教練ノ章

65 ブラハリー72

 簡易テントの周囲では、風がゴウゴウと唸りをあげて暴れまわっている。風に備えて積み上げたアイスブロックも気休めにしかならない。テントを固定しているアンカーは、深い雪を貫き岩に食い込んでいるから、飛ばされる心配はない。とはいえ、防寒着を通して伝わってくる風の音は、精神に深く染み込み不安感を増大させる。

 遺伝子改造を受けて強化された身体は、軽い疲労を覚える程度だったが、精神はそうもいかない。ましてやここ3日間、まどろむことしかできないとなれば、なおさらである。この状況が続けば、やがて肉体にも影響を及ぼしかねない。

 眠れない。タケルは寝袋の中で身をよじった。

「ふん。この程度で音を上げるのか、軟弱野郎め」

 薄い断熱生地一枚挟んだ向こうから、地響きのような怒鳴り声が聞こえた。タケルが眠れない、もうひとつの理由がこの男だった。なぜ、こんな奴と同じテントで過ごさなければならないのか。タケルの中に負の感情が沸き上がる。こんなことなら、と後悔も心に浮かぶが、それはあまりにも後ろ向きな考えだと、気持ちを切り替えて眠ることに集中するのだった。


                ◇


 一行が旅から帰ると、メントフォッファ騎士団長アーヴァとバーナー伯爵ヴァルトがタケルを待ち受けていた。軍への入隊について話し合うためだ。旅立つ前に一旦保留にしていたが、ふたりからは強く入隊を勧められた。

 実のところ、タケルの立場は非常に微妙で曖昧なものだ。エルナを救った功績から守護騎士の地位を与えられているものの、いわば名誉職の意味合いが強い。内々ではエルナの婚約者と認められている物の、対外的な体裁を考えれば爵位が必要と周囲は考えている。今ひとつ、皇帝の考えが読めないが、爵位を与えるためには何らかの功績が必要だろう。そのためには、軍に入り戦いで名を挙げることが近道だ、と騎士団長アーヴァはタケルを説得する。数多くの星系を擁する帝国において、全面戦争こそしばらく起きていないものの、いくつかの星系では戦争状態にある。幸いなことに、星間連合が介入するような大きな武力衝突は起こっていないものの、帝国は常に軍事力を増強し備えておかなければならない状況に陥っている。

「そういえば、今回の旅ではトラブルはありましたが、戦争は見ませんでした」

 タケルの問いに、メントフォッファは呆れたように返す。

「当たり前だろう、姫様を危険な前線に近づける訳がない」

「君は気が付かなかったかもしれないが、今回の旅には戦争を回避するための活動もいくつかあったのだよ。たとえば、アルフェン星系のようにね」

 バーナー伯爵ヴァルトが、さらに説明する。近年になって、銀河系内で人型種族ミバ・ターン非人型種族ノ・アレジアの対立が深刻化しているのだという。エルナのアルフェン星系訪問には、トワ帝国が非人型種族ノ・アレジアと敵対しないというアピールと言う面があったのだ。もちろん、タケルには知らされていない、裏工作的な活動もあったが。

「姫様の伴侶となるからには、広い視野で大きな世界を見渡す技量が必要だ。そのためにも入隊は悪い話ではないぞ」

 メリット・デメリットでいえば、タケルにとって入隊するデメリットはあまりない。エルナとの時間が削られるだけだ。ただ、タケルの心情として“軍隊”というものにいささかの抵抗があるだけだ。第三者から見れば、暗殺者を返り討ちにしているタケルが、何を今更なことをと思うかもしれない。しかし、一年前は地球の中でも平和な日本で暮らす大学生だったタケルにとって、戦争は映画や小説の中の出来事にしか過ぎなかったのだ。

 もちろん、《ミーバ・ナゴス》艦内では、多くの軍人たちと生活を共にし、一緒にトレーニングしてきた。軍人たちに悪い印象はない。日本にいたときも、自衛隊に悪い印象は持っていなかった。むしろ災害時に活躍する自衛隊の人々に感謝し、尊敬していた。それでも、である。タケル自身も、なぜ入隊をためらってしまうのか、自分自身が判らなくなっていた。


「理性では理解できているんですよ、自分でも躊躇する理由がよく判らないのです」

 タケルは素直な気持ちを二人に吐露した。

「それは……困ったな」

 二人としても、できれば強制的ではなく双方納得の上で軍に入って欲しいと思っている。それは、将来を見据えての考えだ。

「そうだ、一番身近な者に聞いてみたらどうだろう?」

 バーナー伯爵ヴァルトの言葉に、タケルはエルナの顔を思い浮かべる。彼女は今、旅の報告をしているはずだ。

「いや、姫様ではなく、ドナリエル殿だよ」

『まぁ、物理的に一番近いとは言えるが、あまりありがたいとは思わないな』

 しかし、伯爵ヴァルトの言葉も間違ってはいない。一番近くでタケルを見てきたのは、ドナリエルなのだ。ドナリエルの意見は聞いてみたいとタケルも思った。

『ふむ。メントフォッファ殿とバーナー卿には理解し難いとは思うが、このタケルは“組織”というものに属したことがないのだ』

 地球風に言えば、社会経験がない。大学にもルールはあったが、会社組織とは責任も義務も大きく異なる。ましてや、会社組織よりも厳しい規律規範を持つ軍隊であれば、これまでのような自由な生活は送れないだろう。

『ようするに、怖いのだよ、お前は。組織という未知の存在に縛られることが』

「……」

 ドナリエルの言うように、タケルには会社に勤めた経験はない。短期のアルパイト経験があるくらいだ。正直、どんな感じなのかもわからない。怖いかどうかも。

「でも、わからないなら。やらないよりやる方がいいな」

 斯くして、タケルの帝国軍入隊が決まった。


                ◇


「アレグレッグだ。ブラハリー72にようこそ、エノガミ准尉タイル

トワ帝国軍事教練施設「ブラハリー72」の施設長、アレグレッグ大佐メトナーが差し伸べた手をタケルは握りしめた。

「よろしくお願いします」

 タケルはこれから三ヶ月間、トワ帝国軍の教育施設であるここで過ごすことになる。


 施設長の執務室は、机の上にインテリアにも見える個人用立体画像投影端末が置いてあるくらいで、飾り気のない、機能優先の部屋だった。それが伝統なのか、アレグレッグ大佐メトナーの趣味なのかは、判断できない。

 今、タケルとアレグレッグは、飾り気のないテーブルを挟んで対面していた。

「バーナー卿から話は伺っている。が、ここブラハリー72では、特別扱いはしないからそのつもりで」

 施設長の言葉に、タケルは頷く。事情といっても、すべてが伝えられているわけではない。タケルは貴族ではないが、いずれ貴族になる人間であること、いきなり准士官クラスに任じられたこと、程度の話だ。

 一般の民間人が入隊する場合には、まず心理的・肉体的に軍人としての敵性があるかどうかを判断される。認められれば、一般兵から軍歴が始まるのだが、トワ帝国には地球で言うような歩兵はいない。前線に出て戦うのは機械だからだ。したがって、個人差はあるものの数ヶ月から遅くとも一年以内に下士官クラスに任官される。そこで経験や技術の研鑽を積み、さらに士官クラスへの栄達を望むのであれば、幹部候補生としての教練を受けることになる。そのための施設が軍事教練施設であり、施設のひとつがここ、ブラハリー72なのである。


 アレグレッグ大佐メトナーとの面談後、施設長室を出たタケルは、自分に割り当てられた部屋へと向かった。施設内の通路では、目的地まで誘導するガイドサインが表示される。《識章》に構内地図も記録されているが、いちいち地図を呼び出して確認するよりもすばやく手間もない。ガイドサインに導かれて部屋に入ると、そこには先客がいた。

「ルーフレッドよ。ルーでいいわ」

「ブライス……です」

 二人とも女性だ。ルーフレッドと名乗った女性は、小柄だがほどよく筋肉がついている。どことなく猫を思わせる雰囲気を持っている。もう一人の女性は、長身でガリガリと言って良いほど痩せていた。軍人としては、体力面で心配してしまうくらいの体格だ。

「タケルだ。よろしく」


 部屋の壁には、上下二段の凹みがある。これが個人の寝床だ。それが左右二面で四人分、つまりここは四人部屋だ。部屋の中央には簡易的なテーブルが置かれている。正面の壁は各種情報が表示されるディスプレイだ。寝床の入り口には力場による遮蔽幕を設置できるので、光学的音響的にプライバシーを保つことができるが、完全ではない。


 タケルが同室となった二人の女性と簡単な自己紹介しあっていると、ピッという音とともに扉が開き、巨大な影が部屋に入ってきた。影は、ギロリとタケルを睨むと「フンッ!」と鼻息を漏らしてそのまま自分の寝床へと入り、すぐに遮蔽幕を起動させた。

 あんな巨体がよくあそこに入るなぁと呆れたタケルだったが、女性陣は違う印象を持っているようだ。

「ジェラーク星系人よ。まったく愛想も何もないんだから」

「……それがジェラーク気質。強い者しか認めない」

 ルーフレッドとブライスは、互いの言葉にうなずき合う。

『ジェラーク人が同室とはな。苦労するぞ』

 タケルの脳内で、ドナリエルが呟いた。

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