71 拳で語る

「様子がおかしい」

 ブライスがタケルに相談したのは、ルーフレッドのことだった。同じ部屋で過ごしているのだから、タケルにもルーフレッドが沈んでいることは判っていた。

「たぶん、あのニュースが原因」

 ブライスが指摘したのは、ナリュー星系のニュースだ。そこでタケルは初めて、ルーフレッドがナリュー星系出身であり、貴族に対して強い憎悪を抱いていることを知った。ナリュー星系といえば、太陽系からトワ星系へ向かう際に、足止めを喰った場所だ。あの高慢な領主の顔がタケルの脳裏に浮かんだ。

 あの時、《ミーバ・ナゴス》を足止めしたことから、領主グース・エークリアス侯爵ローアンが皇女暗殺計画に関与していたのではないかという疑念が生まれ、帝国軍情報部などが総力を挙げて調査を行ったのだという。その結果、皇女暗殺への直接的な関与は認められなかったものの、星系内における傍若無人な悪政が暴かれることとなり、グース・エークリアス侯爵ローアンに連なるエークリアス家の人間やナリュー星系軍首脳部、ナリュー星系政府首脳など、利権にまみれ私欲を満たしていた者たちが次々と逮捕された。一部では、武力で反抗しようとしたものもいたが、内部からの反乱によって悲惨な最期を遂げたという。

 エークリアス家は自業自得だが、トワ帝国皇帝は事態を重く受け止め、全帝国民に対しエークリアスの悪政を見逃していたことを謝罪し、他星系でも同様の事例がないか徹底的に調査することを宣言した。一方、これまで弾圧を受けてきたナリュー星系人に対しては、過酷な環境から救済するとともに、手厚い補償が行われることとなった。過去現在を問わず、ナリュー星系に籍があった者に関しては、本人の希望に沿う形での補償がなされる。ただし、犯罪的圧政に関与していなければ、という条件は付くが。

 ルーフレッドも、当然補償の対象になっている。本人が望めばナリュー星系に戻って、希望する職に就くこともできるだろう。しかし、彼女は報せを受け取って以来、ずっと落ち込んだままだ。ブライスは、「目標がなくなったからだ」という。目標、つまりエークリアス侯爵ローアン一族への復讐だ。復讐なんて無益、無駄なこと、諦められてよかったではないか、というのは第三者の勝手な考えだ。たとえ他人から無益に見えたとしても、当事者にとって、それが生きる目的、生きる支えなのだ。復讐することだけを支えに生きてきた者にとって、復讐する相手がいなくなってしまえば、それは生きる意味をなくすことと同義だ。

 正直に言えば、タケルも復讐だけが目的という生き方を肯定的に見ることはできない。だが、そうした生き方があることは理解できる。どうしたものか、と二人は頭を捻った。このままでは、ルーフレッドはドロップアウトしてしまうかも知れない。


                ◇


 その日の夜、戦闘指揮に関する講座が終わった後、タケルとブライスはルーフレッドを訓練場に誘った。彼女は「あぁ」と小さく頷いただけで、二人に従って練習場に足を運んだ。身体全体からどうでもいい、というような無気力感が溢れていた。そんなフーフレッドを立ち直らせたいという二人の考えに賛同した教官は、二つ返事で訓練場の使用許可を与えた。練習場には、今、三人だけだ。


「で、何?」

 めんどくさそうなルーフレッドに対し、タケルは「模擬戦やろうか」と明るく語りかけた。「戦いたかったんだろう?ボクと」

「今更何の意味があんのよ……」

「じゃぁ、ボクの不戦勝ってことで」

「……チッ。面倒な奴……いいわ、相手してあげる。怪我しても知らないからね」

二人は、広い訓練場の中央で対峙した。

「二人ともいい?じゃぁ……はじめ!」


 タケルとブライスの結論は、ルーの得意分野である戦いを仕掛け、彼女の心に再び火を付けるというものだった。これで彼女が立ち直る確信はなく、行き当たりばったり、出たとこ勝負の無謀な計画であった。


 先に仕掛けたのは、タケルだった。

 合図と同時にルーフレッドに向けてダッシュ、そのままの勢いで右腕からストレートを叩き込む。いかに無気力なルーフレッドとは言え、そんなあからさまな攻撃が当たる訳がない。最小限の動きでタケルの攻撃を避ける。が、反撃はしない。初撃を躱されたタケルは、無理矢理身体を捻りながら左でルーフレッドの脇腹を狙う。しかし、これも当たらない。

「は?そんなもの?」

 バックステップでタケルから距離をとったルーフレッドが、期待外れだと言わんばかりに呟く。

「無気力なルーになら通用するかと思ったが、さすがに甘くないか」

 タケルも負けじとルーフレッドを挑発する。タケルは円を描くように、ルーフレッドの右に回り込みながら隙を伺う。が、彼女は自然に立ったままだ。相変わらず、その表情に覇気はない。

「エークリアスに復讐できなくて、残念だったね」

 ルーフレッドの眉がピクリと動いたことを、タケルは見逃さなかった。

「いいじゃない?君の代わりに皇帝陛下が罰を下されたんだから」

「……あ?」

 彼女の瞳に怒りの炎が小さく点った。

「アンタに何がわかる?」

「わかんないよっ!っと」

 死角からタックルを仕掛けたタケルに対し、ルーフレッドは身体の向きを変えて正面から受け止めた。そのまま倒れ込むか、と見えた瞬間、タケルの首に激痛が走る。しなりを効かせたルーフレッドの打撃だ。

「げはっ!」

 息を吐き出し、その場に膝を付くタケル。人型種族ミバ・ターンの背面には、弱点は少ないと言われているが、ルーフレッドの一撃は、その数少ない弱点のひとつ、神経の集中する脊髄への的確な攻撃だった。

 ルーフレッドは、抱えられた体勢からタケルの顔面に向けて膝蹴りを放つ。躊躇も容赦もない攻撃だ。

「ぬぉぉっ!」

 タケルは彼女の膝が当たる前に、彼女の身体を持ち上げた。そのまま後ろに倒れ込む。ルーフレッドは、タケルの肩を掴んだ両手を梃子にして、空中で身体を回転させることでタケルの腕を振り払った。再び、彼我の距離を取る。

「これだけの実力があるなら、他に生きる道はあるだろうに」

 呼吸を整えながら、立ち上がるタケル。一方のルーフレッドも、身体を動かしながらダメージを確認している。

「余計なお世話だ」

「だね。余計なお世話だ。でもさ、これも何かの縁だと思うんだよね」

 二人は互いに間合いを計りながら、ゆっくりと横に移動する。

「知ったことか!人の人生に首を突っ込んでくんな!こっちにゃ、こっちの事情があんだよ!」

「悪いね、性分なんだ」

「この、お節介野郎!」

 今度はルーフレッドが、低い姿勢でタケルに突っ込んできた。突っ込んでくる身体を受け止めようとしたタケルの目の前で、彼女の身体は消える。直線運動からのサイドステップ。恐ろしい程の敏捷性を持つルーフレッドならではの動きだ。しかし、タケルもその動きを呼んでいた。彼女が視界から消えた瞬間、左のガードを上げる。その腕に衝撃が走る。ルーフレッドの蹴りがタケルの頭部を狙ったのだ。


「良く読んだね」

「ギリギリだよ」

「このままアタシに構わないと約束するなら、ここで終わりにしてやってもいいよ」

「それは、飲めないなぁ」

 左腕でルーフレッドの右脚を止めた状態のまま、訓練場の片隅に立つブライスにちらりと視線を投げるタケル。

「じゃぁ、覚悟しな!」

 ルーフレッドは、右脚を曲げると共に左膝をタケルの顔面目がけて繰り出した。タケルの後頭部は、ルーフレッドの右脚甲ががっしりと押さえつける形になり、逃げ場がない。

 ガン!

 ルーフレッドの左膝が、タケルのクロスした両腕に当たる。その反動を利用して、ルーフレッドは身を翻した。

「なんだい、アンタの左腕。義手かい?」

「いや、生身……とも言えないか。森の加護だよ」

「ふざけたことを」

 実際、左腕に絡まった緑光丸がなければ、左腕は折れていたかも知れない。右腕には、しびれが広がっている。

「まぁ、ボクも倒せないようじゃ、どのみち復讐なんて叶わなかったよね」

「なんだとっ!」

「ボクや君よりも、もっと強い人がこの世にはいるってことさ。そんな人が敵側にいたとしたら、復讐を果たす前にたたきのめされていたんじゃないかってこと」

「……だまれよ」

 ルーフレッドの足が止まる。それに会わせて、タケルも足を止める。

「弱いまま向かっていかなくて良かったじゃないか」

「だまれ!」

 ルーフレッドが腰を屈めたと思った瞬間、その身体はタケルの目の前にあった。タケルの首にすさまじい圧力が掛かる。ラリアットだ、と思った時には、すでに身体は床に叩きつけられていた。タケルの首には、ルーフレッドの脚が巻き付いていた。ギューを失神させた技と同じだ。

「アタシは――弱くないっ!」

 グイグイと締め付けてくるルーフレッド。タケルは必死に抜け出そうともがく。が、脚は外れない。タケルが意識を失い掛けた時、彼の左手からルーフレッドの顔面に向けて、何かが飛び出した。とっさに避けるルーフレッドだが、タケルの首をロックしていた脚は外れてしまった。すばやく立ち上がり、構えを採るルーフレッドに対し、タケルは喉を右手で押さえながらゆっくりと立ち上がった。彼の左手からは、棒のようなものが飛び出していた。緑光丸が、主人の危機に反応しルーフレッドに仕掛けてしまったのだ。

「なによ、ソレ」

「だから……ゲホ……森の、加護だってば……」

 ゼイゼイと粗い息をつきながら、タケルは説明する。その間に、緑光丸は元の位置にスルスルと戻ってしまった。

「やっかいなもん、仕込んでいるのね」

 そう言いながら、ルーフレッドは体勢を崩さない。

「いやいや、ボクの負けだよ。素手の模擬戦で武器使っちゃったから」

 こうして、タケル対ルーフレッドの模擬戦は終わった。タケルは負けたが、当初の目的である落ち込んだルーフレッドの気持ちを盛り上げるという目的は果たせたようだ。


「身体動かしたら、なんか気分が良くなったわー」

 いつもと変わらない様子で、ルーフレッドが大きく伸びをした。

「私の心配を返せ」とブライス。

「まぁ、良かったじゃないか。元気になって」とタケル。

 ニカッ!と満面も笑みを浮かべたルーフレッドは、タケルの肩をポンと叩くと、彼の瞳をじっと見つめながらゆっくりと語りかけた。

「アンタ、アタシより強い人、知ってるでしょ」

 ここで「知らない」という選択肢はタケルに与えられていなかった。

「素手で君に敵う人は思いつかないけれど、武器――剣を持たせれば、君を圧倒できる人を知っているよ」

 タケルの脳裏には、燃えるような赤い髪をした騎士の姿が浮かんでいた。

「じゃぁ、いつかそいつと会わせろ」

 やはりタケルに拒否権はない。「いいよ」というタケルの答えに満足したのか、ルーフレッドは笑いながら立ち去っていった。

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