61 クリスの東京観光(2)

 春のキャンパスは、どこか浮かれている。新入生が多いからだろうか、それとも季節が心を浮つかせるのだろうか。

 祖母の入院などでドタバタしていたサクヤは、そんな浮かれた気分にはなっていないが、それでも賑やかな都会で、明るいキャンパスの中を歩いていれば、自然と気持ちが軽くなる。だから、自分たちが周りから注目されていることに、しばらく気が付かなかった。

「なんだか……見られていない?やっぱり、部外者をキャンパスに入れちゃいけなかったかな?」

「「いやいやいやいや」」

 エリーとアイコが、揃ってサクヤの言葉を否定する。

「そもそも、クリスさんが注目されているんでしょうが」

「やっぱ、サクヤはどこかずれてるね~」

 当のクリスは、サクヤの通う大学に興味津々らしく、周囲を珍しそうに観察している。その姿は、好奇心を剥き出しにした下品なものではなく、軽やかで優雅、気品のある態度だった。サクヤたちは知らないが、帝国の貴族なのだから、当然と言えば当然だ。

 そんな貴族的雰囲気を纏った美男子が、三人も女性を連れてあるいているのだ。注目されない訳がない。こっそりと視線を送る者や驚いた顔で見つめる者、テレビのロケと勘違いしてテレビカメラを探す者までいる。一行は、自分たちとは別のところで騒ぎを起こしつつ、キャンパス内を歩いて行った。


 クリスたちに注がれる視線の中に、一人だけ他とは違う感情を持ったものがあった。

「あれは誰だ?」

 絞り出すような低い声の主は小向とおる、サクヤよりも二歳年上の大学生だ。

「あれって?」

 一緒に居た女の一人が聞き返す。亨は現役官僚の息子で、そこそこ名の知れた名門の末端に席を置く。金もあり顔もいいから常に周りには女が絶えない。

江神えのがみと一緒にいる男だ」

 亨の周りにいた女たちが、サクヤたちの方を見た。

「うわぁ、かっこいい!」

「外国の俳優さん?」

「すごーい」

 女たちが急に歓声を上げ始めると、亨はイラッとした感情をそのままぶつける。

「だから!誰だって聞いてんだよ!」

 女たちは、さっきまでちやほやしていた亨に見向きもせず、口々に「知らない」と答えた。

「くそ!なんだよ、それ!」

「きゃっ!」

 亨は、目の前に居た女の髪の毛を乱暴に掴むと、無理矢理顔を引き寄せる。

「知らないなら、探ってこい!」

 そう言って、突き飛ばす。たまらず倒れた女は、恐怖に満ちた目で亨を見あげる。周りにいた他の女たちも、しまった、という顔で急にオドオドとした態度になった。

 自分の思い通りにならないと感情を爆発させる。時に暴力を振るい、落ち着くまで終わらない――亨は、そんな男だった。

「なにをぐずぐずしているんだ!はやくいけよ!」

 女たちは、倒れている女を助け起こして足早に去って行く。ここで言うことを聞かないと、次には手か足が飛んでくるのだ。

「くそっ!くそっ!」

 学内でも亨の癇癪は有名だったから、誰も近寄ろうとはしない。それが余計に亨をいらだたせた。

「あいつもあいつだ、あんな男にヘラヘラしやがって!」

 サクヤは入学当時から、亨が目を付けていた女だ。自分の女にしてやろうと、何度かアプローチしたが一向になびかない。亨だけでなく、他の男にもそっけない態度だったので、身持ちの堅い女だと思っていたのだが。

 金もある。顔もいい。将来も父親のコネで出世が決まっているようなものだ。俺以上にいい男なんていないはずだ。当然、サクヤもそのうち目が覚めて、俺にすべてを捧げるはずだったのに。そんな身勝手な感情が、亨という男を支配していた――。


                ◇


 エリーとアイコがバイトに行くというので、大学の正門で二人と別れた。カラオケは、バイトの時間までの暇つぶしだったらしい。仕送りとバイトでやりくりしているサクヤからすれば、無駄遣いに思えるのだが。まぁ、それも青春だろうとタケルなら言うかも知れない。妹から見ても、タケルは寛容というか鷹揚というか、あっけらかんとした部分があった。そんな兄が婚約だなんて。なんだかまだピンとこない。


「あ、バイトで思い出した。少し早いけど、私のバイト先で夕飯にする?」

「いいですね」

 バイト先は、大学からそう遠くない。抜けさせて貰っていたシフトの件もあるし、帰ってきたからには顔を出さないと。サクヤはスマホを取り出しながら、タケルに聞いた。

「イタリアンだけど、大丈夫?」

「イタリアン?……あぁ、ヨーロッパ地方の国ですね。うんうん。問題ありませんよ」

 クリスの言い回しをおかしいと感じる前に、バイト先のマスターと電話が繋がってしまったので、サクヤはクリスの言葉を頭から消した。

「え?うーん。連れがいるんですよ。……そうですか。じゃあ今から行きます」

 通話を切ったサクヤは、クリスに「もう少し歩きます」と言って、バイト先へと歩き出した。クリスは、サクヤに付いていく。

「イタリアン……パスタとか、あ、トマト?を使った料理とかですね。楽しみです」

 髪の毛に隠れて見えないが、クリスの内耳には小型のイヤフォンが装着されている。クリスが知らないこと、疑問に思ったことは、イヤフォンを通じて《識章》が教えてくれるように設定してある。《識章》は、小型のデータベースと通信して知識を引き出しているのだが、テレビリモコン程度の容量しかないスマートメタルエナーに地球上の知識が詰め込まれていると知ったら、地球人はみな驚くだろう。

 ちなみに、《識章》は人工皮膚でカムフラージュしている上に、ジャケットのデザインで隠れるようにしている。注意してみれば、少し違和感を覚える程度だ。


 サクヤのバイト先は、大通りから入った路地のさらに奥、住宅地が多くなる辺りにあった。こじんまりとした佇まいの、そのイタリアンレストランには『Ricco』と書かれた小さな看板が掲げられていた。細い鉄棒で出来た門を開け、サクヤはスタスタと店の裏手へと廻り、勝手口から中へと入っていく。クリスはその後ろから、悠然とついていった。

「こんにちは――っと」

「おお、サクヤちゃん、待ってたよ」

 サクヤが来たことに気が付いた男が、ホールから顔を出してサクヤに声を掛けた。どうやら、テーブルを拭いていたところだったらしい。

「で、マスター。ユゥちゃん、やっぱりダメでした?」

「そうなんだよ、いやぁ、サクヤちゃんが戻っていてくれて助かったよ。早く却って来られたってことは、ハナエさんも大丈夫だったってことだね」

「えぇ。祖母はたいしたことないって言ってました。兄も戻ってきたので、任せて来ちゃいました」

「そうか、そいつは良かった」

 マスターと呼ばれた男は、この店のオーナーシェフだ。サクヤたちの祖父母とも面識があり、その伝手でアルバイトをするようになったのだ。

「それはいいんですが……電話でもいったけど、連れがいるんですよ」

「10時くらいまででいいんだけど、どこかで時間潰してもら――おぉ!」

 サクヤ後ろから現れたクリスを見て、マスターが声を上げた。

「サクヤちゃんの連れって、彼?」

「そうですけど……カレシじゃないですよ?」

「いや、そうじゃなくて、その君?ちょっとお願いがあるんだけど」

 マスターの言葉に、クリスは怪訝な顔で応えた。


                ◇


「いらっしゃいませ」

 Riccoのドアを開けて店に入った客は、その日、美しい笑顔に出迎えられた。

「何名様ですか?」

「……あ、よ、四人だけど……」

「四名様ですね、どうぞこちらへ――」

 客は、ウェイターの顔に見とれながら、席まで案内される。

「メニューはこちらです。お決まりになりましたら、お呼びください」

「は、はい……」

 ウェイターは、客を席まで案内すると、静かにドアの近くまで戻った。白いシャツに黒いズボン、黒い腰巻きエプロンで立つ姿は、つい1時間程前に初めて着たとは思えぬほど、しっくりと決まっていた。その姿を店の片隅から眺めていたサクヤは、密かに頭を抱えていた。なんでこんなことになったのか――。


「ほら、やっぱり似合うよ!」

「そうでしょうか?どうです、サクヤさん?」

「……確かに似合っているけれども!」

 今晩のシフトに入る女の子が、急用で来られなくなったため、たまたま連絡したサクヤがバイトに入ることになった。クリスには、どこかで時間を潰して貰おうと思っていたのだが、クリスを見たマスターがはっちゃけた。どこから出したのか、男子用の制服を持ち出し、クリスに着せたのだ。

「君は立っているだけでいいから」と最初は言っていたマスターだったが、サクヤの接客を見て覚えてしまったクリスに接客を任せるまで、そう時間は掛からなかった。サクヤの動きを見ていた上に、《識章》経由での知識があれば、そつなく接客をこなすことは難しいことではない。アルバイトなんて経験は初めてだったので、クリスとしても新鮮な体験だった。


クリスは外国人だから、労働基準法とか旅券法とかいろいろ引っかかるんじゃないんですかー」

「ん?何を言っているんだい?彼は無償でボランティアに名乗り出てくれたんじゃないか」

 サクヤの突っ込みに、マスターが棒読み台詞で返す。「サクヤちゃんのバイト代に色を付けるし、夕飯はごちそうするからさ」

 というわけで、まかないのハンバーグステーキで簡単に釣られたクリスは、嬉々としてホール係を務めていた。

「やれやれ。お兄ちゃんには後から言えばいいか」

と諦めたサクヤだったが、夜が深くなるに従って、いつもとは違う騒動が起きた。来客した客が、クリスの画像をSNSで拡散してしまったのだ。ネットの噂を確認するために来店する客や少しでも長居をしようと追加注文する客などが現れ、店は開店以来の大盛況となった。

「いやぁ、ボクの目に狂いはなかった!」などとホクホク顔のマスターも、厨房で調理に追われている。文字通りうれしい悲鳴をあげながら、忙しく駆けづり廻っているマスターを横目に見ながら、サクヤも接客に奔走していた。一人、クリスだけは涼しい顔で優雅な態度を崩していなかったことに、なぜだかサクヤは腹が立った。


「ありがとうございました~」

 ようやく最後の客が退店した頃には、もう真夜中近くになっていた。

「いやぁ、ごくろうさん、ごくろうさん。これ、残り物で悪いんだけどね」

 疲労の色を店ながらも、今日の売り上げを考えるとにやけ笑いが止まらないマスターは、パスタにビーフシチューを掛け、その上にチーズを載せて焼き目を付けた品とポテトサラダというまかないを厨房にあるステンレステーブルの上に並べた。クリスとサクヤの二人も後片付けの手を止めて、遅い夕食に取りかかった。

「クリスさん、ごめんなさい。こんなになるなんて思わなくて」

 食べながら、サクヤはクリスに謝罪した。美味しそうにまかないを食べていたクリスは、サクヤに微笑みかけながら、「いえ、愉しかったですよ」と返した。

「いやぁ、こんなにお客さんが来るなんて思いもしなかったよ。」

 と、二人の会話にマスターが割り込む。

「クリス君には、是非、次もお願いしたいな~」

「いえ、今回は旅の途中で寄っただけですから、2,3日後には日本を離れることになっています」

「そうなのか~それはしょうがないな。また、日本に来たら顔を出してよ。ごちそうするからさ」

「えぇ、是非。それと、もし可能ならで構わないのですが、何点か料理のレシピを教えてもらえませんか?国元でもマスターの味を食べてみたいのです」

「おお、うれしいことを言ってくれるねぇ。もちろん、いいとも」

 始終上機嫌のマスターだったが、彼は後日、クリスが店にいないことに抗議する客に謝罪しまくるという苦難の日々が待っていることに、まだ気が付いていなかった。

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