70 近接戦闘の達人

 トワ帝国は、広大である。

 《識章》システムの恩恵により、貧困や犯罪率も低い……が、皆無ということでもない。特に辺境、つまり主星系から経由する《ゲート》の数が多い星系では、領主の権限が強い傾向があり、領主の善し悪しによって帝国民の生活も変わってくる。その点から言えば、ルーフレッドが生まれ育ったナリュー星系は最悪の部類入った。ナリュー星系を統治するエークリアス家とその取り巻きである貴族が、星系内では我が物顔で振るまい、贅沢の限りを尽くしていた。また、密かに星系軍の軍備増強に励んでいたため、若者は資質の如何に関わらず強制的に徴兵されていた。ルーフレッドも徴兵されたひとりだった。その時、彼女はわずか10歳。特定の住居を持たぬ者たちを捕まえて強制的に徴兵する“宿無し狩り”にあったのだ。

一人の兵士を育成するよりも、ロボットなどの機械に戦わせる方が長期的なコストは安くなる。したがって、トワ帝国軍は徴兵制をとっていない。しかし、ナリュー星系領主エークリアス侯爵ローアンは違った。いつあるか判らない戦争に備えて兵器を死蔵しておくよりも、いくらでもいる人間という資源を徴用し、戦争がないときには労働させ、いざ戦争が始まれば弾よけに使う。その方が安上がりだと考えたのだ。非常に短絡的で危険な考えだが、周囲の人間にそれを忠告する者はいなかった。


 10歳のルーフレッドにとって、そこは地獄だった。資源採掘小惑星。番号でしか呼ばれないその小さな小惑星では、ルーフレッドの他に十数人の男女が働かされていた。週に一度、資源回収船が訪れて、発掘量に応じた食料や空気、日用必需品を置いていく。生き残るためには、できるだけ多くの資源を採掘しなければならない。

 ルーフレッドにとって幸運だったのは、同じ小惑星にベナスという老兵がいたことだ。彼はナリュー星系軍でも上位にいたが、ある時部下の不正を暴いたことが、彼の運命を大きく変えてしまった。その部下はエークリアス家に近い貴族の三男坊であったため、エークリアス侯爵ローアンの不興を買い、降格させられたうえに資源採掘小惑星に送られたのだった。

 ベナスは自分自身の不幸を嘆くことなく、小惑星へと送られてきた者たちをひとりでも多く生き残るよう育てようとした。ルーフレッドは、そうした中のひとりだった。そして幸いなことに、彼女には才能があった。ベナスは彼女が生き残るため、自分のすべてを教え込んだ。ルーフレッドは15歳になるまでに、師匠すら超える近接戦闘の達人になっていた。


 そんな彼女に転機が訪れたのは、彼女が17歳になったばかりの時だ。ナリュー星系と隣接するバルゥ星系との間で、紛争が起きたのだ。バルゥ星系からナリュー星系へとジャンプしてきた輸送船が、《ゲート》通過直後に起こした事故がきっかけだったが、双方の星系が相手側を非難し、やがて《ゲート》を挟んで一瞬即発の事態となった。エークリアス侯爵ローアンは、星系内の軍人を招集してバルゥ星系への侵攻を準備した。招集された中に、ルーフレッドは潜り込むことができた。

 あわや星間戦争勃発か、というギリギリのタイミングで、皇帝直轄のトワ星系軍が介入し、双方の仲裁を行った。ルーフレッドは警備兵として帝国軍艦に乗り込み、そこでナリュー星系軍からトワ帝国軍への移転を上申した。ベナスから教えて貰ったこの方法は、ある意味裏技的なもので、ナリュー星系軍からすれば違反すれすれだが、上申自体は正規の方法であったため、ナリュー星系軍としても文句を言うことができなかった。こうして彼女は、ナリュー星系から抜け出すことができた。必ず侯爵ローアンを倒す力を付けて戻ってくると心に誓いながら。


                ◇


 ルーフレッドとギューの模擬戦と聞いて、教練生のほとんどが驚いた。ルーフレッドとギューでは、あまりにも体格差があり過ぎるため、対戦することはないだろうと思われていたのだ。しかし、試験教官はルーフレッドの素養を認め、彼女自らが申し出たギューとの模擬戦を認めたのだった。

 模擬戦の相手がルーフレッドであると聞いたギューは、「誰が相手でもぶっつぶすだけだ」と呟いたという。


 開始の合図と共に、ギューが飛び出した。豪腕が、うなりを上げてルーフレッドに襲いかかる。対するルーフレッドは、脚を肩幅ほどに開き膝を軽く曲げた状態。身体のどこにも力が入っていない自然体に見えた。しかし、ギューが繰り出す黒い暴風がルーフレッドの身体に触れるかどうかの刹那、ルーフレッドの姿が消えた。

 全員がルーフレッドの姿を見失った一瞬ののち、彼女はギューが振り下ろした左腕とは逆の右脇腹、筋肉の防壁が伸びきって薄くなった場所に蹴りを入れていた。

「がっ!」

 ギューが叫びを漏らす。それはダメージを受けてではなく、予想外の攻撃に驚いたのだろうと、誰もが思った。その証拠に、ギューは間髪を置かず、別の腕でルーフレッドの身体をなぎ払おうとした。しかし、すでに彼女はそこにいなかった。今度は左膝関節の裏に一撃を加えていた。ギューは、バランスを崩したが、そのまま勢いを付けて前転し、ルーフレッドから距離をとった。あそこで踏ん張っても、さらに別の攻撃が来ると感じ、反射的に逃げたのだ。

「へぇ」

 負けず嫌いというギューの性格なら、バランスを少し崩したくらいでは動こうとはせず、三度攻撃を仕掛けてくると考えていたルーフレッドは、意外なギューの行動に感心した。

「じゃ、今度はこっちから」

 言い終わらないうちに、ルーフレッドはギューに向かって突進した。向かってくる彼女に対し、二本の腕で攻撃を仕掛けるギュー。残りの二本は、背後からの攻撃を警戒して後頭部をガードしている。

 左右からの攻撃に怯むことなく、ルーフレッドは突き進む。そして、ギューの拳が当たる瞬間、再びギューの視界から消えた。見守る人々の中で彼女の動きを予測していた幾人かは、ルーフレッドがギューの腕が生み出す死角に潜り込み、スライディングの様に床を滑って背後に廻るところを見た。

 ルーフレッドは突進のスピードを殺さないよう、ギューの脚に腕を引っかけ回り込むと同時に床を軽く蹴った。彼女の身体が弾丸のように空中に飛び出すと、身体を丸くする。くるくると回りながらギューの頭上を越え、そして落下する勢いを利用してギューの脳天に攻撃した。かかと落とし――。

 訓練場の時間が止まった。ごん、という鈍い音は、後から響いてきた。そしてゆっくりと、ゆっくりとギューの巨体が前方へと倒れていく。

 ドン!と床が鳴った。ギューは倒れる寸前で二本の腕を床につき、かろうじてダウンを避けた。そして、残る二本の腕を振り回した。

「グハッ!」

 気配だけを頼りに振り回した腕の一本が、まだ空中にいたルーフレッドに直撃した。脚と肘でガードをしたが、ギューの力は彼女を吹っ飛ばすに十分だった。華奢なルーフレッドの身体は宙を舞い、床に叩きつけられる。殴られた勢いは止まらず、彼女の身体はゴロゴロと床を転がり、しばらくして止まった。

 はぁっ、と誰かが息を漏らした。これで勝負がついたのか?いや、まだギューも立ち上がっていない。審判役の教官が、動こうとした時、ルーフレッドがゆっくりと立ち上がった。先ほどまでの少し余裕を見せていた姿とは異なり、鬼気迫るものがあった。同じ教練生の中で密かなファンもいるルーフレッドだが、今や全身から黒いオーラが放たれているかのようにも見えた。何より恐ろしいのは、その表情だ。彼女は、笑っていたのだ。天真爛漫な笑顔ではない。捕食者が瀕死の獲物を前にして見せる笑いだ。彼女は笑ったまま、ゆっくりとギューに近づく。ギューは、四本の腕を使って立ち上がろうとしていた。しきりに頭を振っているのは、攻撃によるダメージから回復していないからだろう。近づいてくる対戦相手に、ギューはまるで気が付かない。

 ルーフレッドは、何気ない動作でひょいとギューの背中に乗った。そして、両足を彼の首に回すと、一気に締め上げた。

「がはっ!」

 ギューが、首に近い二本の腕を使ってルーフレッドを引きはがそうとするが、彼女は近づく腕を時に払い、時にねじ上げる。その間も脚の力は緩めない。ギューの攻撃が徐々に弱々しくなり、そして――ギューは意識を失い床に倒れた。

 その衝撃で我に返った教官が、慌てて二人に近づく。続いてブライスが飛び出した。タケルもそれに続く。

「ルーフレッド教練生!もう終了だ!話しなさい!」

 教官が叫んでいる。

「ルー!ルー!終わったんだよ!貴女の勝ちよ!」

 ブライスの言葉を聞いたルーフレッドは、小さく「勝った?」と呟くと、そのまま倒れてしまった。教官とタケル、それに近寄ってきた幾人かの協力で、ルーフレッドの凶悪な絞め技はなんとかほどくことができ、二人はそのまま医療室へと運ばれていった。


                ◇


 ルーフレッドが、ナリュー星系領主グース・エークリアス侯爵ローアン逮捕の報を受け取ったのは、それから三日後のことだった。

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