これより訓練を始める! 手始めに人間性を捨てよ③


 いや、むしろこれが本能の選択なんだ。そう考えると、この格好にも野性味が溢れてる気がするから誇らしさすら感じられるな。


 ならワタシは堂々としてるべきだ。これがワタシなんだって、余裕を見せつけるみたいに笑みを浮かべて、胸を張って腹を見せるべきなんだ!


 逆行の影に顔を潜めながら俯瞰で見下ろしてくるゼタさんに渾身の笑みを見せつける。


 ――どやぁ。


 どうですかゼタさん。さすがの貴女も勇ましさすら感じる降伏なんて見たことがないでしょう。ふふっ、どうやら声も出ないみたいですね。


 いや、別にあおりで笑いかけてるからって煽ってる訳じゃあないですよ?


 でも、ワタシは今の自分に一遍も恥じることはありません。ここにある結果はすべて野性という本能が引き起こした、可能性の一欠けらですから。


 だからワタシは本能コイツと一緒に歩いていきますよ。たとえ今はワタシの手に余ったとしても、いつの日か完全に使いこなせると信じて、その日まで……だから、


(――許してくれますね?)


 笑みに菩薩の優しさを滲ませて、相変わらず胡乱に見下ろしてくる瞳を見つめ返した。


「……イディちゃん」


「……はい」


 落着き払ったゼタさんの声、平坦な声音からは波風を立てまいとする意思を感じずにはいられない。そうだ、野性だからって争いが必要だなんてことはないんだよ。


 自然界は確かに厳しいところだけど、その中には必ず美しさがある。ワタシたちの間にも友情という名の、華やかではないけど見る人の心を温かする絆がある。


(そうですよね? ゼタさん……)


「お腹を見せて許されるのは野性の中でだけですよ」


 冷ったぁ! 氷河期かよ!?


 呆れてますって顔を隠そうともしないゼタさんは、もう一度首を横に振ると遣る瀬無さを前面に押しだした視線をくれてきた。


「街での追い駆けっこのときもそうですけど、姉さんとイディちゃんは遊び中に何か物を壊さないと満足できないんですか?」


 人のことを破壊神みたいに言うのは止めてください。ワタシだって好きで壊したんじゃないんですよ!? 自分でもまさかって感じなんですから。


 それに普通思わないでしょ。走ったら地面が砕けるなんて……あれ?


 そういえばこの街に来る直前、というかこの世界に来た直後にも似たようなことあったような……。


 そ、それは置いておいて、これだけは言わせてください。


「街を壊したのはリィルです! 全部リィルがやりました!」


「え~。私のこと巻き込まないでよ、イディちゃん」


「本当のことじゃんッ!」


 今回のことだって、リィルに全く責任がないなんて言わせないよ!?


 四足を推してきたのはリィルなんだから。ワタシだけじゃあそんな発想にはならなかったし、発案者なら最後まで責任を持ってもらわないと。


 後ろからブーブー文句言ってきたリィルとキャンキャン鳴き合っていると、ゼタさんが手を上げて制してきたので二人して同時に黙った。この場の支配者はまぎれもなく彼女だった。


 ワタシたちが黙ったのを確認すると、ゼタさんは大きなため息をついて話を続けた。


「それで、この惨状を作ったのは誰ですか?」


「それは、その……ワタシだけど。き、きっと板が腐ってたんですよ! そうですよ。じゃなかったら踏み込んだだけで木が粉砕されるなんて、そんなことある訳ないですもん。うん、間違いないですね! 管理が甘かったんですかね? 困るなぁ」


「ここのアスレチックは遊具とはいえ訓練用のものです。それに耐えうるだけの強度があり、いつでも使用できるように定期的に点検と修理をしてますよ」


「……いやぁ、踏み砕いたのがワタシで良かった! 遊具ってことは子供たちにもよく使われるんですもんね。うんうん、誰かが怪我することもなくて、これは不幸中の幸いですね。やったね! みんなハッピーですよ!」


「これの始末書を書かなきゃいけない私以外はハッピーみたいですね。良かったです」


 ゼタさんがニコッと爽やかな笑みを向けてくる。オロアちゃんが目の当たりにしたら鼻血を噴出しながら気絶しそうな、イケメンスマイルも今のワタシにとっては恐怖の対象でしかない。


 結構な身長差から見下ろされてるのも相まって、言葉も顔も引き攣るくらい威圧感があった。


「あっ、いや。だからさ、そのぉ……」


「良かったですね?」


「まことに申し訳ございません」


 ぇえよぉ! 元来、笑顔というのは自然界においては威嚇時に使用される表情である、って偉い人が言ってたことは間違ってなかったよ。


 すぐさま土下座に移行してこれ以上深くはできない限界まで頭を下げた。


 丸まったのが直ってないせいで尻尾に顔を埋める形になってしまい、尻尾にすがって駄々をこねてる子供みたいなったけど、これは不可抗力なので見逃していただきたく存じます。


 いや、どっちかっていうと夜寝るのが怖くて布団を頭からすっぽり被ってる子供、って方がしっくりきますかね。そこら辺はどうお思いになりますかね?


 毛に顔を隠しながらちょっとだけ視線を持ち上げて見ると、未だに温度の低い視線をくれてるゼタさんとバッチリ目が合ってしまい慌てて視線を戻した。


 くぅう、なんて冷たい視線だ。これじゃあ当のゼタさんも凍えてしまうんじゃなかろうか?


 でも……、


(悪いね、ゼタさん。この尻尾は一人用なんだ)


 体は屈しても心までは屈しないんだからッ!


 決意に心を奮い立たせながら体を震わせるワタシの頭上に、ゼタさんからまたも大きなため息が落とされた。


「まぁ、やってしまったものは仕方ありません。これから気をつけてください。使うのはイディちゃんだけじゃないんですから、大切に使ってもらわないと。いいですね?」


「はい。至極ごもっともでございます」


「それじゃあ、このお話はここまでです。どうやら獣人としての能力を一端とはいえ使えるようになったみたいですし、今後はそれを伸ばしつつ、しっかりコントロールして自分の意思で使えるようにすることを目標にしましょう」


 なんだか分からないけど、とにかくヨシ! 許されたな!


 ふふふ、ゼタさんもなんだかんだ言ってワタシに甘いからな。少し怯えてみせればこの通りですよ。これで無茶な要求がされることもなくなったでしょ。


 ――勝ったなガハハッ!


「それじゃあ、私は持ってきたボールを投げつけるので、イディちゃんは四足で今まで通り姉さんから逃げながらボールも合わせて避けてください。もちろん、アスレチックや床の木材を壊しては駄目ですからね」


「……をぉぅ?」


 何を言ってるのかね、この山羊さんは?


 ボール片手にさっき以上の晴れやかな笑みを湛えて、白い歯をきらめかせるゼタさんを見つめながら首を捻らざるを得なかった。


 何かの見間違い、聞き間違いかもしれない。そうねがって一回キュッと目をつぶって眉間を揉み解してから、もう一度ゼタさんの顔をチラッと覗いてみる。


 ……うん。眩しい笑顔も手に持ってるボールも、何一つ変わってないですね。


 ……もしかしなくても、これってアカンやつ?


「あの、ゼタさん」


「なんですか?」


「もしかして……まだ怒ってらっしゃる?」


「ははっ、何を。さっきも言ったでしょう? その話はさっきで終わりだって、だから私は全然怒ってなんかいませんよ。ええ、怒ってませんとも。

 だから、もしボールが想定以上の勢いで飛んでいってしまっても、それはさっきの話とはなんら関係ない、ちょっとしたミスです」


「そうですか……ちょっとしたミスですか。はは、なら仕方ないかもしれませんね」


「ふふ、そうです。仕方ないんです」


「ははは」


「ふふふ」


 めっちゃ怒ってるうぅ! どどど、どうするッ!? ワタシはどうすればいい?


 普通の四足ですら力加減が全くできていないポンコツだっていうのに、飛んでくるボールまで避けるとかできる訳ない!


 しかも四足のワタシは本能全開で動いてるから、ボールが飛んできた日には口キャッチをしないで我慢することなんてできるとは思えない。


 それにゼタさんがおもっくそ速く投げたボールとか……凶器以外の何物でもないだろ。


 これはまずい。なんとかしないと物理的にも精神的にも死にそうだ。


 なんとか話題を反らして時間稼ぎをしないと。少しでも長く対応策を練るための時間を!


「さっ、いきますよ!」


 なるほど、こいつはたまげたなぁ。ワタシが投げるのは匙だったとはね……フッ。




「あ゛ぁあああ!?」




 ――死にたくなぁい!

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