桂木祐一郎の場合
桂木祐一郎 その1
こんにちは! 異世界ツーリスト、通称イセツリのマリスと申します!
人生に絶望しているそこのあなた、異世界で気分をリフレッシュしませんか?
お代はあなたの命です。様々なプランがございますよ?
私が会社から帰り、とっくに日付が変わった時計を眺めながらビールを飲んでいると、目の前に小さな羽の生えた生き物が出てきた。
「……なんだ?」
過労による幻覚、幻聴だろうか。
なんてことを思いながらそれをぼうっと眺めていると、パサリと目の前にパンフレットが広げられた。
「どうも、私のことはマリスとお呼び下さい」
そして目の前に出される名刺。会社員のサガか、反射的に私も名刺を渡してしまう。
「これはご丁寧に。私は桂木祐一郎と申します」
名刺に書かれているのは、「異世界ツーリスト マリス」という文字。どうも、この謎の生き物はマリスというらしい。
「異世界へのご旅行、興味はありませんか?」
どうもこの幻覚は割としっかりした幻覚らしい。パンフレットを開きながら説明をし出した。
「異世界とは?」
「こことは異なる世界のことです。端的に言うなら魔法とかが使える世界ですね」
「なるほど……」
そういえば、甥がそんなゲームをやっていたな。正月ごろに実家に帰った時に付き合わされたから知っている。
なるほど、この謎の生き物はゲームを売っているのか。
「残念だが、私はこの通り今日で26連勤の男だ、明日も早くから会社に行かねばならない。ゲームをしている暇があるくらいなら眠りたいんだが」
そう答えると、生き物は「嫌ですねぇ」みたいな顔をして肩をすくめた。
「ゲームを売っているわけじゃありません。私たちは異世界への片道切符を売っているんでございます。どうですか? お試しに、五時間ほど向こうの世界へ行ってみるというのは。ちなみに、こちらの世界で経過する時間はただの五分でございます」
この妖精の説明によると、料金を支払うことで魔法などがある世界に行くことが出来ると。そしてその世界で観光なり冒険なりをすることが出来ると。
日帰りではないプランもあるが、そのプランだと寿命を消費してしまうので私のように残りの寿命が少ない人間にはおススメしておらず、それよりも五時間ほどしか向こうの世界に行けないがこちらの世界では五分ほどしか経たないという旅行プランをおすすめしているとのことだ。
「ちなみに料金は?」
「はい、あなたの今までの人生からいただきたいと思います。平たく言うなら記憶ですね。向こうの世界にいる分だけ想い出を頂きます。ですから五時間分の想い出ですね」
想い出か……。
私がふと自分の――三十五年も生きてきた人生を振り返る。幼い頃は普通の家に生まれ、普通に進学していった。なんとか大学に入ったが就活で失敗し、所謂ブラック企業と呼ばれる会社に入る。そして十三年間同じ会社で、毎日会社と家の往復だけを繰り返していた人生。
若い頃はよかったが、最近は体力もきつくなってきた。しかしもう35だ。今から転職しても雇ってくれるところなどあるまい。
「こんな私の想い出でよければ喜んで渡そう」
「おや、では異世界にご旅行へ行かれるんですか?」
「ああ」
何の与太話かは分からないが、私はこの小さな生き物のいう事を信じてみることにした。
五分ほどで帰ってこれるというのなら……やってみるのもいいだろう。
マリスというのが出してきた契約書を読みながら、数枚にサインしていく。今回はどの時間軸のどんな想い出を支払うか? と言われたので、直近であった嫌なことを持って行ってもらうことにした。
「この三つの願いというのは?」
「文字通りです。向こうの世界で楽しく過ごすために自衛の能力を持っていただくことにしているんですよ。私たちがサポートできる範囲も限りがありますので」
「……どうも、その世界というのは治安が悪いらしいな」
私は甥とやったゲームを思い出しながら、「回復魔法」と「防御魔法」と「無尽蔵の体力」をお願いしてみた。この三つがあれば大概の敵から逃げられるんではないだろうか。
「これでどうだ?」
「はい、畏まりました。では……」
そう言ってマリスが私の頭に手を乗せた。すると、何かが私の頭に流れ込んでくる感覚があった。
……なるほど、こうやって魔法というのは使うんだな。
「凄いな……」
「いえいえ。では、こちらをどうぞ。向こうでの身分証です」
「そんなのも用意してくれるのか」
「はい。日帰りプランですので。では、準備が整いましたからこちらへどうぞ」
……思えば、私はただ現実から逃げて夢を見たかっただけなのかもしれない。もしくは、正常な思考など保てていなかったのかもしれない。
だが……何でもよかったんだ。仕事を忘れられるのならば。
「では、楽しい異世界生活をご堪能ください!」
フッと浮遊感に包まれて。
私の意識は闇に落ちた。
「……ここは?」
みあげれば、そこには『冒険者ギルド』という看板が。マリスから受けた説明によれば、私は既にここで登録しているということ。
ここで依頼などを受けたりして冒険をしろということか、なるほど。
「では行ってみるか」
中は酒場のようになっていて、奥にカウンターがある。その横に「クエストボード」と書かれた黒板のようなものだ。
「ここからクエストを選んで持っていけばいいのだろうか」
そう思ってクエストを見てみると……回復魔法が使えるもの募集、と書かれた依頼があった。どうも護衛依頼らしい。
面白そうなので、それを受けてみることにした。
「このクエストを受けます」
受付に持っていくと、受付のお嬢さんが笑顔で「ギルドカードを見せてください」と言ってきた。先ほどマリスに言われた身分証明書だろう。
それを提示して、いくつかの工程を終えて私は護衛の依頼を受けた。
「では行ってみるか」
年甲斐もなくワクワクしている自分がいる。
まるで、冒険記の主人公にでもなった気分だ。
そんなことを考えながらその待ち合わせ場所まで行くと、屈強な男たちが既にそろっていた。
少し腰が引けるが、別に彼らが襲ってくるわけでもないと思い直す。
「ん? 随分ひょろいのが来たな」
屈強な男たちの中でもさらに大きな男が私に話しかけてきた。
「ユーイチローという。回復魔法が使える者を募集していると聞いてやってきたのだが」
そう言うと、男は「おお」と嬉しそうに笑った。
「いやぁ、助かった。まさかフリーのヒーラーがいるとは! 俺はグリルっていうんだ。このパーティーのリーダーを務めている。よろしく頼む」
その男――グリルが右手を差し出してきたので、私も握手する。つい名刺を出しそうになってしまった。
どうやら、グリルのパーティーは最近回復魔法が使えるものと仲たがいしてしまい、回復役を探していたらしい。
「なるほど。私は新米だがよろしく頼む」
「いや、回復魔法が使える奴は貴重だからよ、むしろ嬉しいぜ」
そう言われると悪い気はしない。
その後、他のパーティーメンバーとも自己紹介をすませてから馬車の周りを歩くようにして出発した。
どうも、この馬車の積み荷を護衛して別の街まで送り届けるらしい。
「どれくらい歩くんだ?」
グリルに聞いてみると、彼は「そうさなぁ」と言って指を追って数えだした。
「四時間くらいかな。夜には着くと思うぜ」
「そうか」
四時間、ギリギリだな。
さすがに途中で帰るわけにもいかなかったからよかったと言える。
グリルとはどうも歳が近いようで、話が弾んだ。
「ここ最近は仕事があんまりなくてよ。嫁さんにせっつかれてんだ」
「そうか、私は逆に仕事が忙しくてな。今日はやっと少し休めると思って……おっと」
よく考えたら彼等にとってはこれが仕事だ。私にとってはファンタジーかもしれんが。
気を悪くしただろうかと思いちらりとグリルを見ると、むしろ彼は笑いながら。
「なるほど、やっと休暇がとれたから別の街に行くついでに依頼を受けたって感じか。まあ回復魔法が使えるってことは……医者でもやってるのか?」
都合がいいように受け取ってくれたようだ。ホッとしながらも私は曖昧に返事をする。
「にしても……そんなに忙しいのか」
「ああ。26連勤くらいしていた」
「おまっ……すげえな。よっぽどその仕事が好きなんだな」
グリルが少し驚愕したような声を出すが……別に私にとって仕事は好きではない。ただ、しないと生きていけないからしているだけだ。
そう伝えると、グリルは怪訝な顔をした。
「変なやつだな……好きでもねえのにそんな仕事をするなんて」
「変なことでもないだろう。生きていくためだ、仕方がない」
「そうか? たしかに金があるに越したことはねえけど別に無くても生きていけるぜ? 例えばよ」
グリルはきょろきょろと辺りを見回すと、何枚か葉を積んできた。
「これとかよ、食えるんだ。あんま上手くねえけど栄養はある。冒険者やるなら知っていた方がいい知識だ。でっかい木の傍に生えてることが多くて、これのいいところは生のままでも食えるってところだ」
そう言ってその葉を食べるグリル。「ホントに不味いけどよ」と苦笑いをしているが、その顔は楽しそうだ。
「こんな感じで食べれる野草でも食えば生きてはいけるぜ」
そう言ったグリルはいきなり剣を抜いた。
「……っと、お仕事の時間だ。ユーイチロー。お前は回復魔法のほかに何が出来る」
「防御の魔法が使える」
「なら、その二つで援護してくれ。行くぞ野郎ども!」
グリルがそう叫んだ瞬間、目の前から緑色の小さい二足歩行の生き物が出てきた。……なんだろうあれは。
「ゴブリンか!」
ゴブリンというらしい。よく見るとそんなのが十匹もいる。
(この馬車を狙っているのか……)
私は防御魔法を唱えて馬車と己の命を守る。あとはこの中から彼らにむかって回復魔法を使えばそれでいいはずだ。
グリルが仲間と連携をとりながら攻撃を繰り出す。彼らのパーティーは優秀らしく、ゴブリンたちが見る見るうちに減っていく。
だがそれでも手傷を負うは負うようだ。彼らが少しでも傷ついたらそれにむかって回復魔法を投げ付ける。投げ付けるといったのは、怪我の部分をピンポイントで治せるわけではないから大雑把にしかできないからだ。
そしてモノの数分でグリルたちがゴブリンの群れを駆逐した。
「凄いな」
思った通りの賞賛を彼等にかけると、むしろグリルから私の手を握られた。
「何言ってんだ! あんたの方が凄いぜ! なんだあのヒール、見たことねえよ!」
……私の回復魔法は凄いのだろうか。
どうも彼らにとっては物凄い回復魔法だったらしく、その後の道程では物凄く称賛され、そして別の街に辿り着いた時には「また機会があったら是非行こう!」と言われてしまった。
「こんなに言われるというのは……珍しい体験だな」
そう思いながら見上げた空は、物凄く澄んでいて綺麗だった。
……夜空を眺めるのなんて、いつ以来だろうか。
そのタイミングでマリスが現れた。もう……五時間も経ってしまったのか。
「では、元の世界に戻りますね」
「ああ」
そして来た時と同じ浮遊感。
「ん……」
気づくと、私は自分の部屋にいた。五時間経ったらしい。
時計を見てみると、確かに五分ほどしか経っていない。それなのにとてもスッキリとした気分だ。ストレスを発散出来たからだろうか。
「どうでしたか?」
マリスがまた現れたので、「とてもよかった」とだけ言った。
「また明日も行きますか?」
「ああ……お願いしよう」
明日の分の契約書などを書いて、その日は取りあえず眠ることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます