第3話 不死身のホビット、チキトウ・メモン
とりあえず。
お客様がやってきた。
こうなった以上、可能な限りのおもてなしをしなければならない。
暖房とストーブがあるとはいえ、真冬の、しかも深夜のロビーはとにかく冷える。
僕は二階の客室に上がると、当日宿泊用の部屋から毛布を運び出してきた。
毛布を運びながら、チキトウさんがビールをほしがっていたのを思い出した。
まあ、外国では年少者でもビールが飲める国があるらしいから大丈夫だろう。
そう思うことにした。
毛布を二人に手渡すと、僕は宿直室の冷蔵庫から瓶ビールを二本取りだした。
「どうぞ、サービスです」
「おおお!黄金の甘露!これこれ!!!」
差し出されたビールをキチトウさんは喜色満面で受け取り、そのうちの一本をホジスンさんに手渡した。二人ともコップは使わずラッパ飲みだ。
ぐう。
小さなかわいい音が、小さなチキトウさんのお腹から鳴った。
「失礼。二度目の夕食がまだやったとよ」
そう言ってチキトウさんがガハハハと大声で笑い声をあげた。
二度目の夕食?なんだそれ。
だが、僕はお腹を空かしている女の子を放っておくほど非常な人間ではない。
宿直室からありったけのビール瓶を出し、厚めに切ったハムを乗せた皿と共に二人に持っていくと、僕は僕自身のための遅めの夕食を、そして、奇妙なお客さんのための“二度目の夕食”を作ることにした。
キッチンに行って大鍋に水と出汁を入れて湯を沸かす。その間に冷蔵庫から猪肉のブロックを取り出し、薄くスライスする。白菜、ネギ、キノコ、こんにゃくをザクザクと切って肉と一緒に沸騰した出汁の中に入れる。火が通りかけた所で味噌を溶き、さらに煮込むこと暫し。
猪鍋の、完成です。七味を振ってどうぞ。
ロビーの机にコンロと一緒に準備し、二人によそって手渡した。
「おおおう!!!てげうめーがねえええ!!!むほほほ!猪肉やが!!!たまらんわ!!!」
ファーストコンタクトの時の騒がしさが戻ってきた。ひょっとしてお腹が減っていただけなのだろうか。一方、ホジスンさんは黙々と鍋を口に運んでいる。無口な人だ。
それから一時間ほどお互いひたすら飲み食いを続け、遅い晩餐は終わりを告げた。
「僕は洗い物をしてきますから。みなさんはお休み下さい」
「あー。いい
満腹とアルコールでいい気持ちになったと思しきキチトウさんが毛布の中にもぞもぞと潜り込んでいく。ホジスンさんは気絶したままの女性に数枚毛布を掛けると、自分は毛布を肩掛けにし、床に胡坐をかいて座り込んだ。その姿勢のまま寝るのだろうか。
「明り、消しますよ?」
という僕の言葉にホジスンさんがゆっくり頷いたので、僕はロビーの照明を落とした。
適度の酔いと疲れが僕を布団へと後押ししていたが、なんとか踏みとどまって片づけをし、歯磨きと着替えを済ませて寝る準備を整えた。
いったい、何処から、何のために来た人たちなんだろう。
布団に入るとその疑問もあっという間に消え去り、僕は眠りの世界に落ちていった。
翌朝。
珍しく、スマホのアラームで目が覚めた。
五時ちょうど。
普通なら、アラームの五分前には眼が開くはずなのだが、昨日の一件で心身が披露していたのかもしれない。
いや。
昨夜の出来事は現実に起こったことなのだろうか。
布団から出て、しんしんと冷える部屋の空気に身を震わせながら、石油ヒーターのスイッチを入れる。寝間着姿のまま上に厚手のジャンパーを羽織ると、僕は宿直室の外に出た。
フロントに入った僕の目にエレベーターが映った。
ランプは、消えている。
そのままフロントを出てロビーをそっと覗き込んだ。
誰も、いない。
毛布に潜り込んだ小さい女の子も、床に座ったまま寝たはずの大きな女性も、生死不明の謎の女性も、そこにはいなかった。
やっぱり、夢だったのか。
あまりに退屈すぎて、変な夢を見たのだろう。
ほっとしたが、その一方で、ちょっと寂しくもあった。
あんなに忙しく、楽しい夜を過ごしたのは初めてだったからだ。
まあ、夢と言うものはそういうものだろう。
宿直室に帰ってもう一眠りしようとした僕の目に。
オレンジ色の光が入ってきた。
B1のランプが、光っている。
寒さも忘れたままロビーに立ち尽くしたままの僕の目前で、上がってきたエレベーターの扉がゆっくりと開く。
「おはようございます」
エレベーターの中から女性が挨拶してきた。
昨日、床をボーリングの玉のように転がっていった女性だと思ったが、雰囲気が違う。
「本来なら師団本部に転送されるはずなのに……。まさか別世界に繋がってしまうなんて」
絶句したままの僕をほったらかしにして、女性は手にした長い杖であたりかまわずコンコンと小突きながら、ぶつぶつと呟いている。
よくよく見ると、たいへんな美人だ。並んでみると、身長は僕と同じくらい。年齢は二十代半ばだろうか。東欧系のほりの深い顔立ちで、美しい亜麻色の髪をおさげに結んでいる。丸メガネの奥のとび色の瞳はすべてを見通すかのように深く輝いていた。服装は昨夜の女性たちとほぼ同じだが、彼女はスカートをはいており、厚手のローブを羽織っている。
「妹ったら外界に扉を開いた最初の変換師になったかも」
「へんかんし……?」
女性の独り言の中に出てきたフレーズが何故か耳に残った。
「聞きなれない言葉で当然です。私とあなたは住んでいる世界が違うのですから」
はあ。としか言いようが無い。
「ここにあって当然のものが私たちの世界にはなく、その逆も然りなのです。例えば、ほら」
女性が手にした杖を両手でしっかり持ち直したかと思うと、ロビーの床に強く打ちつけた。
思わず、僕は眼を閉じた。
数百、いや、数千台のカメラでフラッシュをたかれたかのような閃光が目の前で炸裂したからだ。
まばゆい白光を感じながら、恐る恐る目を開けた僕の目は、直後に大きく見開かれた。
ロビーの床に、光り輝く地図が浮かび上がっている。
まるでCGのようだが、当然、このホテルにそんな機能はない。
だとしたら……。
僕は目の前の女性に問いかけた。
「これ、魔法か何かですか?」
「魔法、というより技術、ですかね。もちろん、私の世界にも魔法はあるんですが、私たちが身に着けているのは変換という技術です」
「変換、ですか?」
「詳しい説明は省きます。簡単に言えば、記号を操作するという技術です。今、床の表面のほんの一部を地図に変換しました」
記号?
なんだそれ?
「世界の万物は“意味するもの”と“意味されるもの”という二つの概念から成り立っています。この二つの結合は必然ではなく、偶然によって成立しているのです。私たちは特異な技術によってその結合を解除し、再結合させることができます。それが変換師です。物に限らず、空間、言語といったものを私たちは変換できます。だから、私はこうしてあなたとお話しできるんです。私たちの主な仕事は空間を変換して別の場所と直結させ、迷宮内の移動のサポートをすることですが、偶然、妹の術式でこちらの世界とつなげてしまったようですね」
人外の知識と技術を持った人が、別の世界からやってきた。
コスプレ集団じゃ、なかったんだ。
呆然とする僕の足元の地図が拡大を始める。
地図の中心にある大陸が、大きく足元に映し出された。
「この大陸の地下にある大迷宮に私たちは潜入しています。迷宮の大きさはこの大陸と同じ大きさ。深さは計り知れません」
「あの、そこでいったいみなさんは何をしているんですか?」
「一言とで言えば討伐。二言で言えば国同士の威信をかけた調査と開拓、と言ったところでしょうか」
素朴な疑問が口から出たが、女性は厭な顔一つせずそう答えた。
とりあえず、立ち話もなんなので、僕はロビーの椅子に女性を座らせることにした。よく見ると、椅子の後ろに丁寧に畳まれた毛布が積み重ねられている。僕が起きるより前にチキトウさんたちは出立したのだろう。
一旦、宿直室に戻り電気ポットのお湯でインスタントコーヒーを淹れて女性に差し出した。流石に向こうの世界にもコーヒーはあったのか、女性はお礼を言いながらコーヒーを口に含んだ。
「ご挨拶が遅れましたね。私はイチオ。ブノ皇国第五師団チキトウ大隊所属の主席変換師をしています。昨日、こちらにお邪魔した騒々しい子は双子の妹、ヤチ。同大隊の次席変換師です」
「大隊?そういれば、昨日、妹さんが隊長って……」
「如何にも。第五師団長ニワ侯爵の懐刀にして大剃刀、“小さな龍殺し”の異名を持つ不死身のホビット、チキトウ・メモン。彼女が私たちの長です。大隊は名称で実際は少人数ですけどね」
ホビット?
そういう生物(?)ならゲームで聞いたことがある。
「その……師団とか大隊とかよくわかりませんが、皆さんはいったい何を討伐してるんですか?」
「単眼の魔人。嘗て邪神の門番でありながら、今や全種族共通の敵となった冥府からの報復者です」
イチオさんが杖で床を一突きした。床一面に広がっていた地図がたたみ一畳ほどの大きさに縮小されたかと思うと、イチオさんの背後に移動する。まるで黒板のようだ。
「簡潔にまとめます。私たちの世界の中央大陸ラガ・キセハは天地創造の聖地として未開の大陸とされてきました。太古の昔、虚空と虚無を支配していた古き神々は天地を造った新しき神々によって世界を追われ、最初に生み出された大陸ラガの地下深くに逃げ込みました。若き神々は二度と古き支配者たちが出てこられぬように大陸の地下全土に及ぶ広大な迷宮を造りだし、その番人として単眼の魔人たちを放ったのです。しかし、今から百年前、その単眼の魔人たちが突然ラガの地上に現れ、海を渡って周辺大陸にある国家、其処に住まう様々な種族を無秩序に侵略し始めました。そのため、それまでバラバラだった八つの国々、十二の種族は魔人討伐という目的の下に歴史上初めて大同盟を締結し、神聖なる魔窟、ラガ大陸の地下迷宮に挑むことになったのです。まあ、現実はそれぞれの国が独自の思惑と計画で動いているんですけどね」
イチオさんはここまで話すと、コーヒーを口に含んだ。
辺りは日が昇り始め、眩い光がロビーに差し込んでいる。底冷えのするロビーの中で僕はまるで物語の世界のような話を聞いていた。
「さて。私がわざわざここまで来たのには理由があります。チキトウ隊長から昨晩の宿代をあずかってきました。これをお納めください」
そう言いながら、イチオさんが懐から取り出したのは僕の両手に収まりそうなくらいの大きさの、鈍く金色に輝く鷲の置物だった。
「心遣いはありがたいのですが……これをそのまま受け取るのはちょっと困ります」
「心得ています。だから、変換師の私が来たんです」
こともなげに言うと、イチオさんは鷲の像をロビーの机の上に置いた。
「この鷲の彫像をあなたの世界の貨幣に変換します。それなら申し分ないでしょう?」
「そ、そういうことでしたら」
僕の答えに頷くと、イチオさんが何やらぶつぶつと口の中で呟き始めた。僕には何を言っているのかまったく理解できないが、イチオさんの持っている杖に、ひとつ、またひとつとまるで波紋のように金色の光の輪が広がっていくことだけは見て取れた。
「変換の準備が整いました。硬貨にしますか?紙幣にしますか?」
「え?ええ、と。じゃあ、硬貨で」
「いちばん、大きい金額でよろしいですか?」
「それでお願いします」
僕の答えを受けて、イチオさんが杖で像を小突いた。
床を突いた時と同じように、閃光が像から発せられる。像の輪郭が光の中で消失した。
かと思うと、突然、光の塊が巨大化し、あっという間に天井まで達してしまった。
思わず口を開けて見上げた僕の目の前で、光の山が実体化する。
五百円玉のバベルの塔が、そこにはあった。
僕が何か言葉を発するよりも前に、巨塔は揺らぎ、倒壊しはじめる。
逃げる間もなく、僕は五百円玉のシャワーを盛大に浴びることになった。
もちろん、イチオさんも。
金属が弾ける物凄い音がロビー中に響き渡り、それが残響となって消えてから、ようやく僕は眼を開けた。
床中に、五百円玉が散らばっている。
「とりあえず、拾いましょうか?」
顔色一つ変えず申しでたイチオさんに、僕は黙って首を縦に振った。
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