に渡したの♡」
「ほう!嫌われてる人に渡すとは。そりゃまたどうして?」
「女性署員にボッコボコにされてた。狙い通りだったね♪」
(お……恐ろしい
「磯部さんは?渡せた?」
「……」
彼女はフルフルと首を振るだけ。頬を赤らめている所から察するに怒らせてしまったらしい。デリカシーの無い発言だった。反省。
そんな会話をしている間に夕食が出来た。今夜は生協で買った天津鍋だ。白菜・葱・ニラに餃子・エビ餃子・いかシュウマイその他、鶏肉団子に豚肉・鶏肉を中華風味の塩味スープで煮た鍋料理。中華ではあるがあっさりと美味い。締めは麺でもおじやでも美味い。
「1人で食べる時は大鍋で一気に炊いて冷凍保存や」
「やっぱりお鍋は大勢で食べないとね」
「うん」
磯部さんの機嫌が直らない。やっぱり怒らせてしまったのだろうか。
「磯部さん、餃子炊けてるで。美味しいで」
「餃子はニンニク臭いから」
「みんなニンニク臭いから大丈夫よ?どうしたの?」
「何でも無い……」
飯を食った後、お風呂に入って葛城さんは帰った。寝るのは自分の家が良いらしい。磯部さんは風呂上りに呑んでしまったから今日もお泊り。
家事を終えて戸締りをする。
「さてと、ちょっとだけ呑もうかな」
この前作ったチョコを肴にウイスキーを楽しむ。今日はロックや水割りではなくストレートの常温で呑む。朝の連続ドラマのモデルになったメーカーのウイスキーは呑み易く味わい深い。日本人向けの良いウイスキーだと思う。
「中さんっ♡」
ウイスキーの香りにつられたのか磯部さんが部屋に入って来た。手にはチョコレートを入れたリボン付きの袋を持っている。
「磯部さんも呑む?」
「うん」
グラスにウイスキーを注ぐ。琥珀色のウイスキーは味も含めて芸術品だと思う。
「結局渡せんかったんやな、頑張って作ったのに残念やったな」
「残念な事は無いよ……はい、中さんにバレンタインデー♪」
(最初から俺に渡すつもりやったんかな?そんな訳無いか)
「ありがとう。じゃ、いただこうかな?」
味は普通のチョコレートだ。溶かして固めただけなんだからそんな物だ。でも、それを口に出すのは野暮というもので、雰囲気とかチョコに込められた気持ちを味わうのが正しいのではないだろうか。
(昔、桜さんに貰った時に『普通』って言うたらビンタされたなぁ…)
「はい、良く出来ました。美味しいで」
磯部さんの頭を撫でる。
「違う……そうじゃないよ」
頭を撫でる手をどけて磯部さんが抱きついて来た。
「?」
「ギュッとして撫でて……お父さんみたいに撫でて褒めて……」
今夜の磯部さんは甘えっ子である。
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