第138話 20××年・高嶋市再編

 20××年。市庁舎問題を発端に滋賀県高嶋市は今都いまづ蒔野まきのの北部地域と

 真旭しんあさひ安曇河あどがわ高嶋たかしまの南部地域。そして朽樹くつきの山部地域へと分割されることになった。


「ふ~ん。北部地域が今都市になって、南部が新高嶋市なんだ」

「朽樹は朽樹町として独立か。昔に戻った感じなのかな?」


 高嶋市から離脱した今都市は自衛隊からの演習地周辺環境整備助成金を生かした街造りを進め、市民の高校までの学費無料・市民のみ使える無料観光バス・市の施設の無料使用・スポーツ施設の建設・冬季の無料除雪・念願だった地上20階地下5階の新市役所庁舎建設と豊かで住みやすい素敵な街となった。


「おら~っ!貧乏町めっ!」

 ガンガラガッシャンッ!ドサドサッ!


 今日も国道161号線を通る今都市役所総務部行政課所属の無料観光バスはゴミと罵声を周辺地域に撒き散らしながら走る。


 誰もが羨む湖西の星。住民はどの町より格が高い。繁栄と栄光の街・今都市。


 ……となるはずだった。


 ところが、何を思ったのか、勢いの乗った今都市はとんでもない間違いを犯した。


「自衛隊はんた~い!自衛隊は今都に要らな~い!」


 平和を尊重し、自衛隊を違憲とする政党が政治活動の一環として一部の今都町住民から苦情が出ていた陸上自衛隊駐屯地及び演習場を追放したのだ。今都市民が迷惑をしていた騒音も無くなり、今都は平和で静かな街になった。


「へぇ、『自衛隊の街』から自衛隊が居なくなったんだ」

「じゃあ、今都の特色って何?」


 そんな今都から自衛隊が無くなると言う事はどうなるかと言えば……。


「ところでさ、今都から自衛隊が居なくなったら助成金って無くなるよね?」

「まぁ、自衛隊が払う迷惑料代わりやったから、無くなるわな」


 静かで平和になったが自衛隊を追放した事により今都市への助成金は当然無くなった。自衛隊関連で移り住んでいた住民も当然居なくなった。その数年後、東日本大震災以来バッシングが強くなっていた原子力発電所は飛躍的な廃炉技術の向上によって廃炉が続き、福井県に有った原発は全て撤去された。


「原発も廃炉になったし、原発の保証金も無いよね?」

「まあ、別の市になったから関係ないや」


 これらの出来事により今都市の収入は激減した。だが今都市民は一旦味わった贅沢を止める事が出来ず、新市役所建設費用や公共施設の維持・無料化された各設備の維持費等、自衛隊からの演習地周辺環境整備助成金と原発絡みの保証金在りきで動いていた全てが市の財政事情を悪化させた。


「補助金も無いのに贅沢三昧。今に破綻するで」


 支出を抑えるべく市民サービスを削減した市長はリコールで失職。次の市長が市民サービスを復活させるも財政難により再び市民サービスを停止。市民サービスを復活させては財政難になり、リコールと選挙が繰り返されて、ますます今都市の財政事情は悪化の一途を辿った。


 窮地に陥った今都市は新高嶋市・朽樹町と再合併しての生き残りを図った。ところが再合併寸前に放った今都市議の一言が不味かった。


「また合併してあげる。今度の市名は今都市で♡」


 呑気とか大らかと言われる旧南部地域こと新高嶋市と朽樹町の住民だが、さすがにこれは許せない一言だった。


「今さら何言うてんねん。散々貧乏人呼ばわりしといて、それは無いわ」

「ウチはウチで上手い事やりくりしてますさかい。構わんでくれ」


 こうして再合併の話はあっさりと蹴られて今都市は財政破綻した。


 落日の滋賀県今都市。今やかつての栄光は何処へやら。街は荒廃して単なる敦賀への通過点。誰も近寄らない寂れた街に成り下がった。


「ふざけるな~違うだろ~っ!」


 住民のフラストレーションは頂点に達し、警察署や税務署に投石・放火が連日行われた。今都はまさに世紀末。澱んだ街のあちこちで暴動が起こった。


「今都?行く用事は無いねぇ」

「こんな危ない街に教育施設を置いてよいのだろうか」


 周辺環境の悪化に伴い、県は高嶋高校の移転を決定。県の施設も次々と真旭・安曇河・高嶋へ移転した。


 一方、南部地域改め高嶋市と朽樹町の方と言えば、火葬場・ゴミ処分場・下水処理場が出来た以外は特に変化は無かった。元から今都と仲が悪かった朽樹町は新高嶋市と協定を結び、大規模施設を共有することになって完全に今都市との関係は切れた。分裂した当初は今都市から『貧乏町』『貧乏人』と笑われていたのも今となっては昔の話。


「質実剛健な街。大島のおじさんが言ってた安曇河に戻ったんだね」

「大島のおっちゃんが生きてたらなんて言うんかなぁ」


 ここは滋賀県高嶋市安曇河町。藤樹商店街に在る本田サイクル。


「まさか、おじさんがあんなに早く死んでしまうなんて」

「リツコ先生……泣きじゃくってた。可哀そうだったね」


 速人は三重県のバイク部品メーカーに勤めていたが、空気が合わなかったのだろうか。30代に入って役職に就いてからは胃潰瘍や体調不良に悩まされた。


「しばらくゆっくりしよう。大丈夫。蓄えはしといたから」


 速人は大学を卒業して3年の遠距離恋愛の末に結婚した妻・理恵の勧めで仕事を辞めて高嶋市へ帰って来た。


「あまり変わらへんな」

「青春時代のままとは行かないみたいだけどね」


 帰って来た2人はひとまず理恵の実家を間借りして暮らす事にした。


「久しぶりにおじさんのコーヒーが飲みたいな」

「そうだね。リツコ先生の顔も見たいしね」


 高校時代から乗っているゴリラ・モンキーを走らせて、久しぶりに訪れた大島サイクルは平日にもかかわらずシャッターが閉まっていた。


「あれ?閉まってる」

「休みの日じゃないよね?」


 看板を見上げているとご近所の奥さんが声を掛けてきた。


「大島さんの旦那さんやったら入院してはるで」

「「入院?」」


 大島は病に伏せっていたのだ。尋ねたところ、市民病院に入院しているらしい。


「おっちゃん、どうしたんやろうな?」

「まだ老け込む歳じゃないと思うんだけど」


 2人はバイクを走らせて市民病院へ向かった。途中で淡海酢のロールケーキを買い病室へ。ベッドにはすっかり弱って痩せこけた大島が横たわっていた。


「お、猿回しかな?」

「おっちゃん…どうしたん!そんなに痩せてしもて……」


「とうとう内臓をな…」


 見舞いに訪れた本田夫妻に大島は頼み事をした。


「仕事が無うて蓄えが在るんやったら、買うて欲しいもんが在るんや」

「おっちゃんは商売熱心やな~そんな元気があるなら大丈夫」

「おじさん、何か良い品物が在るんですか?」


「店や。店を買うて継いでくれ」

 病床の大島が最期に願ったのは店を続ける事だった。


「贅沢さえせんかったら食って行ける…お前達やったら出来るはずや」

「わかりました。お願いします」

「おっちゃん…」


 速人が返事をしてから、大島は病人であることが嘘の様に熱心に速人を指導した。


「ええか速人、商売で大事なのはな…心や…って言うのは嘘や。もっと大事なのは…」


 半年の修業を終えて大島サイクルは本田サイクルに改名して再オープンした。

 バイク部品メーカーの開発部門で働いていた速人はカブ系以外のバイクも整備できた。取り扱い車種は大島サイクルの時より多種多彩となった。


 取り扱い車種が多くなった大島サイクル改め本田サイクルは商店街や高齢化して整備の規模を縮小し始めた車輪の会ホイラーズクラブにも受け入れられた。車輪の会も時代には勝てず、後継者に悩む店が多かったのだ。安曇河町内のバイクの多くが本田サイクルへ入庫するようになった。


 ミニバイクに乗った高校生たちの相手をする速人と理恵を大島は目を細くして見ていた。とうとう2人は親離れをして羽ばたく時期だと察したのだ。


「速人、これから辛い事や哀しい事が在って挫けそうになるかもしれん。残念やけど、おっさんはお前たちを見守ることが出来ん」


 これ以上見守る事が出来ないと言われた二人は慌てた。


「おじさん。何言ってるの。これからも見守ってくれないと」

「おっちゃん。コーヒー淹れて待ってるから。病気を治して遊びに来てえな」


 大島は首を横に振った。


「それは無理や。おっさんはもうすぐ死ぬ。理恵、速人と仲良くな」


 それが2人が聞いた最後の大島の願いだった。


 オープンしてからしばらくの時が経った。店は忙しくも無く暇でもない。速人と理恵が店を続ける自信が付いて来た頃、1本の電話が鳴った。


「はい本田サイクルです…ああ、リツコ先生…ご無沙汰です…え?…え…」

「速人、どうしたん?ほら、おばちゃんが煮物くれたで♪」


 速人は静かに受話器を置いた。


「理恵……亡くなった…」

「え、何が?」


「大島のおじさんが…亡くなった…」


 数多くのスーパーカブを蘇らせ、ホンダモンキーを愛した男。大島が亡くなった。享年67歳。平均寿命からしても早い死だった。


「いや~、あの世へかっ飛んで行ったわね~」


 気丈に振る舞うリツコだったがそれは愛する夫の為だった。亡くなった直後は号泣していたのだが、大島に『笑顔で送り出してくれないと成仏できない』と言われたため気丈に振る舞っていた。


「リツコ先生…必死にこらえてる…」

「おじさんが『泣き顔で送られたら成仏出来ん』って言ったんだって」


 葬儀には大島サイクルの客が数多く訪れた。亮二・綾・絵里・轟の姿もあった。


「おっさんの事やから、三途の川もモンキーとかカブで渡ってるやろう」

「あの世でもバイクを直してたりしてね」


 不思議と泣き声は聞こえず、そこら中で大島の思い出話が聞こえた。


「大島のおっちゃんと速人がモンキーを直した日から始まったんだね」

「今思うとさ、理恵の所へ引っ張ってってくれた亮二にも感謝だね」


 その亮二の横には綾が佇んでいる。


「Dio先生の慣らし運転がきっかけやったな」

「大島のおじさんのおかげね」


 亮二と綾は大学卒業後、地元で就職して結婚した。今では二人の子供たちが本田サイクルへ訪れる。


「では皆様、出棺の時間です」


 ホーンが鳴り、大島の亡骸を乗せた霊柩車は走り始めた。


 本田夫妻には子供が出来なかった。理恵は子供が欲しかったが残念な事に理恵は卵子の数が少なく、自然妊娠は不可能だった。人工授精にも何度も挑戦したが、その度に失敗して理恵は泣いた。


「うう…来ちゃった…今月も…駄目だった…」


 毎回来る生理を見て理恵は泣いていた。速人は不妊治療で理恵が苦しむのを見るのが辛かった。数年間の不妊治療の後、2人は決断をした。


「琵琶湖を眺めて2人で笑いながら暮らそう」


 子供を諦めた二人はモンキーとゴリラで走り回った。壊れた事もあったが、大島仕込みの腕で速人が修理をして復活した。今も大島サイクルで買ったゴリラと速人が直したモンキーは揃ってガレージにある。


 理恵と速人が仲睦まじく寄りそう様に……。


     ◆     ◆     ◆


「という初夢やったんや。夢の中とは言え相手が速人ってね~」

「僕は嫌じゃないけどね」

「私は中さんのお嫁さんになるんだ…」


 2018年 1月2日


 暇を持て余した理恵が速人を誘って遊びに来た。


「リツコ先生の私生活を見るって言うんですけど…」

「そんなに見たいなら構わないよ」


 見に来たところで自堕落で奈良漬けみたいに酒臭い磯部さんが居るだけだ。


「理恵は過去に行ったり未来を見たり。大忙しやな」

「妙にリアルな夢やった。正夢かも?」


 理恵の話からすれば夢の世界は20年後くらいだろうか。


「正夢やとすると、おっさんは60代で死んでしまうんか?」

「私は一人になっちゃうの?誰がご飯を作るの?」


 磯部さんの心配事はそこか。いつまで料理を覚えんつもりだ。


「磯部先生はお料理はしないんですか?」

「出来るよ。不味くて手際が悪いけど」

「それは出来ないって事でしょ?何かガッカリ」


 餅が膨らみ始めた。表面がきつね色へと変わる。


「ほれ。焼けたで」

「「いただきま~す」」


 速人は弾き飛ばされた。


「磯部さんっ!大人なんやから理恵と争わない!」

「私だってお餅は好きだもん!」


 女二人が餅の取り合い。磯部さんはスッピンなので高校生同士がじゃれ合っているみたいに見える。


「リツコ先生ってさ、全っ然っ大人の女じゃ無いっ!」

「黙れ小娘っ!貴様に私が救えるかっ!」


 理恵では磯部さんは救えない。多分理恵の方が料理は上手い。


「リツコ先生って普段は理恵と同レベルですか?」

「だから見ても仕方ないって言うたのに」


「キーッ!」

「フシャァァァァッ!」


 リツコと理恵は餅を争って絶対に負けられない戦いをしている。


「なぁ速人。理恵を嫁にするのは夢の中だけの方が良いと思うぞ」

「おじさんの奥さんは磯部先生ですよ。夢の中ですけど」


「「ハァ……」」

 餅を巡って戦う磯部と理恵を見ながら男2人はため息をついた。


「速人、餅は諦めて芋でも焼こうか?」

「「お芋?食べる~!」」

「おわっ!」


 速人はまた弾き飛ばされた。大島はもみ殻を入れた箱から芋を出した。

 サツマイモは濡らした新聞に包んで、ジャガイモは切込みを入れてアルミホイルに包む。 火鉢の灰の中へ埋めて上に炭を置いた。それを見た磯部さんは何の澱みも無い動きで冷蔵庫からバターと缶ビールを出してきた。


「じゃがバターにはビールよね」

「リツコ先生、ビールって美味しいの?」


 リツコと言えば酒、酒と言えばリツコである。


「お前にはまだ早いっ!」

「私は焼き芋の方が良いも~ん」


 大島サイクルの正月は賑やかに過ぎて行くのだった。

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