64 ハナエとの約束
サクヤがクリスを連れて東京へ行った頃、退院したハナエを連れてタケルとエルナは実家へと戻っていた。退院後も無理はしないようにという主治医の言いつけ通り、ハナエは寝室で横になっていた。今、エルナはハナエのために、お茶の用意をしていた。タケルは、食料や日用品を買い出しに行っている。
「ごめんなさいね、あなたにそんなことさせて」
静かな時間が流れる中、ハナエがエルナに話しかけた。その声は、以前よりも弱々しい、とエルナは感じた。タケルやサクヤの前では、無理をしているのではないか。
「そんなことおっしゃらないでください。おばあさまのお世話が出来るのは、私もうれしいのです」
「ありがとう」
「家族じゃありませんか」
「そうね。私が死ぬ前にタケルにお嫁さんができてうれしいわ」
死、というハナエの言葉に、エルナは身体を強ばらせる。そして、しっかりとハナエの目を見つめる。
「おばあさま。私の国は
エルナは、ドナリエルから密かにハナエの病状について報告を受けていた。タケルには伝えていない。きっと悲しむから。
「エルナさん」
「はい」
「私は古い人間だから、宇宙がどうとか、銀河がどうとか、正直よく判らないの。でも、貴女の言うことなのだから、たぶん直すこともできるし、もっと生きることもできるのかも知れない」
「えぇ、ですから……」
「でもね」
ハナエは布団から出した手で、エルナの手をそっと握った。
「もう、いいの。私は十分に生きたわ。息子夫婦は私よりも先に逝ってしまったけれど、それでも夫や孫たちと一緒に暮らせて幸せだった」
「そんな、そんなことおっしゃらないで……おばあさまには、まだ私の両親も紹介していないのに……」
ふふっ、とほほえみを浮かべるハナエ。
「貴女を育てたご両親なのだから、きっとすばらしい方たちなのでしょう。会えないのは残念だけれど」
「おばあさま……」
「私はあの人の眠るこの場所で、一緒の場所に眠りたいの。ごめんなさい、わがままで。少し昔の話を聞いてくれる?」
そう言って、ハナエはエルナに自分と夫の馴れそめを語り始めた。
◇
私があの人と会ったのは、祝言の当日。
私もあの人も若かった。右も左も判らず、親の言うことに逆らうなんてことも考えもしなかった。でもね、正直に言うと、少しあの人を恨んでいた。だって、折角女学校に入って楽しく暮らしていたのに、田舎に呼び戻されて結婚するなんて、思っても見なかった。そりゃいつかは花嫁に、と夢を抱いてはいたけれど、何もかも突然で。
今では想像もつかないけれど、あの頃、日本は戦争をしていたの。大人もラジオも新聞も、日本が優勢、すぐに日本の勝利で戦争が終わる、なんて言っていたけれど、どんどん物は少なくなって配給制になるし、若い男の人もどんどん戦争に行ってしまう。そうね、日本人はみんな、現実から目を反らしていたのかもしれないわね……。
あの人も、兵士として戦地に向かうことになっていたの。だから、結婚をやってしまおうと言うことだったのよ。だから、祝言の後、あの人と一緒にいることができたのは、2,3日だったわ。そして、すぐに戦争に行ってしまった。最初は、少し怖くて少し憎かったけれど……顔もちょっと強面だしね……でも、短い間でも労ってくれた。優しさは伝わってきた。だから、あの人が言ってしまった後、なんだかとっても寂しかった。
だから、がんばった。あの人が無事に帰ってきて、「すごく綺麗にしているな」って褒めて欲しなって。おかしいでしょ?ふふ。私もね、あの頃のことは、まるで幻のように思えることもあるの。
やがて、戦争が終わって。日本は負けてボロボロになって。ありがたいことにここいらには空襲がなかったから、村に被害はなかったけれど、前の日まで日本の勝利を疑わなかった大人たちは、まるで魂が抜けたかのようになっていたことを覚えている。でもね、女たちは、夫を戦地に送り出した女たちは違った。私たちは、これで夫が、夫たちが帰ってくる。貧しくたって平和で幸せな生活ができるんだ!って、帰ってきた夫たちががっかりしないように、力を合わせていこうって。
何ヶ月かして、戦地から男たちが戻ってきたわ。元気な姿で戻ってきた人もいたけれど、そうじゃない人もいた。骨だけになっている人もいたし、遺品だけが戻ってきた人もいた。
あの人が帰ってきたのは一年後。元々細かったけれど、それが骨と皮ばかり、ガリガリに痩せていてね。それでも、私の顔を見て「ただいま」ってにっこり笑ってくれたの。もう、あの時はいろいろな感情が溢れてきて、言葉が出なかったわ。
あの人が帰ってきてから、私たちは本当の夫婦になったと思う。一緒に考えて、いろいろと話して。一緒に村を再興しようって。もうあまり残っていなかった私財も手放して、村のために尽くしたわ。結局、残っているのは裏の山とこの家だけになってしまったけれど、後悔はしていないわ。
息子が生まれて成長して、大学に行ってお嫁さんを見つけて、タケルとサクヤ、ふたりの孫が生まれて。幸せだった。息子夫婦の事故で、タケルとサクヤが家に来た時には、久しぶりの子育てに戸惑うこともあったけれど、タケルとサクヤも良い子に育ってくれた。もう思い残すことはないの。
◇
「こんな年寄りの昔話に付き合わせて、ごめんなさいね」
エルナは、ハナエの手を握りしめながら、頭を左右に振った。その瞳には涙が光っていた。
「おばぁさまのお話を聞けて、私はとてもうれしく思っています……」
「ありがとう」
布団の中から、ハナエはにっこりとほほえみを返す。
「もうひとつ、お願いがあるの」
「なんでしょう?」
「できれば……戦争はしないで欲しいの」
ハナエの言葉に、エルナは思わず小さく身を縮めた。
「これは私の、年老いた地球人の妄想かもしれない。けれど、おそらく貴女の国が本気で地球を取り込もうとすれば、大きな戦争が起きるでしょう。もちろん、地球があなた方に勝てる訳もない。今だって、多くの国がバラバラに争っているのだもの」
ハナエの予想は正しい、とエルナは思った。将来、トワ帝国が地球の文明化を待たずに併合しようとすれば、少なからず被害はでるだろう。それも地球側だけに。帝国には、軌道上から都市を灰燼に帰すこともできるのだ。それは、一方的な虐殺のようなものだ。だが、地球人は反抗を止めないだろう。そう、銀河文明に加わることを良しとせず、反抗した文明は過去にもあった。そのことごとくが、文明毎消し去られている。銀河連盟が設立される以前は、もっと酷かったらしい。
トワ帝国としては、地球文明を滅ぼす気はまったくない。だからこそ文明化を見守ってきた。今も積極的な介入は避けている。地球人自らの手で文明化を成し、衝突することなくトワ帝国の庇護下に入る、それがもっとも良いシナリオなのだ。ハナエの願いは、トワ帝国の願いでもある。
「おばぁさま。お約束します。私の全身全霊を持って戦争をおこさないよう努力いたします」
戦争を起こさせない、とは約束できない。でも戦争を阻止する努力はする。それがエルナのできる最大の約束であった。できない約束はしない。そのように教育されてきたからだ。だが、ハナエはそれだけで満足だったようだ。
「ありがとう」
ハナエの小さな感謝の言葉に、エルナはしっかりと頷くのであった。
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