43 ガルタの暴走

 タケルとエルナの婚約は、帝国でも一部の者しか知らない。したがって、《ミーバ・ナゴス》艦内におけるタケルの仕事は、エルナの守護騎士(見習い)となっている。単なる客人では、いろいろと詮索される可能性があるからだ。

 なので、エルナを護衛する3交代シフトに組み込まれており、仕事に就いている時にはエルナと一緒に過ごすことができる。エルナも、タケルのシフトが入っている時には、できるだけ公務を入れないようにしている。とはいえ、当然のことながら、二人だけでいちゃいちゃすることもできない。封建制のトワ帝国であっても、地球同様のモラルが存在するのだ。


 エルナ護衛の任務に就いていない時には、基本自由時間であるため、タケルは多くの時間をトレーニングに費やしている。習慣という者はなかなか抜けないもので、素振りをしないと落ち着かないのだ。トレーニングは、艦内のトレーニング室で行う。タケルにはどうやって使うのか判らないようなトレーニング機器が並ぶ中、部屋の一角には20畳以上はある何もない空間が広がっている。床が堅めのマットのようになっているため、組み手などの練習をする騎士や軍人も多い。タケルはそこで、艦内の工房で作ってもらった木刀を振っていた。


「ちょっと、

 タケルのトレーニングに水を差したのは、ガルタ・ブランシェだ。ことある毎にタケルに対して敵意を隠さないこの女騎士は、タケルがエルナの婚約者であることを知っている。にも関わらず、タケルを名前で呼んだことはない。

「なにか、用かな?」

 タケルとしては、エルナの側にいる人間とは敵対したくないという思いがある。そのため、ガルタが向ける敵意に対しても飄々と受け流していた。それが、却ってガルタの怒りに油を注いでいたのだが、タケルは気が付いていなかった。今回も案の定、ガルタは怒りを募らせてしまった。

「用があるから声を掛けたんだよ」

 エルナの前では、このような伝法な口は聞かないガルタだが、元々、とある星系の裕福ではない地域で育ったこともあり、これが地なのだ。

「……オレと戦え」

「やだ」

 妹を守り続けてきたタケルにとって、どんな世界であっても女性は守るべき存在であって、戦う相手ではない。たとえ俺女であっても。女性蔑視と捉える人がいるかも知れないが、しかたない。それがタケルなのだから。

「負けるのが怖いのか?」

 定番の煽り文句である。だが、タケルはそれに乗らない。

「怖いね。エルナに怒られることが」

 ギチッ!ガルタが顔を歪め、歯を噛みしめる。スレンダーな身体が小刻みに震えているのは、怒りのせいだろう。

「いいから、戦え、軟弱者」

 タケルにとって、ガルタの挑戦を受けることは、百害あって一利なし。無視が一番なのだが、このままではずっと粘着されかねない。

「爺さん、なんとかしてよ」

『……』

「爺さん、ってば。おーい」

『……』

 あれ?返事がない。ミーパルナ教授がちゃんと再起動させていたから、タケルの声は聞こえているはずだ。ドナリエルもタケルとガルタを無視することにしたようだ。


「ごまかすな!戦え!」

 どうにも仕方ない。

「なぜ、ボクが貴方と戦わなくてはいけないのですか?」

「お前がエルナ様の側にいて良い人間ではないからだ」

「それはキミに許可を貰うべきことではないよね?」

「我々騎士団が、エルナ様に相応しいかどうかを決めるのだ」

 なんだそれ。先ほどの煽りには動じなかったタケルだが、エルナを守護する人間がエルナの人間性を否定するような言葉を吐いたことにカチンときてしまった。恐らくガルタも悪意があって言ったことではないのだろう。売り言葉に買い言葉、タケルをぼこぼこにして凹ませたい。それだけのことなのかも知れないが。

「騎士団にそんな権利はないだろ!」

「オレはエルナ様の騎士だ!その権利はある!」

「エルナは護られるだけの人形じゃない!」

 にらみ合うタケルとエルナ。先に口を開いたのはタケルだった。

「よし、やってやる。ただし、ボクが勝ったら金輪際、ボクの邪魔をするな」

「ふん。なら、オレが勝ったら地球に帰れ」

「いいだろう」

 本来、こんな形になる前にドナリエルが止めるはずだった。万が一、タケルが負ければドナリエルがエルナの側を離れることになるからだ。そんなことは許されない――はずだった。しかし、なぜかドナリエルは沈黙を守り続けた。


                ◇


 御前試合を見ていたガルタは、剣では勝てないと感じていた。ガルタも遺伝子操作で反応速度を上げているが、タケルが見せたようにすばやく動けるかどうか自信がない。恐らくドナリエルが視覚や身体能力を拡充しているのだろうと、推測していた。だが、それでも、剣を使わない素手での戦いであればどうか。タケルは温々と平和の中でそだってきたと聞いている。一方、ガルタには、子供の頃から戦ってきた経験がある。踏んだ場数が違うのだ。騎士団の中でも、団長と素手で互角に渡り合えるのは自分くらいのもの、とガルタは絶対の自信があった。だからこそ、武器ではなく素手での勝負を挑んだのだ。


 ガルタは、軽く手を開いた状態で、肩幅より少し広く両腕を前方に構えた。一方、タケルは拳を握り、左手を前に右手を身体に引き寄せるように構える。ボクシングスタイルだ。ガルタは左右にステップを踏みながら、パンチを繰り出す。まずは様子見だ。間合いを図りながら、タケルの視線を観察する。緩急をつけたガルタの攻撃も、すべて見えているようだ。


 タケルは直後から、すでに後悔していた。地球にいた時にも、自分に対する悪口は平気だったのに、妹の名前が出たとたんに手を出してしまうこともしばしばあった。冷静に見えて意外に沸点が低いのかも知れない。だとしても、相手は女性だ。もう少し冷静に対処すべきだったとタケルは思う。

 とはいえ、始まってしまったものは仕方ない。タケルもエルナを置いたままで地球に帰りたくはないので、勝つ算段をしなければならない。一通りの武術は経験があるし、今は身体能力も向上している。スウェーやダッキングで躱しながら、油断せずにガルタの攻撃を見極める……。


 ガルタは徐々に攻撃の速度を速める。単調なリズムにならないよう気を付けながら。

 これまでの攻撃はすべて躱されるか弾かれてきた。タケルの反応速度を少し過小評価していたようだ。ガルタは様子見モードから本気モードに切り替え、タケルの顔面に向かってストレートの掌底を突き出す。顔を仰け反らせて躱すタケル。だが、この攻撃はフェイントだった。タケルの死角からガルタの左手が襲う!鞭のようにしならせた手刀は、あばらの下、筋肉と筋肉の間を抉る──はずだった。


 完全に死角を突かれていた。それでもタケルが反応できたのは、攻撃よりも前に殺意がタケルの脇腹を襲ったからだ。ヒヤリとした感触を感じた瞬間、タケルはバックステップでガルタの攻撃をギリギリで躱した。タケルは身体を掠めるガルタの左手首を左手で掴むと、勢いを利用して引いた。腰を落としガルタの脚を払う。


 タケルの身体を貫いたはずの左手が掴まれると、ガルタの身体はバランスを崩し宙に浮いた。まずい!とっさに空中で身体をひねり、タケルの腕を引きはがす。着地と同時に深く沈み込み、その反動でタケルに飛びかかった!


 驚いた。人間が空中であんなにも回転できるのか。無重量状態ならいざ知らず、1Gの重力があるこの部屋で、人間とは思えないバネだ。猿か。驚いた隙に、タックルされてしまった。タケルは慌てて右足を引き、ガルタの突進を受け止めた。


 踏み込みが甘かったか?タックルは止められてしまった。掴みに来たタケルの腕をかいくぐり、一旦、離れる。少し息が荒くなってしまった。息を整えようとした、その時、今度はタケルが攻撃を仕掛けてきた。当たりはしない。当たりはしないが、イライラさせられる攻撃だ。――これは!とっさに脇腹を肘で守ったが、その上からでも衝撃が伝わった。


 ガルタの真似をして、フェイントを混ぜつつ死角からの攻撃を試してみた。ガルタのような腕を振り抜く攻撃はできなかったからか、簡単に肘でブロックされてしまった。だが、ダメージはあったようだ。これで勝負を止めてくれる……わけがないか。少し、間合いを取ろうとタケルは一歩下がった。しかし、それは間違いだった。下がろうとするタイミングに合わせるかのように、ガルタは間合いを詰め、タケルの顔面を狙った。頭突きで。


 しめた!夢中で振るった頭突きがタケルの顔面にヒットした!タケルがのけ反る。チャンスだ。ガルタはタケルに突っ込んでいった。次の瞬間、ガルタの身体は空中に放り投げ出された。何が起きたのか?ガルタは知らない。相手の力を利用して投げ飛ばす、柔道の技――巴投げを。

 マットに叩きつけられたガルタは背中を強打し、息とともに「ぐはっ!」と喘ぎを漏らす。呼吸が出来ない。まずい!片手で床を叩き、その反動でうつぶせになると、反撃に移るべく身を起こした。だが、ガルタの視界にタケルがいない。どこだ!見失った敵の影を探そうと視線を巡らせるガルタ。その時、タケルはすでにガルタの背後に回り込んでいた。後ろからガルタの腰に腕を回し、抱え込むようにしてのけ反る。バックドロップだ。ガルタは後頭部と肩をしたたかにうち昏倒した。


 ガルタが意識を失っていたのは、ほんの一瞬だ。だが、それで勝負は決まった。

「お前の負けだ、ガルタ」

 いつの間にか近くに来ていた騎士団の一人、テーズがガルタに声を掛け、立ち上がろうとしていたガルタの手を取った。

「まだ……や、やれる……」

「無理なことはお前が一番判っているだろう?」

 その通りだった。がっくりと肩を落とすガルタ。一方のタケルも余裕だった訳ではない。本気で体術を習得していなかったためか、技と技とが繋がらない。そればかりか隙ができてしまう。剣術ならば、無意識にでも連続技が使えるのだが。

「わかった……オレの負けだ」

 その言葉を残し、ガルタはトレーニング室を出て行った。


                ◇


 後日。

 タケルは、日替わりで騎士団や軍の連中とスパーリングをする羽目になった。タケルとガルタの勝負を見ていた者、見ていなくても話を聞きつけた者が、腕試しとばかりにタケルと戦おうとやってくるのだ。御前試合での評判を聞き興味はあったが、皇族に近しい人物ということで声を掛けにくかったのだろう。ガルタの暴走が、良いきっかけになってしまった。結果的に、タケルの体術も鍛えられていくことになるのだが、タケルは自由になる時間を大きく割かれることになった。

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