43 マケッタ博士の考察

「危ない!どいてくれッ!」


 チューブ・カプセルの停留所から通路に出たところで、突然大きな叫び声が聞こえた。一行は、その声にすぐさま反応し、通路の向こうから跳んでくる黒い影を避けた。タケルを除いて。けっしてタケルの反応が遅かったわけではなく、他のメンバーに比べて無重量状態に慣れていなかっただけだ。タケルと黒い影は、もつれあって通路の突き当りで壁にぶつかる。背中を壁に打ち付けたタケルは、グッと小さく悲鳴を漏らす。


「「タケルッ!」」

 エルナとクリスは、壁にぶつかりうめくタケルに近づき、心配そうに声を掛ける。タケルは二人に「大丈夫」と返したが、苦しそうだ。当たり所が悪かったらしい。一方、ぶつかって来た影の方は、反動で通路にフワフワと浮いている。影が動いて、人の形になった。男性、それもタケルやクリスと同年代の若者だった。ガリガリに痩せた身体を白衣に包み込んでいる。その背中には巨大な荷物が存在感を放っている。タケルが受けた衝撃は、ほぼ荷物の重量であろう。


「や、失敬。怪我はないようだね?申し訳ないが、先を急ぐのでこれで失礼するよ」

 タケルにぶつかって来た青年は悪びれもせず、シュタッ!とばかりに右手を挙げて挨拶すると、器用に空中で姿勢を変えて、チューブ・カプセルの停留所へ向かおうとした。


プシュッ!


 圧縮空気が解放される音とともに、若者めがけて飛び出したのはミーパルナの脚だった。空中を一直線に飛ぶ脚は、若者にぶつかる直前で五本の指を広げ、襟首をガッシと捕まえた。

「あうっ!」

 ミーパルナの身体と飛び出した脚は、細いワイヤで接続されており、小さな音を立てながら巻き取られていく。若者はじたばたと暴れるが、結局その身体をミーパルナに確保されてしまった。ミーパルナは、頭の上から覗き込むようにして、男に話しかけた。

「どこに行くつもり?マケッタ?」

 ということは、ミーパルナに捕まった骨川筋衛門のようなこの男性が、タケルたちが会おうとした《始祖》の専門家か。講演内容を文字でしか読んでいなかったタケルは、マケッタ博士が思っていたよりも若くて驚いた。なんとなく、中年以上を想像していたのだ。


「ど、どこって……ちょっと《始祖》の遺跡に……」

「客を連れてキミに会いに行く、って秘書AIに連絡したよね?聞いてない?聞いてないわけないよね?」

「聞いてない……わけじゃなくて、聞いた……から……こうして逃げ出そうと……いや、急に思いついて、その」

 あ、自爆するタイプだ。タケルとクリスは視線だけを合わせて意見を合致させた。その間も、マケッタに対するミーパルナの尋問は続いていた。

「ほぉ~、私と会うのがそんなに嫌だと?」

「いや……嫌というか、否応もないというか、でもミーパはすぐ暴力振るうし、勝手に《始祖の遺産》もっていくし……」

「私がいつ暴力を振るったってぇぇぇ~!」

 ギチギチと何かが締め付けられる音が響くと、マケッタの声にならない悲鳴が聞こえた……ような気がした。ちょっと、このままだとまずいのではなかろうか。それは皆感じていたようだ。

「ここで立ち話も何だから、場所を変えないかね?」

 賢人ドーアの言葉に、ミーパルナは手足の力を緩めて、哀れな犠牲者を解放した。

「そうですね。彼の研究所でゆっくりと話をすることにしましょうか」

「ミーパルナ教授、当初の目的を忘れないでくださいね」

 ミーパルナの豹変ぶりが怖かったらしいエルナが、心配そうに釘を刺した。

ようやく一行が、目的地であったマケッタ博士の研究室へと移動を始めると、クリスがタケルのそばに寄ってきた。

「エルナも時々、あんな風に豹変するからタケルも気をつけろよ」

「あぁ……知ってる」

 旅は始まったばかりだったが、タケルはエルナと長い時間を過ごしていたのだった。

「そうか……がんばれよ」

 クリスがタケルの肩をポン!と叩いた。


                ◇


 マケッタ博士の研究室は、一言で言えば“カオス”だった。“足の踏み場もない”という表現では不十分だ。何しろ無重量状態を利用して、床だけでなく壁や天井にすら様々な物で溢れている。収納用コンテナーに格納されている物はまだましな方で、得体の知れない石板やらガラスに入った何かの液体、樹脂で固められた風化寸前の木板等々、目的もわからない物品が散乱している。勝手に移動しないようにバンドなどで固定されていることが、救いと言えるだろう。壁や天井が埋まっているため、部屋の中をフワフワと浮遊する球状の発光体が照明を担っていた。後で聞いたところ、「ライトボール」という子供向け玩具らしい。


「うわぁ……」

 研究室に入った一同(マケッタとミーパルナを除く)は、異口同音にその状況に呆れたが、非難を口にするほど愚かではなかった。

「適当に、座ってください」

 マケッタの言葉に戸惑う一同だったが、ミーパルナだけは入り口近くにかろうじて見えていたバーに脚を固定させてすました顔をしている。仕方がないので、タケルはエルナと手を繋いだまま、部屋の中に浮かんでいることにした。

「えーと、それで一体、私にどんな御用なのでしょうか?」

 左手であごをさすりながら、賢人ドーアに向かってマケッタが聞く。右手は天井から伸びたコードを掴んでいる。どうやら、ここでは賢人ドーアが一番目上と判断したようだ。年齢だけならそれは間違っていない。

「私は付き添いのようなものだよ、マケッタ君。ミーパルナ教授が君の意見を聞いた方がいいとおっしゃったのでここに来たという訳だよ」

「こっちは訪問目的をちゃんと伝えたよ。カツが聞いてないだけだろ」

 マケッタ博士、フルネームは、カッタ・デ・マケッタ。だからカツか。でも勝ったのか負けたのかはっきりしない名前だとタケルは心の中で突っ込んだ。


「まったく、いつもそうだ。きちんとした生活をしなさいと、あれほど言っているのに!」

 ミーパルナが怒ったふりをしながら、マケッタ博士を叱る。この二人は幼馴染であった。同じように研究者の家庭に生まれ、年齢も近いことから姉弟きょうだいのように育った。同じ教育機関に通い、同じように研究者となった。研究対象は別だが、それぞれの分野で成果を挙げている。研究者としての優劣を付けるなら、同じくらいのランクと言えるだろう。ただし、二人の間では、ミーパルナの方が優先される。これは他人が口を挟む余地のないことだ。

 二人が幼馴染で、女性の方が優位に立っているということを聞いた時、クリスの目には同じ境遇にある同志を見つけた喜びに輝いていた。その前から、同じ視線をタケルにも向けていたことに、タケルは気が付いていなかったが。


 ミーパルナがざっくりといきさつを説明し、テオールがタケル(とドナリエル)のデータをマケッタに展開した。ミーパルナのような電脳化はしていないらしく、マケッタは空中にディスプレイを投影し、データの流れや画像を調べた。調べていくうちに、手で頭をガリガリと掻きむしる回数が増えていく。そして、いきなりタケルに飛び掛かると、エルナの手を握っていた左手をもぎ取った。エルナの影にいたガルタが、マケッタを止めようと飛び出したが、エルナが左手でそれを静止する。驚いたが、傷つけられてはいない、とエルナが目で合図すると、ガルタは身を引いた。

 マケッタは、タケルの手袋を強引に引きはがし、舐めるようにマジマジと観察している。どうして研究者は夢中になると、“人の同意を得る”という簡単なことができないのだろう?タケルはなかば呆れながらそう思った。


  しばらくして、タケルの左手観察を終了したマケッタは、部屋に浮かびながら再び髪を掻きむしり始めた。ぶつぶつと小さな呟きも聞こえる。時折、ミーパルナと短い会話をし、空中ディスプレイを見るといった行為を繰り返した。5,6分も経っただろうか。タケルたちが見守る中、マケッタはようやく落ち着きを取り戻したように、ふんふんと一人納得したように何度も頭を上下させた。

「で?カツの意見は?」

「……面白いねぇ。ミーパの読み通り、これは《始祖の遺産》が大きく関わっているね」

「どういうこ……「詳しく説明してくれないか?」」

 心配そうなエルナの問いかけを遮るように、賢人ドーアがマケッタに問いかけた。グラジャ人の表情をタケルは判断できないが、珍しく興奮しているようにも思えた。普段の賢人ドーアは、常に冷静沈着で、人の言葉を遮るような不躾なことはしない。少なくともタケルの前ではそうだった。どうやらマケッタにとっても同じだったようで、賢人ドーアの問いかけに、動揺しつつも話始めた。


「まず、この二つ目の《識章》ね……テオール先生のレポートでは『コアもなしに《識章》が生成された』とあるのだけれど、これは間違いね。コアはあるよ。ただし、随分前に移植された様子なので、医療チームは地球人テラナーが従来から持っている器官だと勘違いしたんじゃないかな?もしくは、観測できない形で存在していたとも考えられるね」


「前から……?それはことです。《識章》は厳重に管理されているのですから」

「以前からぁ~って、いつからですかぁ?少なくともここ数年で移植された痕跡は見えないのですけどぉ?」

地球人テラナーは《識章》の技術を持っているってことかい?」

 マケッタの爆弾発言に、各々が疑問を口にする。タケルは自らの左手をじっと見つめていた。

「まぁまぁ、落ち着いて。私にも“誰が”“いつ”“どうやって”コアを入れたのかはわからないよ?えーと、身に覚えある?」

 最後の問いかけは、タケルに向けられたものだ。身に覚えと言われても、タケルには物心がついてからこのかた、コアを埋め込んだ記憶などない。手術は──事故にあった時に病院で処置を受けたが、そもそも地球に《識章》の技術はない、はずだ。タケルは、頭を左右に振って否定する。

「そっか。それじゃぁ仕方ないね。私はそれよりも、“どうして”が気になるな。こんな例は過去に見たことがないからね」


「なぁんの解決にもなりませんねぇ」

 まさしくテオールの言う通りだ。タケルやドナリエルの変化が《始祖の遺産》絡みであることは、マケッタ個人の意見ではあるが──わかった、だが、肝心のタケルとドナリエルを分離する方法については不明のままだ。

「責ある者としては、ふたつの《識章》がエラーでないことが分かっただけでも幸いです」

 エルナはそっとタケルの手を取り、優しい眼差しをタケルに向けた。もし、タケルが持つふたつめの《識章》が帝国のシステムを揺るがすものであったなら――考えたくはないが、タケルの存在そのものがなかったことにされかねない。エルナはそんな不安をずっと抱いていたのだった。

 そんなエルナの様子を見て、一同は「とりあえず、これで良しとするか」という雰囲気になった。ただひとりを除いて――マケッタ博士である。彼は、タケルを見つめてこう言った。


「それで――君はだい?」


                ◇


「いや、すまなかった。あれ《マケッタ》は昔から、興味があることにしか注意を払わないという悪い癖があるのだよ」

 《ミーバ・ナゴス》に続くボーディングブリッジのデッキ。彼らは、学術星系から旅立とうとしていた。ミーパルナ教授は、わざわざ見送りに来てくれた。彼女の言葉に出てきた当人、マケッタ博士はこの場にはいない。なにやら《始祖の遺産》に関する新しい資料が見つかったとかで、それを解析するために研究室に閉じ篭もっているらしい。


 予定通り、ここでテオール先生と賢人ドーアは《ミーバ・ナゴス》を降りることになる。

「では、私はここで。以前師事した先生方にお会いして、カーズタニア殿の治療法、そのヒントだけでも手に入れてきたいと思いますぅ。あ、もちろん、タケルくんとドナちゃんの分離方法についてもねぇ」

 テオール先生が師事したという医師は、この軌道リングだけでなく、別の惑星にもいるらしい。ひとりひとり回って聞いてきてくれるらしい。大変ありがたいことだと思うが、さらっと優先順位が変わっている。

治療法といえば、クリスたちが望みをかけているAIの医療への活用方法については、ミーパルナ教授が研究することを約束してくれている。

「ドナリエルのようなワンオフの存在ではなく、一般的に利用できるレベルで、かつ、必ず分離できるように設計すればいいと思う。むしろ、医療分野へのAI活用方法が増えることは望ましいからね」

「私はぁ、すこ~し懐疑的?ですけどねぇ」

 テオールのまぜっかえしに、ミーパルナは殺気を込めた視線で応える。すっかり犬猿の仲になってしまったようだ。


「私もここでお別れだ。しばらく雑用をこなしてから、グラジャ星系への便を探すよ」

 すでにトワ帝国における聴取も終わっているし、ギナックの一件以降、賢人ドーアの人質としての価値はなくなっているため、彼が故郷に戻ることになんの問題もない。

「寂しくなるね」

 タケルの言葉は心からのものだ。いちいち突っかかってくるドナリエルと違って、賢人ドーアはタケルの疑問にやさしく付き合ってくれた、大切な存在だった。

「なに、銀河は狭い。また会えるさ」

「うん、そうだね。また会える。その日までお元気で」

「君も、な」

 こうして、学術星系を後にして、タケルたちは次の星系へと旅立って行くのだった。


                ◇


 惑星ドーンナには、限られた人物しか上陸が許されていない。賢人ドーンは、上陸が許されたごく少数のうちの一人だ。彼は今、ドーンナの地表からおよそ100メートルの地下ある、高さ・奥行き・横幅がそれぞれ20メートルほどある石造りの部屋にいた。部屋に生物は賢人ドーアのみ。四方には、棒状の照明器具が設置されており、室内を明るく照らしている。賢人ドーアの目の前では、模様が刻まれた直径5メートルほどの球がゆっくりと回転していた。いや、模様ではない。ドーンナの地表を正確に摸したものだ。つまり、これは巨大なドーンナグローブということになる。ただし、この球は眺めるだけのものではない。これこそ、学術都市最大の秘密、知識の泉フローマインとの入出力装置インターフェースなのだ。


「よく来ましたね。賢人ドーア」

「契約故に」

「では、話しなさい。貴方の経験したことを」


 賢人ドーアは、ガーズ・ガーズがグラジャ議会を謀り、ドーア帝国皇女の暗殺計画に荷担させたことからこれまでの事を知識の泉フローマインに語った。

 知識の泉フローマインが、人々に知識を与えるという噂は、真実の半面しか正しくなかった。知識の泉フローマインは、知識を与える以前に知識を欲した。学術星系でその道の権威となりその人格や知識・経験が認められた者は、知識の泉フローマインと契約する。その者が知りたいことを教える対価として、その者が経験したことを知識の泉フローマインに伝えなければならない。だからこそ賢人ドーアも老体に鞭打ち、経験すべく自ら銀河を旅しているのだ。

 賢人ドーアが語り終わると、部屋にはしばしの沈黙が流れた。


「重要な情報です。賢人に感謝を……貴方は何を問う?」

 賢人ドーアは、タケルと出会ってからずっと疑問に思っていたことを聞いた。

「彼は……タケルはなのだ?」

「……貴方の推測が正しいかどうかは、現時点では判りません。確かに、《始祖》が撒いた種が芽吹いた可能性は高いでしょう。しかし、芽吹いていたとしても、それが正しく成長するかどうか。タケルという青年が、かの存在となるかどうかは、これからの経験次第……かも知れません」

知識の泉フローマインとは思えぬ不確定な答えだ」

「情報が足りません」

 賢人ドーアは、口吻から泡を吹き出す。グラジャ人のため息だ。

「ならば、私が側で見て、導くとしよう」

「それが良いでしょう。連絡を密に、ね」

 知識の泉フローマインが放った最後の言葉には反応せず、賢人ドーアはその部屋を去った。残された知識の泉フローマインのインターフェースも、長い思索の時間に入った。

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