第307走 魔王、君臨す

「申し上げます。城下はすでに火の海と化しています。エルフ族女王の全面降伏も、時間の問題かと」

 足元で、鴉が首を垂れながら言う。

 豪華で、けれど薄暗い城内は、人間族の者が見たら顔をしかめそうなおどろおどろしい彫刻が、いたるところに施されていた。

 そんな魔王城の一室で、無数の骸骨を模した玉座に腰かけながら、我はつぶやく。

「人間族の数倍の知能を持つと聞いていたから多少は期待していたのだが、随分あっけなく堕ちたな」

「全ては、魔王様の采配の賜物かと」

 自分を称える言葉を耳にするのは、やはり気持ちいい。

「次は、どこの世界を滅ぼすとしよう」

 けれど、もっと気持ちいいのは、無辜の民から浴びせられる、恐怖に満ちた視線と悲鳴だ。

「では、この地球なる惑星を基盤とする、こちらの世界はいかがでしょう。知的生命体が人間しかおらず、少々面白みに欠けるかもしれませんが……」

 血のような深紅の唇に指をあて、我はしばし思案する。

 確かに、人間族は非力だ。滅ぼすことはたやすいだろう。

 しかし、人間族は、だからこそ知恵を振り絞って抵抗する。

 エルフのようにこの世界を循環するマナの理を読み解き、魔法を使えるわけでもなければ、獣人のような鋭い爪と牙を持っているわけでもない。

 にもかかわらず、どの世界でも、最後まで粘り強く生き残ったのは人間族であった。

 だから我は、この奇妙で興味深い人間族が、嫌いではなかった。

「ああ。次の進軍先は地球とやらにしよう」




「しかし、いちいち界渡りの度にダンジョンを通らねばならぬというのは、面倒なことだな」

 肩に側近の鴉を載せ、ごつごつとした大地を踏みしめながらひとり呟く。

 魔王は全ての魔族の母なるもの。単身異世界に乗り込めば、魔族はいくらでも増やすことができる。だから、今いる魔族たちには、今や虫の息となったエルフ王国の侵略を任せ、ひとりでダンジョンへとやってきていた。

 今いる世界から別の世界へ移動するには、狭間の世界であるダンジョンを通過しなければならない。それは、いかにあらゆる世界の住人が恐怖する魔王と言えど、同じであった。

 と、いっても、ダンジョン探索者は、魔王の存在を認識するなり、武器もその場に投げやって、元いた世界に逃げ帰ってしまう。

普段ならダンジョン探索者に襲い掛かってくるモンスターたちも、ある者は岩陰に隠れ、ある者は首を垂れて、魔王の邪魔をするものなど一人も居ない。

 そういうわけで、魔王にとってのダンジョンというのは、ただただ退屈なだけの、散歩のようなものに過ぎなかった。

 その日までは。



 その日、俺はとてつもなくイラついていた。

 修学旅行の班決めのせいで、ホームルームがおしにおしたのである。

 そもそも俺は、修学旅行というものが大嫌いだった。

 別にクラスに友達がいないとか、まして苛められているとか、そういうわけではない。

 ただ、常に友人らと行動を共にする修学旅行では、布団でごろごろできる時間が、俺の生きがいであり、至福の時間が、極端に短くなってしまうのだ。

 しかも、今日はなんだかダンジョン内の様子がおかしい。

 モンスターたちの姿が見えないのである。

 たまに視界の端に姿を捉えたかと思えば、何かに怯えるようにどこかへ隠れてしまうし……。

 最近ではモンスターを倒したり避けたりするばかりではなく、モンスターを利用することで最短時間を更新してきた俺としては、由々しき事態なのであった。

 と、その時。何者かが俺の進路を塞ぐような位置に立っていた。

普段なら、何のモンスターか確かめてから、スライムで目つぶしをして武器を奪うなりなんなりするんだが、その日の俺は、本当にイライラしていたのである。

「邪魔だどけえええ!」

 反射的に、ダンジョン入口近くになぜか放ってあった大剣で、目の前の魔物を切り伏せる。

 一瞬、信じられない、と言った様子の深紅の瞳と視線が合い、かと思うと金の粒子となって霧散した。

 あれ、いま俺が切ったの、なんか見たことのない魔物だったような。

「ま、いいか」

 そんなことより、いまはお布団だお布団。このイライラを、お布団さんに包み込まれることで、解消しなくては。

 完全に油断していたところに、三百回を超えるダンジョン経由での帰宅で人並み外れた経験値を蓄積していた俺の攻撃を食らい、うっかり倒された魔王は、

「覚えていろ人間ッ! 近いうちに、必ずやこの雪辱を果たしてやるからな!」

 と叫んでいたんだが、既に自室のお布団でぬくぬくしていた俺の元へは、その悲痛な叫びは届かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る