中編 『(陥れる)予定を立てよう!』

 ……『二人』の夢を見た。


 稀に見ることのある、異世界で過ごす誰かの記憶だ。

 その二人――バスの私が見る夢だが奇妙なことにおそらく人間だ――は、大たちの居る世界から、転生を果たした人間のようだった。

 二人は何度か異世界にやってきていたが、転生してから少し後、現在居る異世界が何度か訪れた異世界とは違うことに気付いた。


『あったはずのものがない』

『なかったはずのものが存在する』

『……そもそも、以前訪れた時に聞いた年代と違う』


 二人は気づいた。転生にあたって、異世界において過去の時間軸に、自分たちの存在が生まれなおしたのだということを。

 転生前の記憶をたどりながら計算すると、異世界においてさかのぼってしまった年数はちょうど二人が転生する前の年齢と同じ分。


 最初、二人はそのことを特に気にしないことにした。異世界への転生とは『そういう』仕組みだったのかと納得しただけだ。

 しかし……歳を重ねるにつれ、徐々に元の世界での記憶が薄れていくことに気付いた時、二人は再びそのことを思い出した。


 もしかしたら。

 もしかしたら、元の世界での心残りに対して――異世界の『過去』に生まれ変わった自分たちならば、なにか出来るのではないかと。

 だから二人は、『私』を残した。


   ×××


「おーい、六道さん? 起きてます?」


 不確かな夢が、突然かけられた声でかき消される。起きてしまえば夢は意識のかなたへとあっという間に消失し、夢の形は思い出すのも難しくなってしまった。

 不安と希望の入り混じる夢だった気がするが……果たして、あれは本当に私(バス)の見る夢なのだろうか。

 いつものように夢から醒めたあとの独特な不安感を味わっていると、車体表面がこんこん、と軽くノックされる。


「ろーくーどーうーさーん?」


 意識を前に向けると、車体の前に、不審げな顔の琴音が経っていた。彼女は『私』を認識している数少ない人物だ。というか、琴音を抜けば私を認識しているのは異世界に居る琴音の母くらいだろう。

 私の意識が自分の方に向いたのを感じ取ったのか、不審げな表情を引っ込めて、快活な笑みを浮かべる。


「よかった。起きたみたいで。中入りますよ?」


 心の中だけで頷き返しておく。残念なことに、発声器官はないので、琴音と言葉を交わすことは出来ないのだった。

 琴音は扉を外部から開ける緊急用レバーを操作して中に入ると、普段は大が据わっている運転席に腰を下ろす。そして運転席に存在する、制御システム用のインターフェースを起動させた。

 画面が無事に起動状態に入ったのを感じて、私はインターフェースと自分自身を接続した。システム全体を掌握するなんてことは到底不可能な私の体だが、一部を操って文字を表示するくらいは出来る。自動運転に切り替えられている時なら、もっと自由に画面に色々と表示できるのだろうが。

 とにかく、まずは一言、朝の挨拶を表示しよう。


《おはよう琴音》

「はい! おはようございます六道さん」


 席に座った琴音が元気よく挨拶を返してくれる。見れば、今日はややフォーマル寄りの私服だった。


《今日は仕事はなかったのかな》

「今日は『普通の』バスガイドの研修があったんですよー。お客さんとして先輩ガイドさんが乗っているバスに乗って、どういう風にやるのか見て学ぶんです」


 勉強になりました、と言って頷く琴音。すっかりこちらの世界に馴染んでいるようでなによりだ。

 琴音は、領主である父親の反対を押し切ってこちらにやってきた。琴音が元々お嬢様なのもあって、大などはことあるごとに琴音の見ていない所で心配そうに愚痴を吐いたりしていたものだが、当の本人は持ち前の明るく前向きな性格で他人の心配など吹き飛ばす勢いだ。


《それで? なんでまた、今日は私の所に》

「今日は少しご相談があって……ダイドーさんのことなんですけど」


 琴音はすん、と小さく鼻で息を吸いながら言った。運転席には大のにおいがしみついている……と、思われるので、それを感じて大のことを思いだしているのかもしれない。


「ほら、ダイドーさん、バスの外に全然出ないじゃないですか。どうにかして、あたしの故郷の地面を踏んでほしいと思って」

《大の異世界嫌い……いや、嫌っているかはわからないが、とにかく異世界に足を踏み入れようとしない覚悟は筋金入りといっても過言ではないからな……》

「謎ですよねぇ、あれ。なんであんなに異世界嫌いなんですかね」

《私は特になにも聞いていないな。琴音の方がプライベートな話はしているんじゃないか? 時々仕事帰りに食事に行っているんだろう?》

「んー、食べながらだと大したこと話さないんですよね……異世界嫌いってわりとデリケートな話題っぽいので、食事の席じゃ話しにくいですし……あ、でも、そういえば――」


 何か思い出したらしく、あごに手をやりながら琴音は眉根を寄せ、ゆっくりと思いだしながら話す。


「そういえば前に……なんだったかなぁ。『自分の世界でちゃんと最後まで生きるくらいしろ』……とか、そんなこと言っていたような気がします。自分の世界を出てきたのはあたしも同じなので、それ以上何も言えなかったんですけど」

《琴音と一緒に居る時に言う言葉ではないと思うな、それは》

「いや、でも、その後ちゃんとフォローしてくれたんですよ? 琴音みたいにちゃんと周囲を説得して、生きていく算段もちゃんと立ててから行くならいいけれど……って」


 琴音の表情が、明らかに緩んでいく。頬も少し赤くなっていた。冷房でも入れてやろうかと思ったけれど、きっとその熱は心地よいモノなのだろうと考えて、水は差さないでおくことにする。


「最初怒られたかと思ったんですけど、結局最終的には褒められちゃったので、嬉しい思い出です。……ふふっ」


 思い出してにこにこと笑みを浮かべる琴音。よほど、大に褒められたのは嬉しいことなのだろう。


《前々から思っていたが、琴音は大のどこが好きなんだ? 一目ぼれの類かな、私にはわからないことだけど》

「んー、なんでと言われても困っちゃうんですけど。でも、一目ぼれっていうわけでもないんですよね。最初は別に、あたしの世界にやってきた人、ってだけで」

《好きになったのは、仕事で組み始めてから?》


 私の質問に、琴音は懐かしむような温かな表情を浮かべながら『いいえ』と小さく首を横に振る。


「本格的に仕事を始める前からです。ダイドーさん、あたしが見学っていう名目でこっちの世界に来てた時に、言葉とか教えてくれたんです。すごく丁寧に。おかげであたしは日本語もちゃんと覚えられて……なんでかこっちの世界にやってきたとたん、ダイドーさんの言っていることもわからなくなって最初はすごく不安だったんですけど。でも、優しく、ゆっくり、説明してくれました。色々……」

《こちらの世界の人間が異世界に行くと、言葉は何故か通じるというのはどこかで聞いたが……異世界の人間がこっちに来た場合には何も通じなくなるのか》

「そうですよ? だから結構大変でした。物覚えはいいほう、のはずなんですけどね。今でもたまに間違えそうになっちゃいます」


 苦笑を滲ませる琴音の表情からは、日本語を覚えるのに本当に苦労したのだろうというのが見て取れた。

 ……そういえば、だが。なぜ私は日本語も難なく理解出来ているのだろうか? 意識が宿るようなことをしたのは異世界の住人だったような気がするのだが。やはり日本で製造されたから、日本語がわかるとか、そんな感じ――いや、違うな。


《制御コンピュータの中には日本語がインプットされているのだから、私は日本語が難なく出来て当然か》

「? どうしたんですか、急に」

《いや、何故私が二言語を難なく使えるのか、その理由を考えていただけだよ。それより、脱線した話をもとに戻そうか。大にどうにかして異世界でバスの外に出てもらう、だったかな》

「そうそう、それですよ。あたしの話じゃなくて!」

《いっそのこと、素直に言ってしまったらどうだろう。琴音が大のことを好きだと告げて、両想いになった上で、自分の故郷も好きになって欲しいと言って連れ出す。成功率は高いと思うぞ》


 私の言葉に、琴音は困ったように顔をしかめた。なんだ? 名案だと思うんだが。


「その作戦には大きな問題があります。あたしとダイドーさんが両想いになれるかどうかが全然わからないってこと!」

《それは問題ないと思う。大は琴音のことを魅力的に思っていることは明らかだし、異世界にいる間、やることがなくなるとよく琴音を見ているし、年齢差を考えて断ってくる可能性は考えられるが、自己主張を強く押していけば必ずや――どうした、琴音。顔が赤いが》


 私の言葉を聞き続けるうちに顔を真っ赤にした琴音は、やがて運転席で膝を抱えるようにして自らの顔を隠す。


「い、いきなり衝撃の事実の連続に心が耐え切れない……!」

《もしかして、私は余計な事実を告げてしまっただろうか……?》

「いや、その、嬉しいんですけどね? でもなんていうかこう……急すぎてっていうか……ていうか押し強めで行けば必ずって言ってもらえるほど落せるんですね……ふーん……へーえ……あ、ちなみになにを見て六道さんはダイドーさんがあたしのこと、魅力的だと思ってるって判断したんですか?」

《よく顔とか胸とかをじーっと見ている。次点は太ももか》

「なるほど。今までたまにしか感じてなかったんですけど、あたし、女として意識されてるんですね、ちゃんと」


 よかった、と琴音はだらしのない笑みを浮かべる。その表情は本当に嬉しそうだ。座席でなんだかもぞもぞされると、触覚はないのだがなんだか私までもぞもぞしてくる。


《私はてっきり琴音は気づいているモノだと……意外と人間同士の心の機微というのは伝わっていないものなのだな》

「そりゃそうですよ。というか、そんなに簡単に心の中が伝わっちゃったら、大変です。誰が好きだとか嫌いだとかで、そのうちなにもかも嫌になってみんな引きこもりになっちゃいますよ?」

《そういうものか》


 機械であるせいか、その辺りのことはよくわからない――と、思ったが、すぐに考え直す。よく考えたら私の中の回路にもわざと電流を流れにくくするパーツがあったりするわけで。

 結局、人間も機械も同じなのだろう。


《人間も機械も複雑怪奇ということかな》

「本当に……って、また話ずれましたね。どうやってバスの外に出てもらうかですよ、異世界で」

《そのことだが、一つ確実な手がある》


 話している最中に思いついたことだ。


「あたしが告白するのはナシですよ?」

《もちろん。もっと簡単かつ短絡的な方法だ。それは――》


 半信半疑だった様子の琴音だったが、すぐに興味深そうな表情で画面に顔を寄せてくる。

 こうしていると、秘密の会話をしているようで面白い。大ともこうして会話を交わしてみたいものだが、私の存在を感じ取れていない大相手にいきなりモニターに字を表示したらおそらくエラーか何かだと思われるのがオチだろう。

 琴音から説明しても、信じてくれるかわからない。異世界に存在する魔術の類を見ると顔をしかめる大のことだ。うさん臭そうな表情をするに違いない。

 しかしそれも、大が異世界に対する拒否感をすこしでも薄れさせれば……あるいは。


《……そうなるといいんだが》

「うん? なにが?」


 おっと。つい画面に心の声が漏れてしまった。

 私は《なんでもない》と文字を表示して、改めて琴音と一緒に作戦を考える。


 琴音とともに、少しだけ、未来に希望を見出しながら。


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