第2話 地下からのお客様
僕が祖母からこの三階建の古いホテルを継いだのは、今から二年前のことだった。
大学卒業後、地元の企業に勤めていた冴えない僕が、何故脱サラなどしてホテルのオーナーになったのか。
それは僕自身にもわからない。だが、腰を痛めた祖母がホテルを廃業すると言っていることを聞いた僕はその日のうちに祖母に電話をしてホテルを継ぐ旨を伝え、翌日には会社に辞表を出していた。
住み慣れた市街地を離れ、この地に住み着いて約二年。ようやくここでの生活も慣れてきた。目下の収入源はホテルの収益、であるはずもなく、地元で採れる山菜やキノコの通信販売である。祖母から教わった秘密の場所があり、そこで採れる山菜やキノコがかなりレアな価格で取引されるのだ。もちろん、おかしなクスリの類ではない。念のため。
食糧についてはまるで困らない。子福者だった祖母には七人の子がいた。つまり、僕には六人の叔父叔母がおり、全員農家や畜産をしている。僕がホテルを継ぐことを親戚一同は諸手を挙げて賛同してくれた。やはり、誰もがこのホテルを残したかったのだ。その感謝の証として、親戚たちが毎月山ほど食材を送ってくれる。食べきるのに苦労するくらいだ。
水については枯れかけているとはいえ温泉や湧水が出るのでこちらも心配ない。
目下の悩みはガス代と電気代、そして、税金関係だ。光熱費は極力節約し、税金等については親族が何割かカンパしてくれているものの、果たしてどこまで続くか、わからない。
肝心のホテルの利用客は、まことにもって微々たるものである。
最長で五十五日客が来なかった時もあったが、それでも物好きはいるもので、通常だと月に二人か三人は客が来る。だが、それ以上の客足は望めないだろう。
今更ながら、思い返す。
ここは本当にホテルなのだろうか。
祖母からホテルという建物を受け継いだだけで、僕はホテルを経営していると言えるのだろうか。
一月十九日。冬の大雪の日の夜。
石油ストーブで体を温めながら、僕はこれまでのホテルオーナーとしての生活をフロントの椅子の中で振り返っていた。時計は夜の九時を大きく回っている。
ふと、エレベーターに目が行った。エレベーターはこのホテルの最大の金食い虫である。電気代がもったいないので客の予約が無い時は電源を落としているし、周囲の電気も消している。薄暗い景色はまるでホラー映画の一幕のようで最初は不気味だったが、流石にこの光景にも、もう慣れた。
はずだった。
僕は思わず目を疑った。
エレベーターのランプが点いている。
地下室を示すB1というオレンジ色の明かりが暗闇の中にぼんやりと灯っていた。
言い忘れていたが、このホテルには何故か地下室がある。現在は物置に使っているが、何のために地下室なんて作ったのか、わからない。
それはともかく、エレベーターの電源だ。何かの契機に消し忘れたのだろうが、電源は三階にある。この寒くて暗い中を三階まで登らなければいけないのか。うんざりしながらフロントから出ようとした僕の足が、止まった。
B1のランプが、点滅していた。
なんだ?こんな現象は初めてだ。
ひょっとしたら、故障だろうか?
僕がそう思った時だった。
ごおおおおおおおうぅぅぅぅぅん。
地鳴りのような響きを上げながら、エレベーターが可動しはじめた。
何故、動く?
誰が、ボタンを押したんだ?
誰が、乗っているんだ?
呆然とする僕の目の前で、エレベーターのランプがB1から1Fに変わった。
りーん。
エレベーターが一階に、そして、僕の目前に着いたことをベルの音が告げた。
ゆっくりと、ドアが開く。
エレベーター内の照明が暗いロビーを明るく照らし出した。
その白い光をバックにして、二つの影が立っていた。
ひとつの影はひどく背が高い。いや、高いというより大きい。エレベーターの天井に頭が、エレベーターの壁の両端に肩幅が付きそうな堂々過ぎる体躯だ。しかも、よく見るとちょっと腰をかがめている。背筋を伸ばせば、エレベーターから頭も四肢も突き出してしまうだろう。
その巨大な陰の傍ら、いや、膝元にもう一つのちいさな影があった。
その小学生ぐらいの大きさの影が、ずい、とエレベーターから歩み出てきた。
女の子だ。
小さな女の子が、フロントの照明の中にまかり出た。
見た所、外国人と思しき顔立ちで何とも可愛らしく、流れるようにしなやかな白銀色の長い巻き毛を藍色のリボンで無造作に束ねている。
斯様なまでに姿形は非常に愛らしいが、恰好が変だ。
ごつごつした革製の衣服の上に鈍く光る灰色の甲冑を付けている。
衣服同様分厚い革製の手袋に包まれた両手は腰にあてがわれ、その右手側には小さな剣が二本下がっていた。
コスプレか?
最初に思った感想はそれだった。
ひょっとしたらコスプレサークルがこの辺で撮影会でもしているうちに迷い込んだのだろうか?
だが、こんな夜中に?
それも、どうやって地下室に潜り込んだのだろう?
疑問が次々と浮かんでは消えたが、こうして突っ立っているわけにもいかない。とりあえず声をかけてみようと僕が口を動かしかけた時だった。
「ホオオオウゥズィスウウウウウウウンッ!!!此処は何処ね!!!」
空気がびりびりと激しく振動するような凄まじい怒声と衝撃がロビーの中で炸裂した。
震源地は、目の前の小さな少女だ。
小さい姿からは想像がつかない、巨人のような声である。
ふと、その背後にいつの間にか巨大な姿があった。
やはり、大きい。完全に二メートルは超えている。服装は少女とほぼ同じだが肌の露出がやや大きい。その肌の色は青黒く、ストレートの黒髪を後ろで一つにまとめている。筋骨隆々とした身体だが、整った顔立ちや体のラインから女性だとわかった。その巨女は腰をこれ以上ないくらい極限の低さまでかがめると、小さな少女の耳元でぼそぼそと何事かを呟いた。どうやら彼女がそのホズ何某とかいう人らしい。
「うーん!?転送呪法の誤作動!?で、此処はどこやと!?座標軸がないからわからん!?マジね!?
「こ、此処はホテルです。ぼ、僕はこのホテルの支配人兼従業員、です」
声でハードパンチの連撃をくらっているかのような錯覚にクラクラしながら、僕はようやく声を出した。
「ホテルね!?旅籠やがね!?これはいいわ!ホジスン!一休みせんね!!!」
言うが早いか、少女はロビーにあった椅子にどっかりと腰を下ろして足を延ばした。
思わず、僕の目が点になった。
裸足だ。
何処かで靴を失くしたのだろうか。
その向かいの椅子にちょこんとあの大きな女性が座る。あの奇妙な叫びの意味はホジスンという名前だったのか。今頃、わかった。
「あー。何か喉乾いた。支配人の兄さん、ビールは置いとらんとね?」
「え。あ、はい。其処の自販機で硬貨を入れれば買えますが」
「ジ・ハ・ン・キ?なんね、それ。ん?そのブリキの筒が中に並んでいる白い箱のこと?」
……大丈夫か、この子。
見た所、明らかに西欧人な子だけど、ヨーロッパに自販機も無いような田舎街がまだあるんだろうか。
一方、少女はもの珍しそうに自販機を眺めたり、つついたりしている。
「硬貨、か。兄さん、こっちに来てビールを出してくれんね。悪いけど、使い方がわからんとよ」
そう言うと、少女は一枚の硬貨を取り出して僕に手渡した。
思わず、僕の手が抜けそうになった。
重い。
なんだこれ!?
「金貨一枚で飲み放題。悪くないやろ?」
そう言って、少女はにっかりと微笑んだ。
金貨!?これ、本物の金貨なのか!?
「この硬貨は使えません。日本の硬貨は持っていませんか?」
「ニ・ホ・ン!?なんね、それは」
「国の名前です。日本国」
「クニ?そんな国は聞いたことがない。ホジスン!知っちょるね!?」
ホジスンさんは、無言でふるふると首を横に振った。
……本当に、この子、大丈夫か?
日本が何処にあるか知らなくても国名ぐらいは知っているはずだ。
何よりも。
目の前の少女は“日本語”を喋ってるじゃないか。
ちょっと訛りが入った方言のようだが、彼女が話しているのは間違いなく日本語である。
僕は警察に電話をかけたらどれくらいの時間で来てくれるかどうか、考え始めていた。
それと同時に、“お金”というリアルな概念が僕の頭を幾分かクリアにしてくれていた。
ようやく、此処がホテルで、自分が支配人だということを思い出したのだ。
「あ、あのー。お客様がたはご宿泊をご希望ですか?」
「うん」
こくり、と少女が頷く。
「あ、あ、あのー、それで。お金の方は?」
「これ。金貨が使えん国が何処にあると?明日、街で同じ重さの金と交換すればいいがね?」
言葉に詰まってしまった。端から話が通じない。僕は電話口に出た警官にどう事態を説明すればいいかを模索し始めていた。
おろおろする僕の目の前で、少女が体に見合った小さな息を短く漏らした。
「ま、いいわ。無理は言わんよ。邪魔したな。ホジスン!帰るよ!」
ぬっと腰を上げたホジスンさんと一緒に少女がエレベーターの方に向かっていく。
何故か、焦った。このまま帰らせるのは、いけないような気がしてきた。
「元から来た所から帰るのが正解やがね!ほんじゃ……」
「あ、あ、あ、あ、あ、あの!」
自分でもびっくりするくらい、大きな声が出た。少女とホジスンさんが振り返る。
「部屋にお泊めすることはできませんが……ロビーでお休みになられるのでしたら御代は勉強させていただきます!」
少女とホジスンさんが、かなりの高低差を経て目を交わす。
その時だった。
エレベーターのB1が再び点灯し始めた。
轟音と共に、階下からエレベーターが上がってくる。
今度は、何だ!?
思わず身構えた僕の前で、エレベーターの扉が開いた。
「た、た、た、隊長!チキトウ隊長!」
エレベーターの中から女性がロケットのように飛んできたかと思うと、小さな少女に抱き着いた。……と思ったら、さらりと身をかわされ大車輪のようにロビーの床を転がったのもつかの間、柱に痛烈に激突した。
曇った悲鳴を一つだけあげると、女性はそのまま動かなくなった。
呆れたような笑顔を見せながら、チキトウと呼ばれた少女が僕の前に立ち、一礼した。
「先ほどの申し出、ありがたく受け取らせていただきます」
さっきまでの変な方言とは違い、完璧な普通語のイントネーションでそう言うと、少女はロビーの椅子に再び腰を下ろした。ホジスンさんは先ほど現れた女性を左手で抱き起すと右手の方でロビーの椅子を並べ、そこに横たえてから自分も元の椅子に座りなおした。
こうして。
何とも奇妙なお客様方を僕は泊めることになった。
警察への電話のことは、頭から消え去っていた。
何故彼女たちを泊める気になったのか。このホテルを継いだ理由と同様、僕にはわからなかった。
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