「目覚まし時計」「枝豆」「栞」

AM 7:02


ぱぱぱぱーぱーぱっぱぱー


 携帯から鳴り響くファンファーレ。

 毎朝聞いている音楽。新しい一日の合図。

 握っているのは銀の栞。

 寝る前に曲変えたんだけどな。

 勇ましい勝利の音楽は、今日がまた始まった事を無慈悲に告げていた。



AM 9:21


 僕は一介の大学生である。名前は勿論ある。

 昼はよく寝、夜は遊んで暮らしてきた。就職する気力も無いが故に、田舎の所謂Fラン大学に進学してきた。将来は依然、不安である。


 そんな僕であるが、昨夜恋をした。

 相手は見ず知らず、偶然夜の電車に乗り合わせた女性。がらがらの車内でも隙を見せず、美しい姿勢で座席についている姿は、美人という言葉が自我と形を持ったかと錯覚させるほどだった。スーツはよれよれだったけど。

 夜十一時ごろの電車で、ついその方をまじまじと観察してしまった僕は、うすい眼鏡の奥に座した、濁った、虚ろな目に惹かれてしまった。

 膝の上に置いた小説に目を落とすこともなく、ただ正面を見つめている。その姿は例えば何か、僕の知り得ない特別なことのように感じた。


 回想をしているうちに大学行きのバスが到着する。三分遅い。

 何度も経験した、変わりのない出来事。


PM17:47

 

 今日の講義が終わった。と言っても、聞く必要はまったく無かった。レジュメをもらって帰るだけ。

 バスは七分遅れてくる。


PM 19:41


「やーお待たせ!待った!?」

 待ち合わせ場所に響く声。

「あんまり久しぶりだからさ、楽しみで早く来たんだけど、かえって早く来すぎてぶらぶらしちまった」

  何度も聞いた、他愛のない言い訳

 十 分遅刻だよ。僕は時計を見ずにそう答えた。

 そんなもんだろう。多少の誤差はあれど、いつも通りなら。


PM 20:14

「一目惚れだァー?」

 枝豆をさやからつまみ出す僕に、素っ頓狂な声が浴びせられる。

「お前、もういい年こいて何言ってんだ。現実見ろ現実。見ず知らずのヴィーナスってどうやっても攻略できねえし、下手すりゃもう二度とお目にかかれねぇぞ!」

 半分笑い、半分呆れたようなその言葉は、これで何度目だろう。

 せめて、彼女にこれを返さないと。そう言ってポケットから取り出したのは、銀色のブックマーカー。彼女の立ったあとに残されていた栞。降車したところを見たわけではない。彼女は忽然と、瞬きする間に消えてしまったのだ。

「何言ってんだお前。頭でも打ったんじゃねぇの」

 まったくその通りだ。むしろその方がありがたい。


PM 22:36

 

 会計を済まし、彼と別れる。今度は昔の仲間をもっと呼ぼうと。その今度はいつになるだろう。

 今回は少し早く出てしまった。今すぐに帰っても、きっと彼女には会えないだろう。

 私は時間をつぶすために、チェーンの喫茶店に入った。

 どうせ今夜も終わらない。

 この一日から抜け出せない。

 今日を繰り返して、これで何度目だろう。

 エンディングのないゲーム、濁った眼が唯一の救い。



PM 23:08


 今日も彼女はいなくなった

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