62 クリスの東京観光(3)

「なんだか、今日はちゃんと観光できなかったね」

「いえいえ、今日も十分満喫しましたし、まだ行っていない場所は、明日……もう今日になってしまいましたか、今日、ゆっくり廻ればいいのです」

 所々、街灯の灯りが光のスポットを作り出している道を歩きながら、クリスとサクヤはたわいもない会話をしていた。夜も遅いので、クリスがサクヤをアパートまで送ると言い出したのだ。

「そっか。明日……帰るんだよね?」

「えぇ、明日東京を発って、タケルたちに合流します」

「その後は、国に帰るの?」

「もうしばらく旅を続ける予定です――聞いているかも知れませんが、タケルも一緒です」

 トワ帝国の星々を巡る旅は、むしろタケルのために行われているのだが、あえてそこまでは口にしない。

「やっぱり――昔から寡黙だったけど、相変わらずね」

 サクヤは、ふと、夜空を見あげる。そこには満天の星が煌めいていた。

「なんだかね、兄ちゃんがずっと遠くに行ってしまうような、そんな気がしているの」

 これが兄妹の絆なのだろうか。本当のことは言わずとも、何か察するところがあったのだろうか。

「でも、クリスやエルナさんが一緒なら、どこに行っても平気よね」

「おぉ、サクヤさんに頼りにされているようで、とてもうれしいです。大丈夫です。タケルは強い。たぶん、サクヤさんが思っている以上に、彼は強い。だからこそ、エルナはタケルを選んだんだと、私は思います」

「そっか……お兄ちゃんが結婚なんて、まだ実感湧かないんだけどねぇ」

 ハハハ、と寂しげな笑い声を上げたサクヤは、「ちょっと疲れたかな?何か飲む?」と自動販売機を指さした。


 ペットボトルを手に、二人は小さな公園のベンチに座った。ここからサクヤのアパートまでは、さほど距離はないが、まだ女一人が暮らす部屋に招き入れるほど、クリスのことを知っている訳ではない。だが、サクヤには、どうしても晴らしておきたい疑念があった。この疑念を抱いたまま、クリスを案内することは、竹を割った性格と評されるサクヤには無理だった。


「あのさ――」

 サクヤがクリスに話しかけた瞬間だった。

「おい!そこで何している」

 公園の入り口から野太い声がした。二人以外誰もいないと思っていたサクヤは、思わず小さな悲鳴を漏らす。

「何をしていると聞いている!」

 暗がりから現れたのは、男だった。怒りに顔を醜く歪めている。

「だ、誰?」

「あぁ?!お前、俺の顔も忘れたのかよ!ふざけんな!」

 男は、小向亨であった。

「断りもなく、俺以外の男とイチャイチャしやがって!」

「はぁ?!何言ってんのよ!知らない奴にお前呼ばわりされるいわれはないんですけど」

 サクヤの言葉は、亨の怒りに薪をくべるようなものだった。

「口で言っても分かんねぇのか!なら――」

 二人に近づき、サクヤへと腕を伸ばす亨。しかし、ごく自然に割り込んだクリスに邪魔されてしまうと、亨は怒りのターゲットをクリスへと移した。

「てめぇ、邪魔すんな」

「邪魔?邪魔をしているのは君だろう?彼女は迷惑しているじゃないか、立ち去りなさい」

「んだと!コラァ!俺を誰だと思っている!」

「いや、だから、さっきから誰だって聞いているじゃない!」

 クリスの影から、サクヤが男に鋭い目を向ける。その目を見て、亨はようやくサクヤが本当に自分のことを忘れてしまっていることを理解した。思わず二三歩、後ろへとよろけてしまった。

「う、嘘だろ……、俺だよ、二年の小向亨だよ……」

「コムカイ?小向、小向……あ、なんかいろいろとちょっかい掛けてきたうざい奴!」

 再び亨の怒りに火がつく。

「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなっ!俺が、どんな、思いでっ!お前にっ!」

「何回も迷惑だ、って言いましたよね?学生課にも言ってありますから!」

 サクヤが亨の事を大学の学生課に知らせていることは本当だが、サクヤにストーカーまがいの行為をしていたのは亨一人だけではなかったため、サクヤも大勢の中の一人としか認識していなかった。


「このアマッ!」

 怒りに支配された亨がサクヤに詰め寄るが、クリスがさりげなくサクヤを自分の後ろに隠す。

「邪魔だっ!」

 亨がクリス目がけて拳を突き出す。高校生の時、喧嘩に勝つためにボクシングを囓った亨は、自分のパンチに自信を持っていた。ボクシング自体は、その下衆な心を見透かされてジムを辞めさせられたため中途半端なものでしかなかったが、アマチュアレベルの連中になら十分に通用した。そのことが、亨に変な自信を付けさせてしまったのだ。

 亨のパンチでクリスは腹を押さえ、地面に転がってゲェゲェと苦しそうに嘔吐く――はずだった。しかし、現実は亨の創造とは大きくかけ離れていた。

「て、てlめぇっ!は、はなせ、離しやがれ!」

 亨の右拳は、クリスの左手に掴まれていた。押しても引いてもねじっても、クリスの手から拳を離すことはできなかった。貧弱そうな印象を持たれるクリスだが、タケル同様遺伝子レベルでの強化処置を受けている。彼もまた貴族。ひとたび事が起きれば、軍を率いて最前線に立たねばならない。そのための準備は怠っていない。


「くそっ!」

 右手が封じされたと考えた亨は、今度は左手でクリスの顔面を狙った。直後、亨の身体が宙を舞い、公園の地面に叩きつけられた!投げられた亨自身、何が起きたのか分からなかった。クリスは、亨が伸ばしてきた左の手首を掴むと、身体に引き寄せると同時に亨の足を払った。手首を掴んだまま、身体を亨の下に潜り込ませると腰を跳ね上げる。亨の身体は、手首を中心に大きく孤を描いて地面へと叩きつけられたのだった。

 クリスは、亨の手を離すと、サクヤをかばいながら下がった。

「さぁ、もう判ったでしょう?ここから立ち去りなさい」

 投げ飛ばされたショックから立ち直った亨は、ギリギリと歯を鳴らしながらゆっくりと立ち上がった。

「立ち去れ?はぁ?ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ、コラ」

 立ち上がった亨は、ポケットの中に手を入れて何かを取り出すと、その手にはナイフが現れた。常夜灯の光を受けて、ナイフの刃が鈍く光る。

「ふひっ」

 武器を手にした亨が、奇妙な笑い声を上げる。これで圧倒的優位に立った、と亨は思った。ナイフを出せば、大抵の奴はビビって言うことを聞く。

「女を置いてどっかへ行けば許して――」

「あれって、地球ココでも違法?」

 亨の言葉を遮るように、クリスは背後に立つサクヤに聞いた。

「え?……えぇ、日本ココでも、たぶん犯罪だと思うけど」

「そうですか。ならば遠慮はいらないですね」

 自分を無視して会話を進めるクリスに、亨がナイフを突きつける。

「てめぇっ!無視してんじゃねぇぞ!これが見えないのかっ!」

 クリスが亨に視線を向ける。その目は、ナイフを怖れているようには見えない。

「お、俺をコケにしやがって、もう許さねぇ」

「私も、あなたを許しませんよ」

 クリスが軽く右手を振ると、その手に銀色の細い筒が現れた。とても武器には見えないそれを、亨は鼻で笑った。

「ふん、そんなもの……グェッ!」

 直径1センチ、長さ5センチ程度の棒は、小型軽量のスタナーだった。スタナーの原理は、地球のスタンガンやテーザー銃と同じだ。スタンガンは、直接相手に端子を接触させて高電圧の電流を流すが、銀河世界で使われるスタナーは、力場フォースフィールドによって電流を流す。拳銃型の一般的なスタナーは、有効範囲や距離、電流領などをコントロールできるが、クリスの使ったハンディ型のスタナーは、有効範囲も狭い。だが、今はそれで十分だ。クリスのスタナーによって、亨の右腕は使えなくなった。握っていたナイフも、地面に落ちている。


「て、てめぇ、何しやがった」

 麻痺した右腕を掴みながら、亨はクリスを睨む。右腕は感覚がないのに、勝手に震えている。

「これで帰ってくれないかな?そして二度と彼女に近づかなければそれでいいよ。でも、そうでないなら、君の状況はもっと悪くなるよ。わかるかい?」

 これはクリスが取り得る、せめてもの温情と呼ぶべき行為だった。未文明化圏とはいえ、地球はすでに(そこに住まう人々が意識しているいないに関わらず)トワ帝国の保護下にあり、トワ帝国の法律が適用される。そこで貴族に対して武器を持って示威行為を働いたのだから、重い罪になるのだ。そんな法律は知らない、と亨が言ったとしても、それは通じない。日本人が海外に行って、その土地の法律を犯せば、法を知っているかどうかは関係なく裁かれることと一緒だ。

「ふ、ふざけるなぁぁっ!ぶっ殺してやるっ!」

 怒りにまかせて亨はクリスに詰め寄ろうとしたが、クリスは呆れたような表情を浮かべただけで何も言わず、小型スタナーを再度照射した。放射された高電圧場に亨の頭部が包み込まれると、亨は白目を剥いてその場で昏倒した。


「な、何をしたの?」

 サクヤには、クリスが亨を指さしただけで倒したように見えた。ちょっと引く。

「まさか、死んでない……よね?」

「はい。気絶させただけですよ?あぁ、驚かせてしまいましたね、すいません。タケルにはいつも空気を読まないって笑われるんですよ」

 空気を読む、読まないの話ではない。タケルがこの場にいたら、「クリスはやっぱりずれてる」と評しただろう。

 死んでいないというクリスの言葉を聞いて、少し安心したサクヤは、倒れた亨の側まで行って確認してみた。白目を剥いてよだれを垂らしている顔を見て、サクヤは「うわぁぁ」と言いながらも頬を指で押してみる。反応はない、が、息はしているようだ。

「これ、どうしよう?」

 仮にも先輩である。これ呼ばわりは酷い。だが、クリスもそんなことは気にしない。

「ちょっとタケルに相談してみます」

 クリスはそういって、スマートフォンを採りだしタケルに電話を掛けた。

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