桂木祐一郎 その2
翌日、散々怒鳴り散らされてから家に帰ると、既にマリスがいた。よく考えたらこの生き物はどうやって入ってきているのだろう。
……まあいいか。
「では、今日の旅へどうぞ!」
なんとなく慣れている自分がいることを感じながら、今日も浮遊感に包まれた。
「ふむ」
そして気づくと昨日の街。日付は一日変わっているが。
昨日のクエストを終えた金があったので少し買い食いなどをしながら街の中を見て回る。
「生きていくだけならできる……か」
自分の知らない世界に旅に出るというのはいいものだ。また明日も頑張ろうと思える。
そんなことを思いながらふらふらと街を歩いていると、昨日のグリルと出会った。
「おお、ユーイチロー。今日はクエストに行かないのか?」
「ああ……。せっかくだから旅行を楽しもうと思ってな」
そう答えると、グリルは嬉しそうに笑った。
「そうそう、そんくらい肩の力抜いてるくらいがちょうどいいって。好きでもねえ仕事なんて辞めちまってさ」
「好きでもない仕事を辞めて、か……」
たしかに、あまり意味が無いのかもしれない。
生きていくだけなら……。
「グリル、君は何のために仕事をする?」
「ん? そりゃ当然、自分の人生を楽しむためだよ」
あっけらかんと言ったグリル。
「しかし、君には奥さんも子供さんもいただろう。彼女らのためにとかではないのか?」
私が尋ねると、グリルは豪快に笑った。
「何言ってるんだ。あいつらと一緒にいるのも、俺の人生を楽しむためだ。あいつらを養うのも俺のためだ。あいつらのためじゃねえ。うちの嫁さんとか強いからよ、たぶん一人でも生きていけるだろうけどよ。お互いが自分の人生を楽しむためにくっついただけさ」
自分の人生を楽しむため……。
その言葉が、凄く私には重くのしかかる。
私は果たして自分の人生を楽しめているのだろうか。
(楽しめているのなら……記憶をなくすと言われて迄異世界に来たりはしないだろうな)
自嘲気味に笑う。今朝考えてみると、確かに記憶が消えていた。しかしそれを「ラッキー」としか認識できない程度にしか自分の人生に執着が無い。
そんな人生……
「ま、でもよ。今は楽しめてるっぽいしいいんじゃねえか? その仕事も、お前の人生を豊かにすると思えれば続けりゃいいし、そうじゃねえっていうなら辞めりゃいい」
グリルの言葉を、私の中で考える。
……仕事を辞めて、実家に戻ってもいいな。
自分の人生を豊かにするのは、別に向こうの世界ででもなくていいかもしれない。仕事を辞めたら習い事でもしたらいいのかもしれない。
「私の人生は仕事ではないものな」
「そうだぜ? なんだユーイチロー。俺と同い年くらいだって言っていたのにそんな簡単なこともしらねえのか。人生って楽しんだ奴が勝ちなんだぜ?」
簡単なこと、そう、簡単なことか。
その一言で、スッと自分の気持ちが変わった。
「……そうだな。どうも私はバカだったらしい」
「でも俺と同い年くらいってことはまだ35、6だろ? ってことはあと30年以上あるよな、死ぬまで。まあこんな稼業やってりゃ早死にすっかもしれないけど、お前の実力的に大丈夫だろうし。それなら楽しめる方法を考えた方がいいぜ」
もう35。
まだ35。
たった二文字違うだけで、こうまでも印象が違うとは。
「取りあえず……趣味でも始めてみようと思う。その時は、また相談してもいいか?」
「ん? お、おう。別に構わないぜ」
まだ五時間までは時間がある。今日ギリギリまで楽しんだら……明日以降はデスマーチだ。
私の仕事を即終わらせる。
そして仕事が終わったら……。
「ちょっと、転生でもしてみようと思う。生まれ変わるんだ」
「?? なんか時々変なこと言うなユーイチロー」
「そうかもな」
なかなか愉快な旅だ。
愉快過ぎて……まさか自分の人生が変わってしまうとは。
「やるか」
グリルに手を振って別れると、取りあえず近くの屋台に行った。
腹が減っては戦は出来ぬ。
「おいこら! 桂木! テメェ、今なんつった!?」
「今まで、お世話になりました」
私の前には禿げ上がった部長の怒り顔と、私の書いた退職届がある。
あの後も少し考えたが……やはり、この仕事を続けていては私の人生は始まらないと判断した。
「テメェ、もう35にもなるおっさんを新しく雇うような優しいところがあるわけねえだろ!? うちくらいだぞ、テメェみたいな役立たずを雇うような会社は!」
「そうかもしれませんが、まだ35歳ですので」
そう言って、私は部長を睨み返す。
「私の判断で、この会社に私の残りの人生を費やす必要は無いと思いました。ですから、辞めさせていただきます。今までお世話になりました」
一度も反論したことが無い私に反論されたからか、ぽかんとした顔をする部長。その顔をしり目にさっさと会社から出ていく。
引継ぎの資料も作った、自分の仕事も終わらせた。もう、私のやることはこの会社に残っていない。
大して使う機会も無かったので金もそれなりにある。家も引き払って実家に住めば家賃も払わずにすむ。実家からハローワークに通えばいいだろう。
マリスはあれ以来現れていないが、取りあえずこちらの世界でも私なりの「異世界」を探してみよう。
そうして、自分の人生を取り戻すのだ。
「あのー、桂木さん。異世界へのご旅行、いかがですか? 今度は、一泊二日などは」
あの日と同じように、唐突にマリスが現れた。
その顔には、何故か邪悪な笑顔が浮かんでいる。
「今でしたら、定期券がお得ですよ。六か月間、向こうの世界へ行きたい放題で一年分の記憶で手を打ちます。さらに」
スッと出してきた契約書には「異世界ツーリストのサポート業務を手伝うならば、無期限パスポートをお渡しします」と書いてある。
「アルバイトもしてみませんか? 次の
――なるほど。マリスという名前なだけはある。
私がもう一度異世界に行けると聞いていかないはずがない。
「ふっ……」
手のひらの上で転がされているのだろうな、と思いながらその契約書を受け取る。
そしてそれを持って――私は次の人生へ思いを馳せながら歩きだした。
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