63 クリスの東京観光(4)

《チットナゴス》は、地球の大気圏外にいた――クリスとサクヤ、そして気絶したままの亨を乗せて。サクヤは《チットナゴス》に乗ってから、モニターに映る外の様子をずっと見つめていた。

「これって……本物?」

「えぇ、本物ですよ。直接見ますか?と。いっても壁を透明にするだけですが」

 クリスがシート上の操作盤に触れると、客室の天井が一部、透明になった。そこからは、星と地球の一部が見えた。

「宇宙では、星が瞬かないって本当なのね……」

 サクヤの言葉に、クリスは少し笑った。さすが、タケルの妹君だけのことはある。普通だったら、もっと大騒ぎするか、パニックになるか、声も出ないほど呆然とするか、だろう。だが、サクヤは、すくなくともクリスの目からは平然とした態度に見えた。

「サクヤさんは、驚かないのですね」

「いや、驚いてる。驚いているわよ。いきなりこんなものに乗せられて、地球の外にでちゃったんだから」

「そうですか?すごく落ち着いて見えますが」

 サクヤはシートの背もたれに身体を預け、見あげるように地球を――さっきまで自分たちがいた場所を見ていた。

「う~ん、そうね。何となく、こんなことなんじゃないかって、思ってた」

「こんなこと?」

「だって、クリス君、外国から来たという割にはおかしな言動が多かったし。そういえば、おばぁちゃんも『タケルは遠くへ行った』とは言っていたけれど、外国に行った、とは言わなかったもんねぇ」

「そうですか。上手くやっていたつもりでしたが……」

「まぁ、宇宙人っていうのは、5番目くらいの仮説だったけどね」

「少ない情報から推測し、さまざまな仮説を立てる。うん、サクヤさんは良い観察眼と洞察力をお持ちです」

「なによ、それ。褒めているの?」

 サクヤの笑いにクリスもつられて笑った。


「では、月軌道の外までジャンプします。シートから立ち上がらないでくださいね」

「うん」

 クリスは、サクヤがシートの端をギュッと握ったことを確認して、カイレル・エンジンを操作した。ちょうど、月の向こうに太陽があるので、ジャンプも短くて済む。カイレル・エンジンのアンカーポイントとなる重力井戸、すなわち太陽が反対側だったら、大きく迂回しなければならない。そうならないよう、地球脱出時の方向には気を配っていた。クリスも貴族の一員である以上、艦艇の操縦は出来て当たり前なのだ。

 機体が軽く揺れる。

「もう、いいですよ」

「え?もう?」

「えぇ。約39万キロメートルをジャンプしました」

 クリスが透明になったままの天井を指さすと、そこに先ほどまで一部しか見えていなかった地球が、ちいさなピンポン球のように浮かんでいた。

「あれが、地球なの?」

「えぇ。そしてこちらが地球の衛星です」

 クリスは慣れた手つきでスラスターを吹かし、戦隊をゆっくりと回転させる。回転に合わせて灰色の天体、月が現れた。その表面は、普段見慣れたものとはかけ離れていた。月の裏側だ。月の裏側には、地球から観測できる側にあるような“海”がない。大小様々なクレーターで覆われている。

 そして、もうひとつ。地球人が見慣れぬものがあった。トワ帝国第三皇女専用艦ミーバ・ナゴスである。クリスの操縦する《チットナゴス》は、そのふねへと進路をとった。月と比較すればちっぽけな点でしかなかったが、近づくにつれサクヤにもその巨大さが判った。地球の豪華客船、あるいは空母よりも大きいように思える。

 その巨大な船体に、ちいさなちいさな船が吸い込まれていった。


 指定された発着ポートに《チットナゴス》がゆっくりと着地すると、《ミーバ・ナゴス》の整備員や警備員が駆け寄ってきた。後部ハッチから乗り込んだ警備員は、収納ラックに放り込んでいた亨を搬送用カプセルに移し替え、どこかへと運んでいった。

「彼は、どうなるの?」

 すっかり存在を忘れていたとはいえ、一応同じ地球人だ。心配になる。

「裁判を受けることになります。艦内で行われる簡易的なものですが」

「そう……なんとか、無罪ってことにはできない?」

「無理ですね。私が許しても周囲の人間が許さない。地球人の貴女には理解しづらいでしょうが、彼の行動を是としてしまうと、社会システムそのものを揺るがしかねないのです」

「おおごと、なのね」

 クリスの言葉通り、まだ社会に出ていないサクヤに、トワ帝国の支配システムは理解し難いものであった。ましてや、曲がりなりにも民主主義によって運営されてきた日本人にとって、貴族に刃を向けるだけで大罪になるということが想像できない。日本であれば、銃刀法違反、暴行未遂程度か、裁判になっても初犯ならば執行猶予付き判決がいいところだろう。

 日本との違いに混乱しつつも、なんとか穏便に収める方法がないかと、サクヤは考える。といっても、兄であるタケルを頼るくらいしか思いつかないのだが。そんなサクヤの様子を見て、クリスは弁護士への働きかけを約束した。

「ここでの裁判は、簡易とはいえ軍事法廷に準ずるもので、被告側には弁護士もつきます。私から、弁護士に、地球のおかれた立場に配慮するよう、強く求めていると伝えておきます。少しは量刑にも影響すると思います」

 クリスの提案は、日本であれば政治の司法介入と判断されかねないものだが、トワ帝国においてはさらに微妙な問題をはらんでいる。皇族を始めとする領主や貴族は、基本的に司法には介入しない。しかし、貴族が受け容れがたい司法判断が下された場合、貴族はこれに介入する権利がある。つまりは絶対的権力を持っているのだ。とはいえ、無闇に権利を振りかざしていると、帝国民の反感を買ってしまい領地の運営はままならなくなってしまう。故に、貴族が司法に介入する場合、非常に慎重になるのだ。今回のケースでは、他ならぬクリスが被害者であり、かつ刑を軽くして欲しいという嘆願であるため、大きな問題とはならないが、クリスはもっと慎重に行動しなければならないところだ。

「ごめんなさい。わがまま言って」

 貴族特有の背景は知らずとも、クリスの苦労を慮ったサクヤは、深く頭を下げた。

「いやいや、わがままなんてとんでもない。サクヤさんこそ、いろいろと面食らっているのではないですか?実は、私の星も、私の祖父の代までは他の星に知性体がいるなんて知りませんでした。ですから、帝国の使者が来たときには大混乱だったようですよ。祖父の話では……」

 クリスは話をしながら、さりげなくサクヤを誘導し、客室へと導いて行った。


                ◇


「きちんと説明するつもりだったんだよ」

 《ミーバ・ナゴス》艦上で再会した妹に、エルナとの出会いからこれまでのことを話し、何も話さず地球を離れてしまったことを詫びた。

「はぁ……とりあえず理解はしたわ。納得はしないけど」

 確かに、いきなり宇宙人と会って宇宙へ行きます、なんて言われたら、きっとおかしくなったと思ったに違いない。そう思ってサクヤはタケルを許した。

「で、どうするのこれから?」

「他にもいくつか星系を回る計画だよ。日本こっちには、少し様子を見に寄っただけなんだ」

「ふぅん……」

 何気ない返事に聞こえるが,サクヤの目は何かを訴えていた。タケルが昔から良く知っている目つきだ。

「あ――、サクヤは連れて行けないからね。おばぁちゃんのこともあるし、大学はちゃんと出て欲しい」

「えー」

 口を尖らせて不満げな表情を見せるサクヤを、タケルは説得しなければならない。

「はっきりしたことは言えないけれど、たぶん、日本――だけじゃなく、地球全体が大変な騒ぎになると思うんだ。それが何年先か何十年先かは判らないけどね。その時のために、サクヤにはきちんと生活基盤を作っておいて欲しい」

 そういって、タケルは小さな通信機をサクヤに渡した。

「他の星系に行ってしまうとすぐには連絡が取れないけれど、これを使えばボクかエルナに連絡がつくようになっているから」

 エルナ襲撃事件以降、トワ帝国は積極的に地球の情報収集を行うことにした。それまで単なる連絡拠点くらいしか置かれていなかったのだが、各地に複数人のエージェントを配置するようになった。サクヤに渡した通信機は、近くにいるエージェントに連絡できるようになっている。

「ま、しょうがないか」

 現状を受け容れるサクヤに、横合いからクリスが声を掛けた。

「いつか、必ず我が星系に招待しますよ。その時には、私が案内しますから」

「その時には、よろしくね」


 《チットナゴス》は、夜の闇に紛れて東京近郊まで降下した。クリスがサクヤ(と気絶した亨)を《ミーバ・ナゴス》まで運んだときには、見つからないようにすばやく行動した。今回は、人気の少なくなった代々木公園に機体を降ろしたので、兄妹はゆっくりと別れを惜しんだ。

 東京にサクヤを降ろした後、《チットナゴス》はクリスの操縦で、祖母の待つタケルの実家へと向かった。闇に紛れて実家の庭に《チットナゴス》を停め、タケルとクリスは裏口から家に入った。祖母の部屋では、布団の上で半身を起こした祖母とエルナ、そしてガルタが待っていた。ガルタは、サクヤと会うために《ミーバ・ナゴス》に向かったタケルの代わりに、この家に残っていたのだ。

「おかえり。あのサクヤの様子はどうでしたか?」

 畳に腰を下ろしながら、タケルは祖母の問いに「大丈夫」と答えた。

「最初は混乱していたようだけど、ちゃんと説明したら理解してくれたよ」

「そうかい。やっぱり、私から言っておくべきだったかね」

「いや、サクヤには言わないでって口止めしたのはボクだし。今回のトラブルは、逆に考えればいい機会だったよ」

 それを聞いて安心したのか、ハナエは布団に横になった。エルナは甲斐甲斐しく、祖母に布団を掛ける。血は繋がっていないのに、肉親同士のような慈愛を感じさせる風景だった。


 まだ朝日が昇りきらないうちに、《チットナゴス》はタケルたち四人を乗せて、月の裏側に向けて飛び立った。またしばらくは見ることができない故郷の風景を、タケルは目に焼き付けるように最後まで眺めていた。

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