第 1 走 俺は激怒した。必ず、一刻も早くお布団でぬくぬくすると決意した。

「異世界に取材とか、行ってみたらどうです?」

 ここ最近筆が乗らないとぼやく私に、担当編集はそう返してきた。

「ん〜、ありかも」

 昔から、文章を書くのがすきだった。

 ここではないべつの場所に想いを馳せ、自分の心の中に住む住人たちを、紙の上に書き出す。

 そして、それを多くの人に読んでもらう。

 そんなこの仕事が私はすき、なはずなんだけど……。

「次の締め切りまで多少余裕あるんで、一週間くらい行ってみては? 交通費くらいしか、経費で落ちませんが」

 最近は、取材で異世界に行く同業者が増えてきた。

 私も何度か行ったことがあるが、異世界は無数に存在する。まだ行ったことのない異世界に取材に行くというのは、なるほど、いい案かもしれない。

 見知らぬ場所で、見知らぬひとと接すれば、いいアイデアも浮かぶかもしれないし。

「明日出発とかって、できる?」

 善は急げだ。そう思って問いかけた私に、担当は軽く目を見開いてから、

「領収書、ちゃんと貰ってきてくださいね」

 と苦笑した。


 ゲートを抜けて、ごつごつとした道を歩く。

 護衛は雇わなかったから、異世界まではひとりだ。

 異世界に気軽に行けるようになっだと言っても、危険がまるっきりなくなった訳ではない。

 その最たるものが、ダンジョンである。

 今いる世界からべつの世界に行く、界渡りを行う際には、世界の狭間であるダンジョンを通らねばならない。

 異世界は楽しみだが、正直ダンジョン攻略は憂鬱だった。

 この前なんて、スライムの大群に襲われて全身べたべたにされたし。

 はぁ、どこかに小説のネタになりそうなひとが転がってれば、こんな憂鬱吹き飛んじゃうのになぁ……。

 と、その時。

 ひゅん、と風を感じた。

 風が吹き抜けた方に目をやると、ひとりの少年が全力で走っている。

 大地を蹴り、腕を振って、ぐんぐんとその後ろ姿が遠くなり、そして。

 ーー突如現れたミノタウロスに身体を真っ二つにされた。

「あちゃー」

 無残にも上下二つに分かれた少年の身体が、金の粒子となって霧散する。

「ちょっと心配だし、様子を見てくるかな」

 そう呟きながら、私は口の端がにやけるのを必死で抑えた。

 なんとなくだけど、あの少年からは物語の匂いがする。

 きっと今頃は、ゲートの入り口に戻されてしまっているはずだ。もしかしたら、死への恐怖でへたりこんでいるかもしれない。

 私は無意識のうちに小走りになって、少年の姿を探した。

 程なくして、少年が私の方へと駆けてくる。

「?!」

 そして、理解ができず固まる私を抜き去って、ダンジョンの奥へと進んで行く。

 先ほどのポイントでのミノタウロス出現は、ガイドマップにも載っているような基本情報だ。

 それすら知らない様子の彼は、ダンジョン初心者に違いない。あの動きにくそうな軽装備と合わせて考えるに、何も知らず迷い込んでしまったのだろう。

 にもかかわらず、彼はダンジョンを全速力で駆けている。先ほど身体を二つにされたばかりだというのに。

 私は今度こそ、にやけを抑えることができなかった。

「ちょっとそこの君、待って! 待ってってばぁ!」

 あぁ。なんて想像力イマジネーションを掻き立てられるんだろう。

 必死で追い縋るも、彼は人間族とは思えない速さでダンジョンを駆け、みるみる私を引き離していく。

 かと思うと、地面から出てきた槍に串刺しにされたり、剣を持った骸骨に襲われたりして、幾度となくスタート地点に戻されていた。

 死への恐怖や痛みを感じないのかとも思ったが、オークの棍棒に頭を潰された彼の、恐怖と痛みに染まり切った顔を見て、それは違っているのだと思い直した。

 彼は何のために、ここまで必死に走るのだろう。

 難病に侵された妹のために、異世界にしかない薬草を手に入れるところなのだろうか。

 それとも、恋人との結婚式直前にダンジョンに迷い込んでしまって、必死で式場を目指してるとか……?

 脳内で、新作の構想、もとい彼の抱える物語ストーリーを無数に想像する。

 一歩歩くたびに浮かび上がるアイデアは、しかし、どうもしっくりとこない。空想めきすぎているというか、彼の印象イメージにうまくはまっていないというか。

「ねえ、どうして君は、そんなに一生懸命走るの?」

 何度目かの彼に追い抜かれるタイミングで、私はついに、横を走り抜ける彼にそう問いかけた。

 すると彼は、歩みの速さはそのままに視線だけをこちらに向けて、口を開く。

「大切なもののため、かな」

 前だけを見ていた彼の視線と、私の視線が交差する。

 強い決意の込められた眼差し。それを見てとった瞬間。私の中で物語がはじけた。

 きた。きたきたきた。

 脳内に踊る文字の波が、今にも溢れだしそうだ。それを必死で抑え込みながら、私は来た道を戻っていった。

 異世界の宿はキャンセルだ。当日キャンセルだから全額払わねばなるまいが、今はそんなことどうでもいい。

 とにかく今は、一分一秒でも早く、原稿用紙に向かいたかった。


 ◇


 数か月後。

 最近ようやっと、一度も命を落とすことなく帰宅できるようになってきた俺は、今日もダンジョンを駆け抜ける。

 特殊すぎる通学路にも慣れ、帰宅にかかる時間がうんと短くなってきたのとは裏腹に、俺はいま、とても忌々しげな顔をしていることだろう。

 最近妙にダンジョン内に人が多く、全速力で走り抜けないのである。

 人々から漏れ聞こえた会話によると、なんでも、どこかの世界で発売された小説が、世界中どころか、異世界中で大ブームらしい。

 その小説が売っている世界目指してやってくる、書店員や取次業者、その小説のファンの多いこと多いこと。

 ダンジョン内がその話題で持ちきりで、関心のない俺でさえ、その小説が「自分の身代わりに王に捕えられた友人を助けるため、妹の結婚式を見届けたあとで王の元まで走る話」だということが分かってしまうほどだった。

 しかし、そんなあらすじを聞いても俺は、どこの世界にも似たような話があるんだなぁと思うだけである。

 俺は今日も、何よりも大切なもの(一分一秒でも長く布団でだらだらすること)のためにひた走る。

 その小説の主人公のモデルが、自分だとも知らずに。

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